1-3
気がついたらステージの上にいた。
あっと驚いた。さっきまでマンションの一室のベッドの上に寝転んでいたのだから当然だ。しかし、そうは言ってもライヴは続く。八紘はそれまでと変わらずエレキギターを奏でながらマイクに向かって歌を歌う。目の前にはたくさんの観客。チラリと観察してみるとバックバンドは見知らぬ男性たち。おそらく自分のイメージの構成の結果なのだろうと何となく思った辺りで八紘はその気になってきた。そうだ今は明晰夢の中。十三のマシンによって人工的に夢の世界の中にいるのだ。そう考えてからは一気に頭が冴えてきた。歌を歌う。ギターを掻き鳴らす。ベースともドラムともキーボードとも相性がいいようだ。そのように設定しようと思うとそうなる、ということのようだった。とにかく気持ちがいい。こんな大きなステージで無数のライトに照らされながら大好きだった音楽を演奏するなんて何という愉悦だろうと八紘は感激していた。
しかし曲がちょっとつまらないように思う。夢の中の記憶によると、イントロがあり、Aメロ、Bメロ、サビ、Aメロ、Bメロ、サビ、間奏、Cメロ、サビ、サビ、アウトロ……という流れの曲が基本のようだった。これでは単なるJ ポップではないか。自分の大好きなディープ・パープルやレッド・ツェッペリンのような曲を弾きたい。と思い、次の曲目では学生時代の自作曲をやる。
あれ。いまいち盛り上がらない。
なんていうわけにはいかない。それでは愉悦に浸れない。だから設定する。この曲で感動させられるように。するとすぐにさっきまでのモードに観客たちは戻る。
悪くない……はずだったが。
しかし八紘は、この声援が自分のコントロールによるものであることがどうしても気になる。さっきまでの普通のJポップのときはそんな設定など組み込まなくとも観客たちは感激の反応を示していたのに。自分の音楽に問題があるのか。いやいや。でもそうかもしれない。だって、結局、自分は、現実の世界では音楽家になれなかった……。
ごくごく普通の、AメロがメジャーコードでBメロがマイナーコードでサビがメジャーコードという楽曲を演奏しながら八紘は何となく思う。学生時代のライヴハウス時代。バンドを組んで演奏するのが楽しかった。他のバンドたちとの対バンも楽しかった。毎日が愉快だった。
しかし、音楽性の違い、などではなく、ちょっとしたごくごくつまらない言い争いでバンドは解散する。するとメンバーのギターがその後メジャーデビュー。すぐにヒットチャートを駆け上り、ベースもスーパースターではないもののプロのスタジオミュージシャンとして声をかけられたことを思い出す。更に思い出す。対バンしたバンドたちもどんどんデビューしていった、あるいはインディーズながら売れていったことを。しかし自分はいつまでも“そこ”にい続けていたということを。
だから気持ちに負けてしまった。音楽をずっとやりたかった。何年何十年かかってもプロになってやるメジャーになってやる売れっ子になってやると決意していたが、こう周囲の者たちがわかりやすい成功を手にしていくのを目の当たりにしていくとどうしても劣等感が生まれてしまう。自分の音楽の何がダメなのだろう。いわゆるJポップではないのがいけないのか。しかし普通のJポップとやらをやらなくとも売れているスターたちがいるではないか。なぜ俺はダメなんだ。なぜ俺はダメなんだ……。
やがて気持ちに負けてしまった。
絶対成功してみせると思っていたのに、気持ちに負けてしまったからにはどうしようもない。
しかし今、擬似的ではあるがステージの上に立っている自分を思う。今の、メンバーに支えられスタッフに支えられ観客に支えられている自分は気持ちが強い。
気持ちに負けたから、諦めてしまった。
……しかしどんな道であっても、気持ちに負けないで続けていることで、みんなプロになっていくのではないか。
所詮結果論だと思う。しかし、勝負は結果が全てだ。
やがてライヴは終わる。ステージが終わっていく。八紘はごくごく普通の盛大なバラードを歌い、そして、ステージを降りる。
