疎遠だったはずの完璧幼馴染が、なぜか俺の部屋に入り浸って世話を焼きたがる

Shi(rsw)×a

第一章

第1話 完璧才女は隣の席に座る

「――というわけで、席替えは以上だ。新しい教科書も配ったし、今日はもう終わり。明日から新学期の授業を本格的に始めるから、浮かれすぎないようになー」


 ホームルームの終わりを告げる担任の気の抜けた声と、それを合図に一斉に騒がしくなる教室。

 ああ、終わった。長かったような短かったような春休みが明け、今日から俺、佐伯さえきわたるは高校二年生となった。


 新クラスの喧騒をどこか他人事のように聞き流しながら、俺は自分の新しい席を改めて確認する。

 窓際の後ろから二番目。まぁ、悪くない。悪くないどころか、いわゆる「主人公席」ってやつだ。もちろん、俺の高校生活がラノベや漫画のようになるなんて万が一にも思っていないが、それでも窓の外を眺めて時間を潰しやすいこの席は、平凡な俺にとってありがたいものだった。


 ……問題は、そこじゃない。

 俺は、ぎこちない動きですぐ右隣の席に視線を移した。


「…………」


 まだ誰も座っていない真新しい机。

 そこに置かれた教科書には、几帳面なそれでいて流れるような美しい文字で『二年四組 七瀬 凛』と名前が書かれている。


 七瀬ななせりん

 その名前を頭の中で反芻するだけで、胸の奥が少しだけ、きゅっと締め付けられるような感覚がした。


 七瀬凛。

 この学校に通う生徒で、彼女の名前を知らない者はいないだろう。

 一年生の時から常に学年トップの成績。入学式の新入生代表挨拶も彼女だったし、その後の定期テストでも、その座を一度も譲ったことがない。

 それだけなら、ただの「ガリ勉」だ。だが、彼女はそれだけじゃなかった。


 色素の薄い、絹糸のようなサラサラの黒髪。陶器のように白い肌に、スッと通った鼻筋。そして、やや吊り目がちだが大きな知的な光を宿した瞳。

 黙って座っているだけで、周囲の空気を凛とさせるような一種のオーラがある。まるで精密に作られた芸術品のような容姿。


 おまけに運動神経も抜群で、体育祭ではリレーのアンカーとして他を圧倒していたし、文化祭ではクラス劇の主役を見事に演じきり、他校の生徒までファンになったという噂だ。


 完璧才女。

 まさにその言葉が相応しい。

 非の打ち所がなさすぎて、男子生徒たちも「俺なんかが……」と気後れしてしまい、告白する勇者すら現れない。一部の女子からは「ちょっと近寄りがたい」と思われている節もあるが、基本的には誰に対しても平等に丁寧な態度を崩さない。

 結果として彼女は『クラスのマドンナ』というより、『学年の高嶺の花』として、遠巻きに憧れられる存在となっていた。


 そんな雲の上のような存在が、俺の隣の席。

 明日から一体どんな顔をして過ごせばいいんだ。

 平凡を愛し、平穏を望む俺にとって、これは罰ゲーム以外の何物でもない。周囲からの視線が今から憂鬱だ。


「はぁ……」


 思わず深いため息が漏れる。

 と、その時だった。


「あの……佐伯くん、だよね?」


 不意に頭上から鈴の鳴るような、透き通った声が降ってきた。

 ビクッと肩を震わせ慌てて顔を上げる。


「な、七瀬……さん」


 そこに立っていたのは、今まさに俺の頭を悩ませていた張本人、七瀬凛その人だった。

 俺が名前を呼ぶと彼女は「よかった、合ってた」と、ふわりと微かに微笑んだ。


 うっ……。

 なんだ、その破壊力。

 普段学校ではほとんど表情を崩さない彼女が今、確かに笑った。そのギャップにクラスの男子数人が息を呑むのが分かった。俺だって危なかった。


「え、あ、うん。佐伯、ですけど……なに?」

 

 動揺を隠しきれず完全にキョドった返事をしてしまう。情けない。


「ううん、なんでもない。ただ、隣の席だから、よろしくねって」

「あ、ああ。よろしく……お願いします」


 俺がそう言うと、凛は「うん」と小さく頷き、自分の席にスッと座った。

 流れるような動作で教科書を鞄にしまい始める。その横顔は、もういつものクールな『七瀬凛』に戻っていた。


 ……今の笑顔は、なんだったんだ?

 俺は混乱しながら自分の鞄に教科書を雑に詰め込む。


 クラスメイトたちは、もう新しい友人や同じクラスになれた仲間たちと談笑を始めている。

 俺も別に友人がいないわけじゃない。同じクラスになったやつもいるはずだ。後で合流すればいいだろう。

 だが、今は隣の席の『高嶺の花』のせいでどうにも落ち着かなかった。


 早く帰ろう。

 そう思って席を立とうとした、その瞬間。


「……ねえ」


 再び、隣から小さな声がかかった。

 見ると、凛が少しだけ顔をこちらに向けて俺の制服の裾を人差し指で小さく、ちょん、と突いていた。


「な、なんだよ」

「今日、この後暇?」

「え?」


 予想外すぎる質問に、俺の思考は完全に停止した。

 七瀬凛が? この俺を? 放課後に?

 いやいやいや、ないないない。絶対にない。

 聞き間違いか、あるいは何かクラス委員の仕事でも押し付けられるのか。


「いや、暇だけど……」

「そう。じゃあ、先に帰ってて」

「は?」

「私、先生に呼ばれてるから。……すぐ、行くから」


 そう言うと、凛は俺の返事も待たずに立ち上がり、さっさと教室を出て行ってしまった。


 ……は?

 俺は一人、教室に残された(いや、他にも生徒はたくさんいるが)感覚で、呆然と立ち尽くす。


 先に帰ってて?

 すぐ、行くから?


 まるで、これから俺の家に来るみたいな、そんな言い方じゃなかったか?


 いや、落ち着け、俺。

 七瀬凛と俺だぞ?

 学校が誇る完璧才女と、成績も運動も人付き合いも全部が平均点の平凡男子。接点なんて、あってたまるか。


 ……いや。

 あった。

 接点なら、確かにあったのだ。

 他の誰も知らない、俺と彼女だけの、大きな接点が。


 俺と七瀬凛は――家が隣同士の幼馴染だった。


 中学に上がる頃にはすっかり疎遠になっていたけれど。

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