異世界総理 ~転移したのは「日本国宰相」武器は剣でも魔法でもない 「言葉」と「思想」だ~
開拓士
第1話 最年少総理 異世界へ
これは、近代国家の叡智が
剣と魔法の世界を変える物語だ。
武器は剣でも魔法でもない。
チートでもない。
ただひとつ──「言葉」と「思想」だ。
日本・東京──。
夜の首都圏キー局スタジオ。
特番『未来を問う』の生放送中、白い照明の下でキャスターが語りかける。
「本日のゲストは、日本新民党から最年少で内閣総理大臣に就任された、
「よろしくお願いします」
淡く微笑む天城の顔には、隠しきれない疲労が滲んでいた。
スタジオには彼の軌跡──最年少議員としての出発、官僚改革、政権交代──を辿る映像が流れている。
視聴者が憧れる「英雄」の姿だ。
「総理、今回の選挙では国民の信を得られたとお考えですか?」
「いえ、若さに期待が寄せられているだけです。本当の評価は、これからです」
「では、今後の課題は?」
「政治改革ですね。既得権益に縛られない、国民の声を反映した政治を目指します」
画面越しの頼もしい姿とは裏腹に、天城の内心は冷え切っていた。
──本当に、自分は理想を実現できているのか。
収録を終え、裏口へ出ると報道陣のフラッシュが焚かれた。
「総理、次の予算委員会の焦点は?」
天城は軽く会釈し、黒塗りの車へ向かう。
その背後から、若手記者の呟きが聞こえた。
「最年少総理か……。“クリーンな政治”ねぇ。ご自身は、どれだけクリーンなんですかね?」
天城の足が止まりかける。
だが振り返らず、車に乗り込んだ。
天城真、35歳。
高い志で政界へ飛び込み、弁舌と政策論で腐敗を斬る旗手として熱狂的支持を集めた。
だが、総理の椅子を掴むため、彼は多くの妥協と裏切りを重ねた。
法案を通すために敵対派閥と密室で手を握り、汚職議員の処分を黙認した。
献金疑惑のある与党議員の処分を黙認もした。
「清濁併せ呑む」と言えば聞こえはいいが、実態は最大派閥の
(これが、俺が求めた政治なのか?)
国民は甘いマスクの若き総理に熱狂するが、その実態は打算的な人気取り。
理想と現実のギャップ、自己保身に走る己の脆さ。
天城は自身の姿に吐き気すら覚えていた。
(いつから...こうなった?)
それでも、「政治は国民のためにあるべきだ」という唯一の信念だけは捨てられずにいた。
***
翌日。国会、予算委員会。
答弁席の天城は、形式的な質問に淀みなく答えていた。
「社会保障費については、先ほど答弁した通りです。安定財源の確保は喫緊の課題であり……」
マイク越しの自分の声が、遠い他人の声のように聞こえる。
表情は冷静だが、瞳の奥には紋切り型のやり取りへの深い嫌悪が宿っていた。
答弁を終え、自席へ戻り椅子に深く身を沈める。
隣の官僚が耳打ちした。
「完璧な答弁でした。支持率も安泰です」
天城は微かに口の端を上げただけで、何の感情も返さなかった。
次の大臣が答弁に立った、その時だった。
足元から、奇妙な感覚が這い上がってきた。
グラリ、と世界が揺らぐ。
地面が、空間そのものが融けていくような感覚。
キイイイイイイッ──。
不快な高音が脳髄に響き、全身を痺れが襲う。
現実の感触が急速に薄れ、視界がぼやける。国会の重厚な木目、議員たちの顔、まばゆい照明……
全てが水彩画のように滲んでいく。
叫ぼうとした声は音にならず、最後は耳をつんざく轟音と共に真っ白な光に包まれた。
***
― 熱気。
そして、鼻腔を突き抜ける土と腐葉土、獣の血のような生々しい匂い。
薄暗い世界に、天城は放り出されていた。
目を開けば、見たこともない奇妙な草木が生い茂る荒野。つい数分前までの国会、フラッシュの嵐、官僚の視線。
すべてが遠い幻のように現実感がない。
「ここはどこだ!? なぜ、俺が……」
よろめきながら立ち上がる。
高級な革靴が泥にめり込んだ。
「安藤官房長官! 誰かいるのか!?」
(テロか? ……日本が攻撃を受けたのか?)
混乱する頭脳が状況分析を試みる。幻覚か、拉致か、悪夢か。頬をつねるが、痛みはある。肌にまとわりつく湿気、喉の渇き。
あまりにも紛れもない「現実」だった。
そこから彼を待っていたのは、文明から切り離された過酷なサバイバルだった。
水を探し、出口を探し、ひたすら歩き回る。喉は渇き、唇は割れ、胃は痙攣し、足裏には無数の茨が突き刺さる。
ブンッ、と羽音を立てて目の前を横切ったのは、拳ほどもある巨大な赤色の甲虫。
「うわっ……!」
天城は腕で払いのけたが、生理的な嫌悪感に背筋が凍る。ここには、彼が知る生態系は何一つない。
二日目の夕暮れ。
這いずり回った果てに、小さな小川を見つけた。泥だらけのスーツのまま顔を伏せ、水を飲もうとしたその時。
バシャッ!
水底から巨大な影が現れた。虹色の鱗、鋭い歯、額には一本の角。故郷の魚とは似ても似つかない怪物。
「ひっ……!」
天城は腰を抜かし後ずさる。周囲の植物も、根元から赤黒くうねり、巨大な葉は紫色の斑点に覆われている。
「……冗談だろ……完全に、異世界じゃないか」
夜には巨大な狼の遠吠えが響く。大木の根元で震えながら夜を明かした。野草は強烈なえぐみで吐き出した。
喉が焼け、視界が霞む。限界だった。
三日目の朝、ついに地面へ倒れ込んだ。
暗闇に飲まれていく意識の中、かつて噂になったジャーナリストの彼女の顔が浮かぶ。
『あなたはすごいわ。でもそれが、本当にやりたかったことなの?』
その言葉が、沈みゆく心に冷たい楔のように突き刺さった。
***
どれほどの時間が経ったのか。意識の底から、鳥のさえずりと、温かい人の気配が天城を呼び覚ました。重い瞼を開くと、誰かが覗き込んでいる。
深い毛並み。
ピンと張った獣の耳。
そして──人間と猫を融合させたような精悍な顔立ち。
それが、天城真と異世界の、最初の邂逅だった。
【作者より】
本作は全35万字超で完結済みです。
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