第二話 自殺大作戦
2-1
二十五年間の夢、二十年間の猫、六年間の恋が、全て消えてなくなってしまった。
四つの頃からずっと料理が好きだった。だから将来は料理をする仕事に就きたかった。でもダメだった。親に調理師学校に行かせてもらえなかった。そんなことより普通の大学に行って普通の会社員として普通の仕事をして、そして普通に結婚をして子どもを作りなさい。そして自分は自分で家出をする度胸もなかったからそのまま家事手伝いという身分になってしまった。それでも料理は好きだった。それでも料理が諦められなかった。でも自分が家事手伝いというつまりニートであることは自己嫌悪が止まらなかったし、やりたいことがあるのにやらせてもらえないことが納得いかなかった。親や親戚がお見合いの話を持ってきたことは何度も何度もあったが、そんなことより料理人になりたかった。もしもあのとき親が学校に行かせてくれていたら? あるいは家出をするような度胸が自分にあったら? 全ては後の祭り。料理の腕自体は磨かれているような気はするが客観的な評価を得られていないため自分の力がどれだけのものかはわからない。
小学校二年生のとき、台風の夜、家に迷い猫がやってきたので、そのまま飼うことにした。とてもかわいかった。うちの猫が世界で一番かわいい。ずっとその子をかわいがっていた。友達たちにも評判の美少女で、この子と一緒にいるということは何よりも癒しだった。でも生き物はもちろん寿命があり、今年二十歳で死んでしまった。それまでずっと元気だった。避妊手術で一度獣医に行ったきり病院の世話になることはなく、ずっと元気な子だった。前日まで階段を登って自分の部屋でゴロゴロしていたのだが、翌日、昼寝をしてから一階に降りて行ったら死に向かっていた。腕の中で死んでいった。この子は果たして幸せだったのだろうか。結果的にはニートでずっと家にいたわけだから、この子と一生一緒にいられたのはよかったのかもしれないが、それをよかったというのは何だか限界を感じる。とにかくあの子はもういない。私の生き甲斐だったのに。
六年前、ネットで知り合った男の人。北海道在住ということだがよくよく考えてみれば実際のところはわからない。六年間会っていなかったからだ。ずっと文字だけのお付き合い。写真を見せ合ったこともない。だからどんな人だったのかは自己紹介でしかわからなかった。それでも恋だった。知的な文章が好きだったし、言葉遣いはとても丁寧。育ちが良い人だったのだろう、ということはインターネット上の情報だけでもすぐに推測がついた。会いに行きたかったが、北海道に行くことはできない。私はもう大人で、大人は北海道にも沖縄にも行きたいときに行けるのが大人だと思うが、そこが私はニートの子どもに過ぎないということだった。単純にお金の問題があったし、親に出してもらうわけにもいかない。ネットで知り合った人のもとに行きたい、なんて言っても、絶対に否定されるに決まってるし、もしかしたら関わりを遮断されるかもしれないと思ったら資金を出してもらうことを願うことはできなかった。そして単純に、飛行機に乗る、という、ただそれだけのことが怖かった。自分にとってそれはあまりにもハードルの高い行為だったのだ。だから結局会えなかった。
その人は子どものときからずっと病気を患っていたそうだ。時々発作が起こることもあり、そんなに長くは生きられないということだった。のだが、奇跡的に手術が成功して寛解の方向に向かっていったのだと聞いて私はテンションが上がった。と思ったら交通事故で死んでしまった。人生は何が起こるかわからない。こんなことなら、会いに行っていれば良かったと思うが、それにしてもその方法がわからなかった。その人が亡くなったということをその人の妹だという人の書き込みでわかって、しばらくはショックだったが、しかし自分は葬式に行くこともできないんだなと思ったらなんだかショックを感じること自体に罪悪感を覚えた。
そしてその人が亡くなったことで、料理の夢がなぜかある日突然潰えた。なぜかはわからない。まるで関連性がわからない。とにかく恋が消えたと同時に夢も消えたのだ。あるいは最初は好きだから、やりたいことだから料理を作っていたのだが、その人と出会ってからの六年間、ずっといつかその人に食べてもらいたいと夢見ながら頑張っていたことで、その人にもう自分のご飯を食べてもらうことは絶対にないという事実が夢を失わせたのかもしれない。
