第20話 砕かれる枠、残る歪み
白く散る断片が、次から次へと形を結んではこちらへ迫ってきた。
「雑魚どもが……」
と苦々しく吐き捨てる。
「とにかく枠だ。あれをやる」
「近づく前に埋もれそうだな」
狭霧の声は低く硬い。封圧弾を構えながら、薄闇に舞う白群を睨み据えた。
「静胡さん、新見さん——こっちへ」
鴇神の声が飛ぶ。
二人は迷わず応じ、迫りくるエグゾをベクトリアで払い落としながら、鴇神のもとへ駆け寄った。白片が宙を裂き、紙の雪が散る。
鴇神は側部のグリップを握りしめ、前輪軸に増設された黒い補助ユニットへ視線を落とす。
「新パーツ、使います」
短く言い切ると、その声にはわずかな緊張と決意が滲んでいた。
新見と狭霧は視線を交わす。
「どうするんだ」
新見が低く問いかける。
「逆位相で枠の揺らぎを止めます。そうすればエグゾの湧き出しは抑えられるはずです。ただ、範囲は狭い。私のすぐ前方、扇形十五メートルほどしか効きません」
鴇神は視線を上げ、新見と狭霧をまっすぐに見据えた。
「そのあいだ私は動けません。静胡さんは周囲を封じてください、新見さんは枠を」
言い切る鴇神の声音は、わずかな逡巡もなかった。
新見と狭霧は無言で頷き、それぞれの武器を構え直す。
鴇神が深く息を吸い、短く言い放った。
「——いきます」
前輪の補助ユニットが低く唸りを上げ、黒のフレームに淡い振動が走った。車椅子の前方に、肉眼でも判別できるほどの干渉縞が扇形に展開する。空気が微細に震え、淡い橙色の格子状のパターンが壁面や床に投影されていく。
その網目にかかった“枠”が、次々と異常を止めた。
大型スクリーンはノイズ混じりの波打ちを見せていたが、干渉格子に包まれた途端、映像のブレが消え、波紋のような揺らぎは完全に凍りついた。掲示板の枠も、小窓の枠も、白片を吐き出す動きをぴたりと止める。
鴇神は両肘を深く押し込み、身を沈めていた。左手のグローブが橙の閃光を散らし、車椅子のフレームが悲鳴のように軋む。押し寄せる力に振り落とされまいと、歯を食いしばり、全身で必死に抑え込んでいた。
その背を覆うように狭霧が立ち、封圧弾を絶え間なく投擲する。飛びかかろうとする紙片の群れを片端から焼き払い、無防備な鴇神へ一歩も寄せつけない。
「新見さん」
鴇神の声に、新見は駆け出した。扇形の中で宙に浮いている掲示板へ迫る。
ベクトリアを振り抜いた瞬間、波打ったまま凍りついていた枠が鋭く震え、硬質な破砕音を響かせて崩れ落ちた。間を置かずに振り返り、小窓の枠を薙ぎ払う。鋭い閃光が走り、枠は粉砕されて宙に散った。さらに大型スクリーンの枠へと踏み込み、全身の力を込めて叩き込む。圧し潰されるような衝撃音とともに、最後の枠もひび割れて崩壊した。
「よし。いけるな」
狭霧が息を吐きながら言う。
鴇神は返事をしなかった。両腕は固まったように動かないが、肩は荒く呼吸を刻んでいる。額には細かな汗が滲み、橙色の光を放つ左手はかすかに震えていた。
「ルザナ?」
狭霧が声をかけると、わずかに顔を上げて息を整え、短く答えた。
「大丈夫です。次、行きましょう」
そう言うなり、前輪のユニットを押し出した。きしむフレームを無理やり動かし、振動の残る床を滑らせて進む。その背に、まだ微かにオレンジ色の光が残っていた。
狭霧、新見があとに続く。
『あと何回くらいだ?』
フウが探るように尋ねた。新見はフロアを見渡す。
『三十回ぐらいか』
『そんなに?』
包帯の奥でフウが肩を落とす。
『気づいてると思うけど、あの光、オレも苦手。浴びたくない。だからさっさと終わらせてくれ』
『わかってるよ』
新見たちは、同じ手順で枠をひとつずつ潰していった。
鴇神が制御波で揺らぎを封じ、狭霧が防御を固める。その間に新見が踏み込み、ベクトリアを振り抜く。
ひとつ、またひとつ。硬質な破砕音が連鎖し、四角い縁が次々と粉々に砕け散っていく。崩れ落ちた残骸は白い灰片となり、床へ触れる前に霧のように消えていった。
途中、息を切らせたイツキが合流し、狭霧の隣で補助に回った。飛びかかる紙片をベクトリアで薙ぎ払う。その支えで狭霧の負荷はわずかに軽くなったが、鴇神の疲労は変わらない。
左手のグローブは橙色の光をまだ放ち続けているものの、その輝きは不安定に脈打ち、額の汗が頬を濡らす。両肘を押し込む腕は硬直して震え、それでも彼女は歯を食いしばり視線を逸らさずに制御波を押し込み続けていた。
——最後のひとつ。階段脇の案内表示板の枠が、波打ったまま硬直している。橙色の制御波に縛られ、表面の文字がかすかに揺れて滲んでいた。
