第25話 氷の国 ― 白き火種 ―

白い濃霧を抜けた瞬間、アウリスの頬を刺す冷気が走った。

視界の先には、雪と氷に沈む小さな集落――氷の国・グラキエス南部の《ユルグ村》が横たわっている。


だが、不自然なほど静かだった。


家々の戸口は内側から板が打ち付けられ、

まるで“外からの何かを恐れている”ように閉ざされていた。


エリナがひそやかに言う。


「……本当に、人が住んでるの?」


ルーガが警戒した声で答える。


「ここは反逆村ユルグ

 国王アルディウスの粛正が最も激しい地域です。」


シオンはその言葉に胸を締めつけられたように顔を覆った。

故郷の国でこんな惨状が広がっているとは思わなかった。


掲示板には、氷の国の紋章が刻まれた布告書が貼られていた。

アウリスが読み上げる。


「……『第二王子シオン殿下は、セレスティアに囚われた。殿下奪還のため討伐軍を派遣する』……?」


エリナが眉をひそめた。


「囚われた? 何それ、茶番じゃない。」


「ルシファード殿下が“カルディアンとの協定を結ぶために北に向かった”と発表されてから……王は加速的に暴走しています。」

ルーガの声は低かった。


「協定……?」

アウリスがつぶやく。


「表向きは。しかし実際は――亡命に近いものです。」


シオンの瞳が揺れた。


「兄上が……亡命……そんなはず……。」


そのとき、か細い声が背後から届いた。


「……旅の方々、ここは危険じゃ。早う家へ。」


振り返ると、痩せた老人が震える足取りで立っていた。


「危険、とは……?」

アウリスが尋ねると、老人は短く息を吐いた。


「反逆者と見なされれば、その場で“氷像”じゃよ。」


その声には深い諦めが滲んでいた。


だが、老人はシオンの顔を見た瞬間、言葉を失った。


「……その……お顔……若君……?」


シオンはゆっくりとフードを外す。


「……話を聞かせてください。僕がいない間、この国で……何が起きたのか。」


老人は沈黙し、集まってきた村人たちが息を呑む。


「まず……王家のお話から。」

老人はゆっくり口を開く。


「第一妃セラフィナ様は、北方カルディアンの名家のご出身。

 強い氷の純血を宿しておられた。

 その血を継ぐ第一王子ルシファード殿下は、“氷の正統”と称えられ、保守派から絶大な支持を得ていた。」


シオンは黙って耳を傾けていた。


「しかし……第二妃ミレイナ様は、外地出身の優しい方でした。

 熱の系統を持ち、民からも好かれておられたが……氷の一族からは“異端”とも囁かれ……。」


若い男が続ける。


「だからシオン様――あなたは、王城の一部から疎まれていたんです。

 でも、私たちは……あなた様の優しさを知っていた。

 だからこそ、あなたの不在が……どれほど心に穴をあけたか……。」


シオンは胸元を握り、かすかに震えた。


「……僕が……知らなかっただけ……?」


老人が静かに首を振った。


「違います。あなた様は……この国の“光”だった。

 だからこそ……“囚われた”などという布告が出た日……

 多くの者が絶望したのです。」


そのとき、女性がシオンの前に駆け寄った。


涙で濡れた両手で、シオンの手を掴む。


「……シオン様……。

 あなた様の帰りを……私たちは……ずっと、ずっと待っておりました……!」


その言葉に、シオンの瞳から一筋の涙が落ちた。


「……ありがとう。

 僕はもう逃げません。

 皆さんと共に、この国を救います。」


その瞬間――

霧の奥から氷の地を踏み割る音が響く。


ガン……ガン……ガン……。


ルーガが翼を広げる。


「粛正部隊です。」


白い霧の向こうから、氷槍を構えた兵が現れた。


反逆村ユルグ

 王命により氷結せよ!!」


村人たちが叫ぶ。


「若君を守れ!!」


青年が両腕を突き出す。


「《霜返し(フォグ・リバース)》!!」


飛来する氷槍が霧に還り、消えた。


老婆も続く。


「《融霧》じゃあっ!」


氷の鎖が水となって溶け落ちた。


エリナが息を呑む。


「すご……!」


アウリスは胸が熱くなるのを感じた。


(この人たちは……こんなにも……氷に抗って生きてきたんだ。)


しかし敵の数は多い。


村長が叫ぶ。


「シオン様……! ここからは……あなた様が!!」


シオンは前へ進み、両手を広げた。


霧が揺れ、空気がやわらかな熱を帯びる。


兵たちの氷槍が一斉に放たれた。


シオンは静かに息を吸い込む。


「誰も……凍らせさせない。」


蒸気が渦を巻いた。


「《白蒸の環(ミスト・ヘイロー)》!」


白い光輪が広がり、

氷槍を蒸発させ、

兵たちの鎧を温め、

戦意だけを溶かしてゆく。


誰一人、命は奪わない。


倒れた兵たちは霧の奥へ引き上げられていった。


静寂が戻った村で、村民が涙を浮かべてシオンにひざまずいた。


「若君……どうか……この国を……」


シオンは白い王城の方向を見つめた。


「行こう。

 グラキエスは……ここから“希望”へ進む。」


アウリス、エリナ、ルーガが力強く頷き、続いた。


霧の向こうに見える王城は、

もうかつてのように冷たくは見えなかった。


そこには、確かに“白い火種”がともっていた。

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