ことばにならない想いをことばにのせて

野森ちえこ

第1話 書くということ

 これまでの人生はすべて伏線だったのではないか。

 つい最近、ふとそんなことを思いました。

 そしてまさにいま、その伏線を回収するステージにはいろうとしてるのではないか、と。


 わたしが『書く』という表現をおぼえたのは十歳のときでした。

 わりとハードな家庭に生まれたおかげでこころを壊しましてな。連れていかれた精神科である心理テストを受けたのです。それは『わたしは』からはじまる文章を思いつくかぎり書きだすというものでした。


 それまで自分の意見とか気持ちとか、いっさい口にはだせなかったのですが、真っ白なノートをまえにいざ書きだしてみたら——まあ、止まらないこと。一種の自動書記状態みたいになって、最終的には医師がどん引きするくらいの文章量になってしまったのですが、それは『自分の気持ちを声にだすことはできないけど書くことならできる』のだと発見した瞬間でもありました。


 自分の気持ちを文字にのせて外にだす。

 誰かに見せるためのものではない。遊びでも趣味でもない。当時のわたしにとって、それは文字どおり『生きるための詩作』だったのだろうなと思います。


 その後なんだかんだあって小説も書くようになりましたけれど、コンテスト受賞とか書籍化とか、『書く』人なら多少なりとも憧れるだろうことにまるでこころが動かない自分がいて、なんでなんだろうとずっと不思議に思ってたんですよね。

 評価されればそりゃあうれしいし励みにもなるけど、それを目標にしようとは思わないというか。


 そのことについて、つい最近ひとつの答えらしきものが出ました。わたしのなかで、これはなかなかに大きな節目となった気がします。何年か後に振り返ったら転機といえそうな一年だったのではないかな——ということで、ちょうどはじまったカクヨムコンに乗じてこの一年のいろいろを語ってみようと思います。


 ちなみに、先に述べましたとおり受賞などは狙っておりませんので応援読みなどは不要です。どうぞお気づかいなさいませんように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る