2章 杖を振るう平穏な日々
第2話 六年後、静かな朝
「……ん……んーっ!」
朝を告げるコッコの鳴き声が聞こえるより先に、私は目を覚ました。
まだ薄暗い部屋の中、ベッドの上でゆっくりと背を伸ばす。
「……今日も静かな朝だ」
窓の外では、夜の名残がかすかに漂っている。
遠くで木の葉が擦れ、かすかな風が屋根を撫でる音がした。
町がまだ眠っているこの時間――私はこの静けさが好きだった。
眠気はない。夢も見なかった。
けれど、それでいい。
夢というのは、眠っている間に見るものじゃない。
目を開けて、生きているうちに見るものだ。
そして――叶えてこそ、初めて“夢”と呼べる。
そう信じている。
顔を洗い、部屋に戻る。
窓際に置かれた小さな木の椅子に腰を下ろした。
外の空気はまだひんやりとしていて、肌に心地よい。
私は深く息を吸い込み、静かに目を閉じる。
「……魔力循環開始――
胸の奥で、かすかに熱が灯る。
そこから細い糸のような流れが、腕へ、脚へ、全身へと広がっていく。
血のように、いや――それよりも繊細で、澄んだ流れ。
「……スゥ」
息を吐くと同時に、魔力が皮膚の下を静かに巡った。
指先の感覚が鋭くなる。心拍と同じリズムで魔力が脈打つ。
四歳の時に初めてあの光を見た瞬間、私は心を奪われた。
――私は
その時、そう決めた。
誰かに言われたわけでも、強制されたわけでもない。
自分の意思で、はっきりと。
目を開けると、空が少しずつ明るみを帯びていた。
私は椅子から立ち上がり、本棚の前に歩み寄る。
「……この本でいいか」
手に取ったのは、昨日の夜に読みかけていた本。
タイトルは『冒険・旅の食事の歴史』。
古びた紙に綴じられたその本には、山岳地帯で食べられていた保存肉の話、
乾いた大地で摘まれる香草の記録が並んでいた。
ただ戦うだけじゃない。
生きて、歩き、進み続けるために――冒険者は“食べる”。
食事ひとつで命が助かることもある。
ページを捲るたび、知らない世界が私の中に流れ込んでくる。
知らないことが、まだこんなにもたくさんある。
それを知りたい。
そのために私は冒険者になりたい。
魔法のことを、もっと深く知りたい。
そして、使いこなして、極めたい。
それが、私の“夢”だ。
「……そろそろか」
本を閉じ、静かに椅子を押して立ち上がる。
背の低いカバンを背負いながら、部屋の中を一度見回した。
昨日のうちに何度も確認したから、忘れ物はない。
私は再び窓辺に目を向ける。
淡い光の中、屋根の向こうで小鳥たちが目を覚まし始めていた。
空気は澄み、世界が動き出す前の一瞬の静寂が広がっている。
「……今日も、いい一日にしよう」
小さく呟いて、私は階段を降りた。
足音が木の段に柔らかく響く。
その音は、私の一日の始まりを告げる合図のように思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます