契約
目の前の現実を、正しく情報として脳に送り込むのに、いささか時間がかかる。俺の視界に映るソイツは――人間のようなフォルム、しかし普通の人間にしてはガタイが良いどころの騒ぎではない。黒と灰色の体に、紫の顔、顔の周りには、鬣のような毛が生えている。頭に生えたヤギのような角が、『私は人ならざる存在です』と主張する。
静寂の中、真っ赤に染まった目で俺を見る。そいつは、まぎれもなく。
「お前…は、悪魔、か?」
恐る恐る言葉を紡ぐ。やつが口を開くだけで、心がざわめき立つ。
「お前は悪魔を喚ぶつもりでこの仕掛けを作ったのではないのか? つまり、当然私は悪魔だ。 まぁ、すぐには信じられないものか。」
そりゃ、そう簡単に飲み込めるものか。心臓はまだ早鐘を打っている。
「そんなことが、あり得るのか?」
そんなこと目の前の奴に言ったってしょうがないだろう、が、そんな理性がはたらくわけもない。
「あり得る。」
「そうか。」
そして、再び静寂。悪魔と気まずい空気を演出する日が来るとは思わなかった。
「私が悪魔であることを証明した方がいいか。今、外に停まっている車の1つや2つをつぶせば、状況を飲み込みやすくなるか。」
悪魔がまさに悪魔的な提案をする。
「いやいや、やめてくれ。そういう余計なことをするのは。」
「……先ほどより幾分か落ち着いたように思える。この短時間でよくもまぁ。」
ここまで法外なことが起これば一周回って冷静になれるというものだ。
そうだ。俺は正気だ。大丈夫だ。こいつが、悪魔だというのなら――
「どうも。それで悪魔さんは、俺に一体どんな益をもたらしてくれるんだ。」
そう切り返すと、悪魔は訝しげに声を出す。
「随分と切り替えの早いことだ。気味の悪い。それにもう損得の話とは。これは人間の世界では生き汚いと言われるのではないか。」
「利に聡いと言ってくれ。それに、気味の悪さもお前ほどではない。」
悪魔は一つ溜息を吐いた。
「はぁ。豪胆で結構。して、私がお前にどんな利益をもたらせるのか、という話だが。」
唾をのむ。悪魔が俺にもたらしてくれる利益……
「お前は、私と契約をすることができる。代価を払えば、一時的に人智を超えた力を行使することが可能になる。」
まるでフィクションの世界だ、と、今日飽きるほど浮かべた思考を飲み込む。
「例えばだが、任意の1人の人間を殺すこともできる。お前がそれを望むなら、世界中、誰だってだ。」
いきなり物騒な話をする、そういう所も悪魔らしい。いや、それより確認すべきなのは――
「代価は何を払うんだ。人間世界の通貨じゃあんたの腹は膨れなさそうだが。」
悪魔は薄ら笑いを浮かべた。
「寿命だ。」
……なるほど、そう来たか。まぁ悪魔の契約って感じだな。
「今、私が提案できる契約は3つだ。
1つ目は、対象の思考をのぞける契約。1回につき、10年分の寿命をいただく。
2つ目は、時間を停止させる契約。停止時間、停止状態の中で動ける対象を指定できる。動ける対象を1つ指定した場合、3秒につき1年分の寿命をいただく。2つ指定した場合はその倍、3つ指定したら3倍だ。指定できる数に限りはない。
3つ目は、さっきも言ったが、任意の相手1人を殺せる契約だ。1人につき、50年分の寿命をいただく。」
この超常的な話を冷静な頭で聞けるようになっているあたり、人間の適応力は素晴らしいと思う。
「いい商売してるな。一応聞くが値切りとかはできるのかな。」
「当然だが答えはNOだ。まぁ私は低級の悪魔だから、提案できる契約の幅もあまり広くないし、代価に必要な寿命も長くなっていることは否定できない。」
……なるほど、外れくじをつかまされたわけか。
「質問してもいいか。この契約をしたいと俺が思ってから、実際に成立するまでどれくらい時間がかかる? まさか書面にサインや印鑑が必要だったりするのか?」
「心配ない。お前が契約を結ぶと決めれば、刹那のうちに成立させることができる。」
ふむふむ、それはなかなか便利なことだ
「もう1つ、時間停止の契約について確認したい。例えば止まった時間の中で俺だけ動けるようにしたければ、対象に自分を指定すればいいということか? その場合は他の物に触れても動かしたり力を加えたりはできないということか? そして例えば俺とリンゴの2つを指定すれば、俺と指定されたリンゴだけは、動く、動かすことが可能になる、という解釈で大丈夫か。」
「その通りだ。ちなみにだが、水のような流体、雨のような現象に対する指定が可能な場合もある。ケースバイケースだが。」
契約という事象において、曖昧さは限りなく削らなければならないと思うが、悪魔の世界では少し違うのか? ケースバイケースなんて、勘弁してほしいが……
「わかった。次に殺しの契約についてだが、どういう死に方になる? 指定できるのか?」
「指定はできないし、悪魔の力だからといって急に体が爆発したり溶けたりして死ぬわけじゃない。一般の人間たちには、超常現象だと察知されないような死に方になる。相手によるが、過労やストレスによる自殺や、事故死になることが多い。」
死に方は指定できないのか。50年も使う割には不便なんだな。
「なるほど、わかった。それと最後に、代価に使える俺の寿命は残り何年なんだ?」
「それは教えられない。そういう決まりになっている。」
「はぁ? 残りの残金を確認できないということか? じゃあ寿命が50年必要な契約を急にしようとしても、できない可能性があるってことか。」
「その心配はない。たとえ残りの寿命が3年でも、5年や50年の代価を必要とする契約はできる。寿命にもマイナスがあるからな。ただ、1年単位で寿命を扱う時間停止の契約については、自分の残り寿命以上分の時間を止めることはできない。何秒止めたいと言っても、払える寿命分の時間が経過すれば、そこで停止は解ける。」
「寿命がマイナス何年とかになるってことか? そうなったらどうなる。」
「教えることはできない。」
強く言い切られて思わず押し黙った。俺の直感が、これ以上深掘るなと警告している。
しかし、これで疑問は解決した。
「そうか。ありがとう。今のところ質問はもうない。」
「ならいい。もちろん契約なんて全部無視して何もしなくてもいい。まぁ私は自分の現界力がなくなるまでお前に付きまとうがな。」
「付きまとう? お前に付きまとわれているのを周りに見られたら俺はお縄につかざるを得ないだろうが、お前の姿は他人には見えないとかか?」
「お察しの通りだ。契約者以外に悪魔の姿が見えることはない。」
「ならよかったよ。」
しかし、契約なんて無視してもいい、か。
―—そんなこと、するはずがない。これはチャンスだ。
悪魔の力があれば、今まで足踏みしていた俺の復讐も、前へ進めることができる。
代価がなんだ。もとより俺は命を投げ出すつもりで計画を進めてきたのだから、寿命のちょっとやそっと、喜んで差し出すさ。
新たに手にしたこの武器を持って、必ず成し遂げてやる。
日本を揺るがす、前代未聞の巨大テロリズムを――――
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