4話 どうしても伝えられなかったその言葉

Chapter1_1


「とりあえず、お礼を言わせてもらうわ」


 李依は恥ずかしそうに信人と視線を合わせた。


「何のこと?」


 わざとらしく聞き返す信人。


「お父さんのことよ。本当に、ありがとう」


 李依は素直に深々と頭を下げた。


「それで、何が目的なのよ! 慈善事業ってわけじゃないでしょ?」


 感謝の意思表明は秒で終了した。


Chapter1_2


「あれだけクラスで空気のような存在を装っていたあなたが、能力のことを明かしてまで私に接触してきたのには何か理由があるんでしょ? あなたにとっても利点が」


「利点ね――。別にただの気まぐれさ。確かに、クラスでは能力を使って、目立たないタイプの生徒を演じていたけど。長年の癖ってやつかな」


Chapter1_3


「こういう類の力はあまり人に知られてはいけないというか。機関に捕まって解剖なんてされたくはないからね。君も、もう少し気をつけた方がいいんじゃないのかな?」


 機関? 解剖? そんなものが存在しているの? でもよかった。私もクラスで全然目立ってないわ。毎朝、しっかり願っておいてよかった……。


Chapter1_4


 あんな露骨な能力の使い方では、余計に目立ってしまうどころか、クラスの注目の的であることに気付いていないのは李依本人だけなのだが、面白いからもう少し黙っておくことにした。


「はぐらかさないで! まあいいわ。あなたと違って私にはあなたの考えてることは分からないものね。別に興味もないけど」


Chapter1_5


「でも借りは作りたくないの。お礼に何でもするわ。だから早く言いなさい」

「それじゃ、僕の彼女になってよ」

「えっ、それはマジであり得ない。ドン引きだわ」

「嘘です。ごめんなさい」


 ラブコメラノベ風の軽い冗談のつもりだったが、彼は心に予想外の深手を負った。


「それじゃ僕も一緒に行っていい?」


Chapter1_6


「水族館、今日なんでしょ」

「あなた、えぐるわね――」


 今日は、李依の父親の命日である。郊外には立派な墓があるという。しかし、墓参りはしないらしい。


「そこに、お父さんはいないから。何もないから」


 聞けば、事故のあと家族のもとには遺留品はおろか、父親の髪の毛一本、帰ってこなかったそうだ。


Chapter1_7


 事故の前日、父親との喧嘩の原因となった水族館。約束を果たせなかった父親はそこに帰ってくるのではと、暇を見つけては墓参りならぬ水族館参りをしているのだ。


「そうね、お父さんも私が彼氏を連れて行けば少しは安心するかもね。それで借りもチャラ」

「ちょっと、何言ってるか分からないんですけど」


Chapter2_1


「あなた、自転車通学なのね」


 それは、高校敷地内の駐輪場で何の前触れもなく始まった。


「それじゃ私、後ろに乗るわね」

「どうして?」


 とは聞いてはみたものの、僕には彼女の思考が手に取るように分かる。水族館に着く前からお父さんが見ているかもしれないと、彼氏、彼女ごっこがスタートしたらしい。


Chapter2_2


「これ、一度やってみたかったのよね。高校生カップルの定番じゃない?」


 ステップなど付いているはずもない自転車の後輪軸に無理やり突っ立って、足をプルプルさせている。


「高梨さん、何してるの? 自転車の二人乗りは違法だよ!」

「そっか、それはアニメ化されたときに色々と面倒なことになりそうね」


Chapter2_3


「じゃ、仕方ないから、これで我慢するわ」


 二人は手をつなぎ、潮の香りのする方へと歩き始めた。


「それと、その高梨さんってやつ、やめてくれる? 信人」


 私立坂の上高校は名前のとおり坂の上にある。その坂を下れば、そこはもう海である。二人は自転車を引きながら、海辺の水族館へと向かうのであった。


Chapter3_1


「閉まってるわね……」


 いつの間にか李依の首から下げられていた年間フリーパスポートが虚しく揺れている。


「フリーパスがあれば休館日でも入れるんじゃない?」


 半ば冗談で自動ドアの隙間に両手の指先を突っ込む信人。左右にこじ開けようとする仕草が実にわざとらしい。次の瞬間それは、突然起こった。


Chapter3_2


 両手がぶらんと垂れ下がり、彼はその場で泣き崩れた。


「7年間、長かっただろ」

「7年間、辛かっただろ」

「遅くなってごめんな」

「気にしてないから」

「もう気にするな」

「本当に幸せだった、ありがとう」

「頼むから、李依も幸せになってくれ」


 まさに魂の叫びである。そして彼は李依を強く抱きしめた。


Chapter3_3


「お父さん。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」


 まるで、小学生のように涙をぼろぼろと流しながら、どうしても伝えられなかったその言葉を彼女は気が済むまで何度も、何度も、繰り返し叫び続けた。


「もう気にするな……」


 その一言を最後に、彼は気を失った。


Chapter3_4


 李依の父親が僕に憑依した? 命日という特別な日。二人にとって特別な場所。でもそれは、毎年のことだったはず。僕がトリガーになったのか? それなら、なぜ、僕が? そもそも、憑依されている間のことなんて普通、覚えているのだろうか? しかし、僕は、はっきりと覚えている。心揺さぶられた感情と共に。


Chapter3_5


「あなた、本当に大丈夫なの?」

「今日は力を使い過ぎたのかも、少し休めば問題ないよ」


「家まで送るわ」

「だから、大丈夫だって」

「信人が大丈夫でも、私が大丈夫じゃないのよ!」


「それと、信人は覚えてないかもだけど、ありがとう……」


 信人に肩を貸す李依。


「それで、あなたの家ってどっちなの?」

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