1-6

 というわけで八紘は目覚めた。

「どうですご気分は」

 と訊ねてくる十三に、またも疲れ果てた様子で八紘は答えた。

「あまり」

「でしょうね。私も今のシミュレーションみたいになってたかもしれないとふと思いましたよ」

「よくまともになれましたね」

「まあ、さっきの話じゃないですけど、自分自身の意志の問題でしょうか」

「意志ねぇ……」

 十三はヘッドホンを机の上に置いた。

「何かをするのは何かをするためですから。今の夢にそういう様子はなかったですね。ひたすら研究するって感じで」

「天才のイメージだったんですが」

「エジソンだってアインシュタインだって、目的のために勉強していたわけでしょ。あなたはどうだったんですかね」

「目的ねぇ……小学生の頃は純粋に勉強が好きだからやってたんですけど」

「の、結果が、今の明晰夢なんですかね」

「……」

 はあ、と、八紘はため息をついた。

「やや鬱ですね」

「悪夢でしたから。それもリアルな」

「そういう実験ですからね」

「はあ」

「で、次、やります? 時間ならまだありますよ」

「ええと……」

 考える。音楽もダメ、天才もダメ、それじゃ今の自分は何を夢見る?

 自分には、どんな可能性がある?

「謝礼はたっぷりと」

「やります」

「ああ、良かったです」

 そんなに金に困っているわけではなかったが——金があるに越したことはない。

「どんな夢を?」

「大金持ちになってみたいです」

「ほう」と、十三は首を傾げた。「それなら今のあなたもなかなかの高収入なんじゃないですかね」

「規模の問題です」

「なるほど。では、どうぞ」

 八紘は寝転ぶ。

 結局のところ人生はどれだけ豊かな生活が送れるかどうかだ。ミュージシャンだって天才研究者だって、要するにそこを目指しているはずだった。音楽のために音楽をするとか、研究のために研究をするとか、そういうことではなく、生活のために金のために人は働くはずだ。何かをするのは何かをするため。まさに今の大企業勤めの会社員である自分自身がそうではないか。それではもっと巨大な規模で金を持ってみたい。半ば維持のシミュレーションだった。諦めが悪い自分を変えようと思い立ったがだからこそ諦められなくなっていた。何とかして幸福絶頂の明晰夢を見たい。どうせ自分の意思で自分の好きなように世界を支配できるなら、せっかくなら幸福になりたい。それなら結局のところ人は金を稼ぐために働いているのだから、その最終地点に辿り着いてみたかった。そしたらもしかしたら、今のサラリーマンを、一生懸命情熱を持って取り組めるかもしれない……。

 薄れゆく意識の中、ふと八紘は思った。


 情熱か。


「八紘さま〜こっちに来て〜」

 甲高い声の女たちに呼ばれ、けばけばしいスーツを着た八紘はワイングラスを持ってそちらのソファへ行く。

「何だいみんな?」

「もっと楽しみましょ〜」

「おうおう。今夜は眠らせないぞ」

「きゃあ〜」

 どうやら高層ビルの一室のようだった。窓の外には夜景。夜景が光り輝いているということはこんな深夜も働いている人たちがいるということ。それを天高く見下ろす自分は何というエリートなのだろう。女たちはなぜかみんな全裸よりもいやらしい格好をして酒を飲んでいた。ドンペリだった。ドンペリというものを飲んだことも見たこともない八紘ではあったがこれまたイメージの中のドンペリであった。とにかく美味であることだけはわかる。そして葉巻を吸う。葉巻も吸ったことも見たこともないし吸い方もわからないが、とにかく八紘は煙を吐いた。

