クロノスの歌姫:灰燼のバラード
@goldfish1971
第一幕:金色の檻
【SC 1】
静寂。微かな息遣いだけが響く。やがて、その息遣いは澄み切ったハミングへと変わっていく。
光の粒子が無数に舞う、壮大なステージ。銀河ドームを埋め尽くす数億の観衆が見守る中、純白のドレスをまとったアリア(19)は、瞳を閉じ、その日最後の歌を歌い上げていた。
『クリスタル・ララバイ』
「硝子(ガラス)の庭園(にわ)に ひとり 星の雫を 数えてる 磨かれた床に映る 静かすぎる この世界
遠い銀河の ざわめき 耳を澄ましても 届かない 忘れかけた メロディ ねぇ、何処(どこ)にいるの?
クリスタルのララバイ 瞳を閉じて 涙の粒も 凍(こご)るように 綺麗な夢だけをあげる だからお願い このままで 何も変わらないでいて おやすみ…
私の歌声は プリズム 七色に分かれて 融(と)けていく 窓に映り込んだ 知らない私に 微笑む
聞こえないはずの 悲鳴が 胸の奥で 微かに響く 思い出せない ぬくもり ねぇ、誰のものなの?
クリスタルのララバイ 心を閉じて 傷つくことなど ないように 優しい嘘だけをあげる だからお願い このままで 何も気づかないでいて おやすみ…
もしもこの世界が 儚い硝子細工(ガラスざいく)なら 優しい指で触れたら 粉々に 壊れてしまうの?
クリスタルのララバイ… (ささやくように) だから今は瞳を閉じて 何もかもが凍るように 綺麗な夢の中だけで どうか、眠っていて… 永遠に…」
歌が終わると、一瞬の静寂の後、地鳴りのような歓声がドームを揺るがした。ステージ袖に戻ったアリアは、スポットライトの熱気に火照った頬の汗をぬぐい、安堵の息をつく。そこに、冷たい笑みを浮かべた首席補佐官(50代)が近づいてきた。
「素晴らしいステージでした、ミス・アリア。首席がお待ちです」
【SC 2】
磨き上げられた黒曜石の床に、首都惑星ユニタスのきらびやかな夜景が映り込んでいる。VIPラウンジの中央に立つマグナス・レックス首席(60代)は、部屋に入ってきたアリアを、まるで美しい芸術品でも値踏みするかのような、粘つくような視線で見つめた。
「アリア君」
レックスは微笑む。
「君の歌も素晴らしいが、それ以上に、君自身の存在が芸術だ。その若さ、その美しさ…まさに、私が再建する『偉大な共和国』の女神(ミューズ)にふさわしい」
レックスはアリアの隣に立つと、馴れ馴れしく彼女の肩に手を置いた。その指が、ゆっくりと彼女のうなじを撫でる。 アリアは、言いようのない不快感と恐怖を感じ、無意識に身をこわばらせた。
「そこで、だ。君に、私の傍で、私のために歌ってもらいたい。私が新たに設立する『ゼニス芸術財団』の顔としてね。資金は無制限に提供しよう」
首席は、アリアの耳元で囁くように続けた。
「ユニタスで最も美しい、首席官邸(パレス)の一室も、君のために用意させる。…どうだね?私の鳥かごの中でなら、君は永遠に美しくさえずり続けることができる」
それは、パトロンとしての申し出ではなかった。抗うことのできない、愛人(ミスト)としての招待状だった。
「…光栄です、首席。少し、考えさせてください」
恐怖を押し殺し、かろうじて笑顔を作ってそう答えるのが精一杯だった。
「良い返事を期待しているよ、私の歌姫(マイ・ソングバード)」
レックスは満足げに頷き、アリアの顎にそっと触れた。 彼が離れると、アリアは自分が息を止めていたことに、ようやく気づいた。
【SC 3】
古いレンガ造りのカフェ。窓の外を、人々が忙しなく行き交う。 アリアは不安げな表情で、冷めていくコーヒーカップを見つめている。 向かいの席に座る幼馴染のジャーナリスト、カイ(22)が、静かに口を開いた。
「…で、その『素晴らしい申し出』とやらを、受けることにしたのか?」
「素晴らしい申し出よ!」
アリアは顔を上げ、自分に言い聞かせるように言った。
「銀河中のアーティストが夢見るような…。首席は、私の芸術を理解してくれてるわ」
カイは、ため息をつき、コーヒーカップを置いた。
「…それは黄金の鳥かごだ。いや、蜘蛛の巣だ。アリア、首席は君の『芸術』が欲しいんじゃない。君という『トロフィー』が欲しいだけだ。彼の黄金の宮殿を飾る、美しい剥製の一つとしてね」
「ひどいわ!」
アリアは激しく反発した。
「あなたは、私の夢を汚すのね!カイは昔からそう!いつも私のやることに水を差して…!」
カイは何も言わず、一つのデータチップをテーブルに置いた。
「首席の『夢』の裏側だ。俺が辺境で見てきた、本当の現実だ。見る見ないは、君が決めろ。でも、その鳥かごに入る前に、翼を広げる空がどんな色をしているかくらい、知っておくべきだ」
アリアは怒りと悔しさで唇を噛み、席を立つ。 カイの元を飛び出し、カフェのドアに向かうが、一度テーブルを振り返る。 そこにポツンと置かれたデータチップ。 アリアは一瞬ためらった後、素早く戻ってチップを掴み取り、今度こそカフェから走り去った。 カイは、その背中を悲しげな目で見送るしかなかった。
【SC 4】
アリアは、フード付きのシンプルなクロークで姿を隠し、母校ユニタス中央大学のキャンパスを一人歩いていた。 レックスの申し出と、カイの言葉。二つの現実が、彼女の心の中でせめぎ合っていた。 豪華なマンションの部屋にいても、息が詰まるようだった。彼女は、自分が何者なのか、わからなくなっていた。
(あの頃、私は…何のために歌っていたんだろう…?)