廊下にはたくさんのスタッフたち。みんなが笑顔で楽屋へと向かう八紘を見送る。無論全員夢の中の住人たちであり、自分の友人知人は一人もいない。その割には顔がはっきり認識できているのが不思議だったが、しかし、普段見ている夢もそうだ。そして目覚めてしばらくしたら顔の造作など忘れてしまう。おそらく自分も実験が終わり覚醒に至りしばらくしたら顔の造作など忘れてしまうのだろうと想像しながら、八紘は楽屋へと入る。楽屋は個室に設定した。虚構のバンドメンバーたちとコミュニケーションを取るより一人で静かにしていたかった。
ふう、と、八紘はタバコを吹かす。いいライヴだった。明晰夢ということだが、しかし、最高だった。これが現実だった場合、自分は幸せに生きていられたことだろうと八紘は思う。少なくとも今の会社員生活よりは刺激の強い毎日になっていたはずだと八紘は思う。
すると、ドアが叩かれた。はーい、と返事をする。すると眼鏡をかけた以外は特に特徴のない自分と同世代の男が現れた。
「はい?」
「やあやあ桜井さん。今日も大盛況でしたね」
ああ、この男は自分たちのマネージャーなんだ、と思った。確かにライヴ終わりに楽屋にいればマネージャーぐらい来るだろう。
「ありがとう」ございます、と言った方がいいのだろうかと思い、「……ございます」と続けた。マネージャーという存在が自分と同輩以下の存在なのかどうかちょっとわからない。
「どうもどうも。今回のアルバムもなかなかの売り上げで嬉しいですよ。これからももっといい曲作ってくださいね」
いい曲というのは、どういう曲なのだろう。
普通のJポップ?
ディープ・パープルや、レッド・ツェッペリンが好きなのだが。
「今度はもうちょっといい意味で裏切りたいですね」
「はて、と、おっしゃいますと」
マネージャーの、眼鏡が、というより、眼光がキラリと光ったように見えた。
「だからぼくの大好きな、ツェッペリンみたいな」
「ああ〜そういうのはウケないですからダメです」
「え」
目を剥く。
マネージャーらしき男は続けた。
「会社としては売れる曲を作ってくださいっていうのが全てですね。あなたの趣味はあなたの趣味でいいんですけど、そういう古臭いクラシックみたいなの聴衆は求めてないんで」
「え。え。古臭いクラシック?」
「やっぱ今どきは電子的なアレンジがいいですね。今日なんかも良かったですよ」
「え。でも。でも。いい意味の裏切り……」
そこで男はバッサリと斬り捨てた。
「求められた仕事をするのがプロです。あなたの趣味嗜好は世間様に求められてないんすよ」
目の前が真っ白になった。
でも、確かに、自分の音楽が聴衆に求められていないことは、さっきの観客たちの反応と、そしてそこにわざわざ設定をすることで感激させたことを思い出す。客は俺の好きなものなど求めていない……それが気に入らなくて観客の感情をコントロールした……人為的に。
しかし……現実の世界の会社員の自分の仕事を考える。確かに仕事は求められたことをするものであり、そしてそれに見合った対価として給料をもらう、それがプロだ。それは音楽でも変わらない。仕事は趣味ではないし、音楽産業は慈善事業ではない。レコード会社も、おそらく所属しているであろう芸能事務所も商品が売れなければ倒産だ。その前に自分は契約が更新されない。だから売れる曲を作らなければならない。ごくごく普通のJポップを。そして流行りの音楽を。とにかく売れる音楽を。そんな中でクラシックと化したようなロックは求められていない……それはわかる、わかるのだが、しかし、今ここは夢の世界。それも人工的に作り出された明晰夢の世界。ではでは。
「多鍵博士」
一人呟く。するとすぐに頭の中で声がした。
「はい。何でしょう」
「明晰夢って、自分の好きなようにできるんですよね」
「さっきも言いましたけどあなた次第です」
では、と思い、八紘は指を鳴らした。すると、その男性マネージャーの代わりにそこに茶髪である以外に特に特徴のない若い男性が現れた。
「どうもどうも。いやあ。桜井さんの懐かしくも新鮮なロックは最高ですよ」
新しいマネージャーにチェンジした。さっきまでの眼鏡は要するにクビだ。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」今度は自分の方が偉いんだぞということを示すために八紘は敬語をやめた。「今後も本物のロックを広めていきたいね」
