わんこ系男子は、保健室の女神から永遠にかまわれたい

遠藤孝祐

わんこ系男子と第二保健室の女神さま

 金曜日だけ辿り着ける、第二保健室。


 そこには永遠の女神さまがいる。


 優しくも厳しい彼女は、たくさんの生徒を送り出してきた。


 別れ際に、彼女は微笑みを贈る。


 涙を堪えるような、かげりを滲ませて。


 








 犬耳のように跳ねた髪を揺らす、犬走いぬばしりしゅんは、とぼとぼと廊下を歩いていた。


 親友である、ゆうと喧嘩し意気消沈。誰かにかまってもらいたかった。


 普段は気にも留めない光が、扉の隙間から漏れている。なんだかかれて、瞬は静かに扉を開ける。


 中の光景が目に入り、ハッとして胸が高鳴る。


 神秘的に差す緋色ひいろの先、まさに女神さまがいた。


「あらっ」


 深い黒髪に、光を灯すヘーゼル色の瞳。大人の気配を帯びた少女。


 清潔さが強調されたベッドに座り、真っすぐに瞬を見すえていた。


 女神さまは穏やかに微笑んだ。


「あなた、なんだか犬みたいね。何か芸でもするのかしら?」


 女神さまは悪戯いたずらっぽく笑い、からかうように右手を出した。


「お手」


 この時、瞬は察した。


 この人、女神さまというよりはだ。


 バカにするかのような態度を受けて、瞬は即座に動く。


「わん!」


 驚きに口を開けた女神とは対照的に、瞬は明るい笑顔を見せた。


 まるで、尻尾を振る犬のような振る舞い。


 女神さまだろうが女王様だろうが。


 かまってくれる相手であれば、瞬にとってはどちらでも良かった。










「トワさん! 今日も来たからかまってよー」


 瞬は勢いよく保健室へ飛び込む。


 弾けんばかりの笑顔は、ご主人様を前にした犬のようだった。


「よく飽きないわね。はい、お手」


「わん」


 瞬が通うようになって数週間。


 入室と同時にお手をすることが、なんとなく日課になっていた。


「今日はね、ゆうと仲直りできたよ」


 瞬は弾むように言った。


 幼馴染の悠は、かまちょな瞬をずっと支えていた。


 朝起こしに来る悠は、親友と言うよりお母さんみたいだった。同性なのに。


「良かったわね。でも、どうして喧嘩をしていたの?」


「僕は公立高校を目指しているけど、悠は3Dとかを学ぶ学校に行くって」


「それで、もめたのね」


「悠の夢を応援してるけど、僕が寂しくなっちゃって」


「それはあなたが悪いわね」


「はっきり言われちゃった……」


 瞬は、しょんぼりと肩を落としていた。


 犬耳のように跳ねたくるみ色の髪も、へにゃっとしおれる。


「友達だったら、認めてあげたら? 永遠の別れってこともないんだし」


「そうだけどさ」


 トワの言うことも、瞬はきちんとわかっていた。


 違う高校に行くからといって、友情がなくなるわけじゃない。けれど、瞬は寂しかった。


 共働きの両親は、早朝から働き夜遅くに帰宅する。


 寂しそうな瞬を見かねて、悠はたまに一緒に食事をとった。二人分の茶碗と眠そうに目をこする悠。


 いただきますが重なる瞬間、自然と笑みがこぼれだす。


 けれど。


「これからは自分で起きなきゃだし」


「それが普通でしょ」


 一刺し。


「ご飯も一人で食べなきゃだし」


「慣れなさい」


 二刺し。


「寂しい時に、手を繋いで欲しくなったらどうしよう」


「小学生からやり直しなさい」


 トワからぐさりと三発刺されて、瞬の目には涙が一杯に溜まっていた。


 トワの顔が罪悪感で曇った時には、もう遅かった。


「トワさんひどい。冷血女王様ー!」


 瞬は遠慮なく泣き出した。


 情けないくらいにぽろぽろと涙はこぼれる。


 トワはひたいに手をあてて、ため息をついた。


「もう、しょうがないわね」


 トワはベッドに腰をかけて、そのまま瞬を引き寄せる。瞬が抵抗せずにいると、膝枕状態が完成していた。


「ほんとっ、泣き虫の相手は疲れるわ」


 そう言いつつ、トワは瞬の横顔を撫でていた。


 瞬はくすぐったそうに身じろぎする。そして満面の笑み。


「えへへー気持ちいいなー」


「あっそう。良かったわね」


 しばらく撫でて撫でられ状態が続いていたが、ふいに瞬が口を開く。


「そうだトワさん」


「なによ」


「そろそろ僕、名前で呼ばれたいな」


 瞬の瞳はおねだりするようにうるうる揺れる。


 数週間の付き合いだが、トワは決して瞬を名前で呼ばない。


 なんだか他人行儀なので、仲良くなった証が欲しいと瞬は思っていた。


 トワは、威厳いげんたっぷりに鼻で笑う。


「ハッ。あなたが私に名前を呼ばれようなんて、百年早い」


 そう言われて、瞬は悲しそうに目を伏せた。


「僕、あと百年は生きられないよ」


 トワの口角が少しだけ上がり、今にも吹き出しそうだった。


 震える声を抑えつつ、トワは顔を逸らす。


「ほんと、そういうところよ」


 瞬はわずかに首をかしげていたが、突如キリっと眉を上げた。


「じゃあ僕、トワさんから名前で呼んでもらえるようにがんばる」


 両手を握って意気込む瞬を見て、トワはふっと目を細めた。


「まあ、せいぜいがんばりなさいね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る