今の自分は何もない。夢もない。愛もない。恋もない。何もない。
親は日々しつこくお見合いの話を持ってくる。でもこの六年間はずっと彼が好きだったから尚更結婚などどうでも良かった。子どもが欲しいという気持ちはある。でも、なんだか今、どうでもいい。親は働いてほしいということをいつも雰囲気で言ってくるし、それが無理ならせっかく家事ができる女なのだから結婚してほしいと言ってくる……自分は自分で、確かにいつまでもこのままでいてはいけないという風には思っているのだが——だが。
何のために働くのだろう。夢も愛も恋も失ったのに何のために働くのだろう。生きるために? 生活のために? それが説得力もリアリティもない。だって、そんなの親に養ってもらえばいいんだもの。それで親が死んだら家を売ればいいんだもの。それでお金を遣い果たしたら生活保護でも受給すればいいんだもの。夢も愛も恋も失った今、生きるために働くということに何の説得力もリアリティもなかった。欲しいものは何もない。欲しいものは料理人になる未来と大好きなあの人だった。猫のあの子がやがて死んでしまうことはわかってはいたがそれでも実際にあの子がいなくなってしまって今の私は空虚な気持ちに満ちている。何といっても同じタイミングで恋を失い、そして連鎖的に夢も失ってしまったのだから。今の自分には何もない。今の自分には、何もなくなってしまった。
それなら——自分は一体何のために生きているのだろうか。
自分は一体何のために生まれてきたのだろうか。
二十五年間の夢、二十年間の猫、六年間の恋が、全て消えてなくなってしまった。
それなら——いっそ——。
「要するに、死にたい、と。ええと……」と、十三は目の前の被験者を見つめる。「
「はい」
ゆっくりだが、しかし紅葉ははっきりと即答した。
「夢も猫も恋愛も失って、何のために生きているのかわからない?」
「はい」
「でも、夢は新しい夢が見つかるかもしれないし、猫は毛皮を変えてやってくるかもしれないし、恋なんて七転び八起きですよ」
「私はデブだし、ブスだし」
「それが?」
「見た目が悪いというだけでそもそも生き辛かった」
「でも、お友達がそこそこたくさんいたんでしょ? 猫をかわいがったり、ご飯を食べてくれたりする」
「みんなブスでしたし。所詮類友です」
だからブスなんだな、ということは流石に十三は言わなかった。
「ふむ」
「明日はきっといい日になる、って、どうしてもそう思えない。私にとっては料理もあの子も彼も——あまりに絶対的過ぎたから」
「なるほどね」
「でも死ぬのは怖いし痛いのは嫌だし」
なかなか話が本題に入ってきた、と思い、十三は両手を組んで、うん、と応える。
紅葉は続けた。
「首吊りは単純に苦しそうだし、刃物なんてもってのほかだし、飛び降り自殺って、もし下に人がいたらその人が死んでしまって自分が生き残る確率が高いなんて話を聞いてしまってはとても実行できない」
「よく考えてますね」
「でも死にたいんです。もっと言えば、もう生きていたくない」
「だからこの実験で、夢の世界で死んでみたい、と?」
「はい」と、穏やかだが力強く紅葉は答えた。「明晰夢って、リアルなんでしょう? だから、そしたら、ここで楽に死ねたら、実際にも死ねるかなって」
「なるほどね。自殺のテストにデジタナを使いたいわけですね」
「ダメですか?」
「いや? あなたの人生がどうなろうがそこは別にどうでもいいですし」
ぐ、と、紅葉は言葉に詰まり、意味もないと思ったがなんだか言い返したくなった。
「事実上の自殺幇助罪に問われるかも、多鍵さんが」
「まだ実験段階なので関連性が見えないでしょうね」
「……なるほど」
なんだか面白くない、という気持ちをやや抱えて、しかし気を取り直して紅葉は言った。
「うまく死ねる方法は何かなと思って」
「そうですね。まあ、メジャーどころで楽に死ねそうなのは拳銃自殺とかですかね?」
という十三の提案に、紅葉は目を輝かせた。
「苦しくなさそうです。引き金を引けばいいだけなんでしょ」
「銃器の扱いには詳しくなくてね、すみません」
「いえ。とにかく——夢ですし」
「そうですね。夢ですね。じゃあ、始めてみましょうか」
紅葉は疲れたように、だが、微笑んだ。
「よろしくお願いします」
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