心の中で、自問する。
(ただ、歌うことが好きで、誰かが喜んでくれたら、それで幸せだった…。いつから、こんなに息苦しくなったの…?)
彼女は、学生時代にカイとよく語り合った、古い図書館の前のベンチに座る。 初心に帰りたかった。政治も、名声も、首席の歪んだ欲望も存在しない、ただ純粋に音楽を愛していた頃の自分を、取り戻したかった。
その時、学生たちのシュプレヒコールが遠くから聞こえてくる。 アリアは、音のする方へ、吸い寄せられるように歩き出した。 中庭では、学生たちが「学問の自由を守れ!」というプラカードを掲げ、平和的なデモを行っていた。 後輩の少女(18)がアリアに気づき、駆け寄る。
「アリア先輩!お願いです!私たちのために、歌を歌ってもらえませんか?」
「私が…?」
アリアは戸惑った。
「はい!あ、紹介します!デモのリーダーの、ハナ先輩です!」
後輩に促され、一人の少女、ハナ(19)が前に進み出た。その瞳は、強い意志の光を宿していた。
「アリアさん。あなたの歌には、人の心を動かす力があります。どうか、その力を貸してください。私たちが求めているのは、暴力じゃない。対話です」
ハナの真摯な言葉に、アリアの心は決まった。 群衆の中に、心配そうに首を振るカイの姿が見えたが、アリアは、今度こそ自分の意志で、学生たちが用意した噴水台の上のステージへと向かった。
【SC 5】
アリアがアコースティック・ギターを手に、優しいメロディを奏で始めた、その瞬間。 空気を切り裂くような、低い飛行音が響いた。 空が、一瞬で暗くなる。漆黒の降下艇が、キャンパスを包囲していた。「征服艦隊」だ。
拡声器から、レックスの冷酷な声が響き渡る。
「これは、テロ行為である。抵抗する者は、反逆者と見なし、即刻排除する。特に、首謀者である学生、ハナを拘束せよ!」
閃光と轟音。人々の悲鳴。 音響兵器と催涙ガスが、平和なキャンパスを地獄に変える。 兵士たちが、非武装の学生たちに襲いかかった。 数人の兵士が、ステージ上のハナとアリアに狙いを定める。
「二人とも、伏せろ!」
カイが叫びながら、アリアとハナを庇うように飛び込んできた。
「まずい!奴ら、リーダーを狩る気だ!」
カイは通信機に向かって叫んだ。
【SC 6】
銃声と叫び声が響く混乱の中、煙の中から黒いタクティカルギアに身を包んだレジスタンス兵が現れた。
「カイ!こっちだ!」
「アリア、ハナ、走れ!」
カイは二人の手を取って、燃え盛るキャンパスを駆け抜けた。
しかし、古い図書館の地下へと続く隠し通路の前で、崩れる天井に退路を断たれる。 「ダメだ!通路が持たない!全員は無理だ!」
女性兵士が叫んだ。 カイは一瞬、アリアとハナの顔を見て、決断した。
「この子を!この子を頼む!彼女は、ハナだ!」
カイは女性兵士にハナを突き出すように言った。
「まさか…司令官の…」
女性兵士はハナの顔を見て、目を見開いた。
「…駄目よ、私が行くわ」
ハナは二人の会話を聞き、意を決したように言った。
「私がここにいれば、みんなを巻き込むことになる」
ハナは、瓦礫で崩れかけた通路の入り口へと走り出す。 その瞬間、兵士たちがハナにレーザー銃を向けた。
「ハナーーッ!!やめて!」
アリアが叫ぶ。
「ハナ!来るな!」カイも叫んだ。
しかし、ハナは振り返らなかった。彼女は、アリアとカイに微笑みかける。
「アリアさん!あなたの歌で、世界を変えて!カイ!私の分まで、真実を伝えて!」
ハナは、自ら兵士たちの銃口へと飛び込んでいった。 閃光が彼女の身体を包み、崩れ落ちる。
アリアとカイは、その光景に絶叫した。 その時、瓦礫と化した図書館の天井が、轟音を立てて崩れ落ちる。 カイはアリアを庇い、通路の奥へと突き飛ばした。 アリアは、崩れ落ちる瓦礫の隙間から、炎に包まれていくカイの姿を、最後に目にした。
「カイ…!カイーーーーーッ!!ハナ…!ハナアァァァッ!!」
重い崩落音が響き、世界は完全な暗闇に包まれた。 アリアの瞳から光が消え、声にならない悲痛な叫びだけが、その表情に刻まれていた。 女性兵士は、半ば引きずるようにして、アリアを暗い地下水路へと連れて行った。 アリアは、意識を失い、崩れ落ちた。
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