「八紘さま」

 と、後ろから若い男の声が聞こえた。何だ、と思いながら振り返る。スーツを着た以外に特に特徴のない若い男が何らかの書類を持っていた。

「明日の予定なのですが」

「後にしてくれ。忙しいんだ」

「かしこまりました。お酒はほどほどに」

「お前はクビだ」

「えっ」

「俺に説教をするなど何様のつもりだ。消えろ。もう俺の目の前に二度と現れるな」

「……」

 悲嘆に暮れながら男はどこかへと去っていく。もう女たちとのパーティに集中している八紘はその男がどこから来てどこへ行くのかなどまるで興味はない。

「さあ、みんな。札束だ」

 と、どこからともなく八紘は札束を取り出し、それを振りまいた。

「きゃあ〜!」

 女たちがそれに群がり、それを拾う。

 いい気持ちだ。自分は選ばれたエリート。会社員を一生懸命情熱を持って取り組んでいれば最終的にはこの領域へと辿り着けるはずだ、と、八紘は現実の世界へと帰った後のことを思う。思うと同時に、このままずっとこの夢の中にいられたらいいのにと思う。幸福の絶頂だった。音楽も研究も、そんなものなどどうでもいい。この快楽と悦楽こそが、自分が生まれてきた証。

「さあ〜金だ、金だ。もっと金をやるぞ〜だから俺を楽しませるんだぞ〜」

「わかりました〜」

 と、どんどん札束を振り撒いていく。

 どんどん振り撒いていくと、だんだんなくなっていった。

「もうないんですかぁ〜?」

 金は遣えばなくなる。どんな億万長者であってもそれは例外ではない。それは当然の話だ。

「もうない」

「え。じゃ、帰ろ」

 女たちはさっきまでの享楽の表情を一気に消滅させ、出口へと向かっていく。

 これはいかん、と思い、明晰夢であることから八紘は“そこ”に無数の札束を出現させる。

「今のは嘘」

「やっぱり八紘さまは最高ですぅ〜」

 と、再び女たちは満面の笑みでこちらへとやってくる。

 ……現実的には、こうはならない。金は遣えばなくなるわけだから……。だからなくならないように物凄く稼がなければならない……働かなければならない……この俺が? この俺様が汗水垂らして働く? 冗談じゃない。俺は金を持っている。それなら労働の意味などあるはずがない。なぜなら、金を持っているのだから。

 今の自分のこの金がどこから来ているのかを八紘は知らない。それは明晰夢の中そのように世界をコントロールしているというより、大富豪がどんな日常生活を送っているのかなどをまるで知らないからだった。故に資金源もわからないし、“これ”が大金持ちの遊び方であった。大金持ちの遊び方など知らないのだからイメージが貧困でも仕方がない。

 デジタナ理論は何らかのデバイスによってそれを簡易的に操作する。周囲の情報。共有とアクセス。

 いや今の遊びに集中しよう。そう思い八紘は顔を綻ばせワイングラスを飲み干した。そばにあったチーズのようなものを食べる。美味だ。たぶんチーズだとは思うが、普段コンビニのチーズしか買わない八紘にはチーズであることしかわからない。

「八紘さまぁ〜。もっともっと〜ああ〜ん〜」

 無数の女たちは俺を求めている。

 ——のではない。

 俺のを求めているのだ。

「八紘さま。八紘さま。八紘さま」

 無数の人間たちのイメージ。何者なのかわからない。ただ一つだけわかる。

 ——全員、俺の金目当て。

「桜井八紘!」

 そのとき、バン! と凄まじい音を立ててドアが開いた。見ると血相を変えた中年男性がナイフを持って現れた。

「お前のせいで! お前のせいで俺の家族は!」

 猪突猛進。何の気の迷いもない。慌て始めた瞬間、八紘の心臓にナイフが突き刺さる。

 血が流れ血を吐く。体が動かない。もう俺は死ぬ以外に何もない。

 ……大金持ちになりたい、という夢は、夢を見るだけなら誰もが夢を見るものだとは思うが、その最終地点は……これなのだろうか。それなら人は何のために働くのだろう。どうせ働くなら高収入がいいというのは誰もが思うはずだった。そして金を稼いだ結果が、これ。これが人間の最終地点……?

 何かをするのは何かをするため。

 それなら俺が会社員として働くのは、何のため。

 無数の人々がいるのに八紘の周りには誰もいなかった。八紘は孤独に死んでいく。札束に囲まれながら殺されて死ぬ。それが自分の人生だったのだな……。


「おはようございます」

 椅子に座ってヘッドホンを取り外す十三を、八紘はキッと睨みつける。

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