「いいと思います。流行りを作り出すのが真のアーティストです」
「そうだろうそうだろう」
ふふ、と、微笑み、そして八紘は再びタバコを咥える。
「えーと。それでですねこの次の仕事なんですけど」
「え?」今、二時間を超えるステージが終わったばかりのはずだ。ふと時計を見る。二十三時だった。真夜中だった。「こんな真夜中に?」
「そりゃもう。売れっ子さんなんですからどこもかしこも桜井さんを望んでるんですよ」
そう言われるといい気になってくる。そりゃそうだ、売れっ子は売れているものであり、そしてそれは需要があるということだ。このスーパースターの俺様を放っておくバカどもがいるはずがない。八紘はいい気になってきた。
と思ったら、その茶髪マネージャーは衝撃的な発言を繰り広げた。
「えーとですね。この後、二十分後に音楽雑誌Aの取材あります。その次はファッション雑誌Bですね。どちらも今どきのアホみたいなJポップに対して桜井さんの音楽とスタイルを言葉で響かせてください。で、その後はラジオです。もう三十年以上続いている深夜ラジオを二時間ね。その後はテレビ番組の収録です。生放送じゃないので、ま、旅の恥は掻き捨てってもんです。あ、でもイメージは崩さないようにね。えーとでそれが終わってからは都内のレコードショップでイベント握手会……」
「ちょっと待って」
と、八紘はお喋りな口を止めた。
「いつ寝るの?」
すると、茶髪はニコニコしながら、しかし、強烈な眼光を光らせながら言った。
「スターは寝ません」
「えっ」
「スターだったらどんなに忙しくても笑顔でサービスしてください。えーとその後のスケジュールは……」
ダメだこの茶髪マネージャーもクビだ。
楽屋には誰もいなくなり静かになった。
もう家に帰ろう。……しかし、仕事をしなければ売れっ子は売れっ子を維持できない。……しかし今日のところはとにかくさっきのライヴで今日の仕事は終わったことにして家に帰ろうと思った。
楽屋を出て、誰もいない廊下を歩き、勝手のよくわからない建物の中を何となく出口を目指して歩き、やがて外に出る。真夜中。街灯の光に照らされたまっすぐな道。さあ家に帰ろう。と思いしばらく歩いているとすぐ自宅マンションに到着した。実際はこんな近所に家があるはずがないので、だからこれは夢の中なのである。
部屋に戻る。
何だか疲れてしまった。
寝室らしき部屋に到着し、中にあったベッドに寝転ぶ。
天井を見上げる。
……しかし確かにプロのミュージシャン、しかも売れっ子のスーパースターは過密スケジュールのはずだ……とは思うのだが、しかし、これではとても人間らしい生活とは言えないのでは。スターは寝ません。しかし確かにいつも聴いている深夜ラジオのパーソナリティたちは、当然生放送なので深夜未明に仕事をしている。その後、次の仕事に向かうのだろうし、それが終わったら次の仕事、それでもニコニコとファンサービス……。
加えて自分の場合、そんなに好きでもなく何ならくだらないと思っているJポップを金のために作り弾き歌い、そして自分が本当にやりたい音楽は一銭にもならず歓声も呼ぶことなく、ただただ大好きな音楽を金のための道具として手段として、こんな狂った生活を日常を人生を……。
これが自分の望んだ夢なのだろうか。
こんなものが現実なのだろうか。
こんな狂気じみた生活はもう嫌だ。夢の中で何年もそんな風に過ごしてきた自分を思い出し、やがてその悲劇を実感し、やがて体感としてこれまでの苦労と疲労を感応し始める。一気に体が疲れ頭が疲れ心が疲れ、そこでふと机を見ると、そこには一本の注射器と白い粉が。
「ああ」
ちょっと、楽になろう。どんなに仕事に忙殺されていても、これがあれば、乗り越えられる、これさえあれば乗り越えられるのは、経験上知っている。
起き上がりそちらへと歩いていき、やがてそれを手に取り……。
「桜井さーん」
頭の中で声がする。狂ったミュージシャン生活をしているのだ、そんな中では幻聴が聞こえてきても……。
?
いや違う。
これは、多鍵博士だ。
「おはようございます」
次の瞬間、ベッドの上で目覚めた。
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