『なあ、もう勘弁してくれ。オレ、あの光キツいんだって』
包帯の奥で、フウが小さく騒いだ。新見は舌打ちし、足を踏み出しかけた足を止める。
「イツキ、ラスト、お前いけ」
「任せてください」
彼は勢いよくベクトリアを構え、階段脇へ踏み込みざまに薙ぎ払った。
鋭い音とともに枠は粉砕され、白灰の破片を散らして霧のように消え去った。同時に、張りつめていた空気がふっと緩む。漂っていた微細なざわめきも消え、階段脇には一瞬の静けさが戻った。
イツキは肩で息をしながらも、振り払ったベクトリアをきゅっと構え直す。
「よし、やりました」
狭霧が短くうなずいた。その視線はすぐ鴇神へ向かう。
車椅子に身を預けた彼女は、両腕を下ろすと同時に大きく息を吐き、肩を前に落とした。橙色の光はすでに消えている。額から滴った汗が顎を伝い、床にぽとりと落ちた。
「ギブアップか?」
新見が声をかけると、彼女はうっすら笑みを見せる。
「ただのインターバルですよ」
その場に静かな呼吸音だけが残った。
フウは包帯の奥で小さくため息をつき、囁いた。
『やっと終わったか……マジで限界だったぜ』
『寝ぼけてんのか。エグゾ潰しただけだろ』
新見は短く返し、右手の包帯をきゅっと締め直した。
「メインはこれからだ。本体を潰さなきゃな」
低くつぶやき、顔にかけていたゴーグルを外す。レンズ越しの視界を捨て、剥き出しの眼で揺らぎの空間を見据えた。途端に視界が傾く。壁と床の境目が揺れて溶け合い、遠近感が狂う。吐き気とまではいかないが、足元がふらりと浮くような、微かな酔いが頭を撫でていった。
新見は奥歯を噛みしめ、片目を細めて視界を固定した。
「無茶するなよ」
隣から狭霧の声がかかる。わずかに不安の色を帯びていた。
「黙ってろ。集中するから」
吐き捨てるように返し、視線を逸らさず揺らぎの奥をロヴ視認で見据えた。
「邪魔さえなければ、芯を見つけるなんて俺にとっちゃ朝飯前……」
その瞬間、空間の様子が揺らいだ。
ねじれて広がっていた歪みが、波紋を引くように薄れはじめる。
壁も床も、元の輪郭を取り戻すかのように静かに収束していった。
「……消えた?」
新見が低く呟く。
確かにそこにあったはずの異常な気配は、残滓ひとつ残さず消え去っていた。
「狭霧。朝永」
新見は短く名を呼び、すぐに測定を指示する。狭霧は携行計器を数秒操作した。
「レクト反応、無し」
同じく機動車の朝永からも通信が返る。
「こちらもゼロ。桜影通り全体をスキャンしたけど、異常反応は一切ないよ」
ぐったりと車椅子に身を預ける鴇神を残し、他の三人は警戒を解くことなく周囲を見回した。
「……制圧したわけじゃないですよね」
イツキがぽつりと口にする。
「ああ」
新見は視線を巡らせたまま低く応じた。
「考えられるのは——発生源の人間が意識不明になったか、どこか遠くへ行ったか、それとも死んだか。朝永、範囲を広げろ」
「やってるよ。すでに拡張スキャン中」
数秒の沈黙のあと、機動車からの通信が続いた。
「同波形はどこにも出てない。まぁ、レクトラムが自然に消えるのはよくあることだから……今回もそのパターンなんじゃない?」
「じゃない?じゃねえよ、テキトー分析官が」
新見は吐き捨てるように言い、黙り込んだ。数秒、考えを巡らせてから顔を上げる。
「おい、塔村。どうする」
新見が短く呼びかける。機動車の通信から、落ち着いた声が返る。
「どうするも何も、敵がいないのであれば俺たちの出番は終わりだろう」
一拍置き、塔村は淡々と告げる。
「念のため二時間、継続警戒。それで異常がなければ撤収とする」
すぐに監二の隊員たちが現場へ入ってきた。防護装備に身を包んだ彼らは無言で倒れている市民を担架に移し、淡々と搬出を始める。廊下にはわずかな器具の音と靴音だけが響き、規律的な動きが続いた。
——二時間後。
結局、警戒中に揺らぎが戻ることはなく、桜影通りはただの静かな夜を迎えつつあった。
「なんだったんでしょうね」
イツキがぽつりと漏らす。
「さあな。レクトラムは、まだまだ未知の部分が多いからな。な、新見君」
通信越しに朝永の声が届いた。
「ああ、そうだな」
新見は短く応じた。
ふと視線を横にやり、傷んだ鴇神の車椅子を眺める。橙色の光を浴びた痕跡がまだ残り、所々に焦げや歪みが刻まれていた。
その歪みだけが、今日ここに異常があったことを無言で証していた。
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