16. 20X5/11/14 #埼玉県民の日
11月14日、金曜日。
東京のIT企業に勤める中堅社員、ケンジ(32歳・埼玉県在住)は、
人生でこれほど「#働きたくない」と強く思ったことはなかった。
なぜなら、今日が「#埼玉県民の日」だからだ。
埼玉県の学校は休み。
妻も(なぜかこの日に有給を合わせて)休み。
3 (THritter)のタイムラインは、朝から
「マーマンバレーパーク入園無料」
「ステーキのボスドリンクバー無料」といった、
輝かしい祝祭の報告で埋め尽くされている。
一方、ケンジの勤務先は東京・丸の内。
当然、「埼玉県民の日」は出勤日である。
「……なんで俺だけ、ダさいたまから満員電車に乗って、東京なんぞに……」
ケンジが玄関で靴を履いていると、リビングから妻の弾んだ声がした。
「ケンちゃん!見て!マーマンバレーパーク、本当に無料だって!もう入園待ちの行列がすごいみたい!
あ、お土産は『しっとりチーズクッキー』でいいよね?」
ケンジの顔から、光が消えた。(俺はこれからクライアントに送る重い資料を作るっていうのに…お前は…マーマンと…チーズクッキー…?)
ケンジは、妻の楽しそうな笑顔に「い、行ってらっしゃい…」と絞り出すのが精一杯だった。
会社に着くと、ケンジの様子は明らかにおかしかった。
デスクに座るなり、PCの壁紙を「さいたま水族館(本日入館無料)」の写真に変更し、深いため息をついた。
「(…ああ、行きたかった。あの淡水魚たちに会いたかった…)」
隣の席の後輩、サトウ(24歳・東京都在住)が、恐る恐る声をかけてきた。
「ケンジさん?大丈夫ですか?なんか今日、埼玉のオーラがすごいですよ」
「…サトウくん。君は、知らないだろう。埼玉県民が、今日という日をどれだけ待ち望んでいたか。
マーマンバレーパークが、俺たち埼玉県民にとっての『約束の地』であることを…」
「は、はぁ…(マーマンって埼玉だったんですか…?)」
その時、部長がフロア全体に響く声で言った。
「おい!クライアントからクレームだ!納品したシステムの仕様書に、意味不明な文字列が混入してるぞ!」
ケンジはハッとした。
昨日、彼が残業しながら仕上げた仕様書だ。部長がモニターに映し出した「意味不明な文字列」とは、以下のものだった。
【エラー対処法】
エラーコードA-01:再起動(推奨)
エラーコードB-02:データベースを確認
エラーコードC-03:とりあえず、ステーキのボスでドリンクバーを飲む
エラーコードD-04:マーマンバレーパークに行く(無料のうちに)
ケンジの「#埼玉県民の日」への渇望と怨念が、
疲労のピークで混線し、無意識に仕様書に書き込まれてしまっていたのだ。
ケンジは、部長とサトウくんの冷ややかな視線を浴びながら、顔を覆った。
(俺は…埼玉県民である前に、社会人失格だ…!)
ケンジの日常は、「#埼玉県民の日」という強力すぎるローカルトレンドによって、
再起不能(リブート)寸前のドタバタ劇と化したのだった。
【別視点:サトウ(後輩)】
サトウ(24歳・東京都在住)は、
11月14日の朝、自分の教育係である先輩、ケンジさん(埼玉県在住)の異変に、いち早く気づいていた。
(ケンジさん、目が死んでる…)
いつもは温厚で、埼玉のローカルネタ(田中うどんのパンチセットがいかにソウルフードかなど)を
嬉しそうに語るケンジさんが、今日は生ける屍のようだ。
「おはようございます」と挨拶しても、「…マーマン…」としか返ってこない。
サトウは、自分の3 (THritter)のトレンドを確認した。
「#埼玉県民の日」「#マーマンバレーパーク無料」
(あ、これか…)
サトウは、ケンジさんが「埼玉の祝日」に出勤させられていることで、
致命的なデバフ(能力低下)を受けていることを察した。
(やばい、今日のケンジさんは、普段のケンジさんじゃない。あれはもう、埼玉の地縛霊だ)
サトウは、ケンジさんを刺激しないよう、細心の注意を払って業務を開始した。
だが、ケンジさんの奇行は止まらない。
ケンジさんは、1時間に5回は「さいたま水族館(本日入館無料)」の公式サイトを開き、
淡水魚の画像(特にコイ)をうっとりと眺めている。さらに、お昼休みのチャットでは、
ケンジ(社内チャット):「今日のランチ、田中うどんのパンチセット(※もつ煮込み)が食べたい…」
「丸の内に、田中うどんはないんですか…?」
と、東京のオフィス街で埼玉のソウルフードを求めるという、無謀な要求を繰り返している。
(ケンジさん、完全にホームシック(埼玉シック)だ…)
サトウが(どうやってこの人をなだめよう…)と悩んでいた矢先、フロアに部長の怒号が響いた。
「クレームだ!仕様書に意味不明な文字列が!」
モニターに映し出されたのは、「エラー対処法:マーマンバレーパークに行く」という、あまりにもファンタジーな解決策だった。
(ケンジさーーーん!やったな!)
サトウは、ケンジさんが埼玉への愛をこじらせた結果、
ついに業務と現実の境界線を越えてしまったことを悟った。
部長に詰め寄られ、真っ白になっているケンジさんを見て、サトウは(助けなければ!)と咄嗟に叫んだ。
「部長!待ってください!それ、『マーマンバレーパーク』じゃなくて、
『MaamanValleyPAK(ProcessAnalysisKit)』っていう、うちが新しく導入検討中の、北欧製のエラー解析ツールのことじゃないですかね!?」
フロアが静まり返った。
部長も、ケンジさんも、目を丸くしてサトウを見ている。
サトウは続けた。
「ケンジさんは、昨日、疲労困憊の中で、その最新ツールの導入を検討して、メモとして残したんだと思います!…ですよね、ケンジさん!」
ケンジさんは、サトウの完璧すぎる「嘘」に、涙ぐみながら頷いた。
「そ、そうだ!MaamanValleyPAKだ!サトウくん、ありがとう…!」
部長は「紛らわしい名前のツールをメモするな!」と怒りつつも、一応納得して去っていった。
その日の終業後、サトウはケンジさんに、こっそり耳打ちした。
「ケンジさん、MaamanValleyPAK、なかなかいいネーミングでしたよね?」
「サトウくん…君は命の恩人だ…。
この御恩は、必ず田中うどんのパンチセットで…」
サトウは、埼玉のローカルネタが、
時として東京のビジネスシーンを崩壊させるほどの破壊力を持つことを学んだ一日となった。
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さすがにここまでの人はいないですよね?
ただ学生時代 次の日は、ちょっとだけ気が重かったんです。
埼玉県民の日って、パートナーがいる人たちはこぞって夢の国へ行くんです。
で、翌日の教室はというと、「手つないだ」とか「告白された」とか、そんな話でふわふわ盛り上がっていて。
私はというと、うんうんって頷きながら、その輪の少し外側で、静かに聞いていました。
別にさみしいわけじゃないけど、なんとなく、置いてけぼりの気分になる日って、ありますよね。
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