古民家同居で天才少女が甘やかし合ったら天国が出来上がりました

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第1話 出会いと設計図

#高峰 山茶花(たかみね さざんか)


海が、近い。

潮の匂いが、春の少し湿った風に混じり、私の思考にわずかなノイズとして混入する。

目の前にあるのは、「佐伯さえき」、と古びた木製の表札がかかった門。昭和中期に建てられたと資料にあった通りの、立派だが手入れの行き届いた古民家。ここが、今日から私の生活拠点ベースとなる場所。


転校手続き、引越し、そして未知の同居人。

私の人生において、これほど多くの「変数」が一度に発生したことはない。

私は左手に持ったスーツケースのハンドルを握り直し、右手の指先で、いつも携行している無地のスケッチブックの表紙をなぞった。

思考を整理する。


【プロジェクト名:新生活の導入】

* 目的: 佐伯乃亜さえき のあとの共同生活の円滑な開始。

* 課題(予測):

* 未知の生活環境への適応。

* 同居人(乃亜)との人間関係の構築。

* 既存の生活リズムの再設計。

* 所持リソース: 私のプランニング能力、最低限の生活用品。


門の横に植えられた木々が、風に「さらさら」と音を立てる。不規則な音だ。だが、不快ではない。

私はひとつ息を吸い込み、門の呼び鈴(それは明らかに後付けされたプラスチック製だった)に指を伸ばした。

ピンポーン、と間延びしたチャイムが鳴る。

数秒の静寂。

そして、畳の上を「ぱたぱた」と走る軽い足音。私には、その足音がひどくなリズムで響いているように聞こえた。


「はーい!」


木製の引き戸が、私の思考よりも速く、軽やかに開いた。

光。

逆光の中に立つ少女。それが、佐伯乃亜さえき のあ

淡い茶色のショートボブが、春の光を吸い込んで、その輪郭を曖昧に溶かしている。

琥珀こはく色の瞳が、私をまっすぐに見つめて、ふわり、と花が咲くように細められた。

「あ、」

少女は言った。

「あなたが、高峰山茶花たかみねさざんかさん、だよね? 待ってた!」


---

#佐伯 乃亜亜さえき のあ


光が、まぶしい。

玄関の引き戸を開けたら、そこにいたのは、光を背負った女の子だった。

私の目には、彼女が運んできた春の光よりも、彼女自身の「静けさ」のほうが、ずっと強く映った。


青みがかった黒髪。まっすぐで、さらさらしてる。それを低い位置でひとつに結んでいる。

制服を、なんだかすごく「正しく」着ている感じ。

そして、目。

深い、深い、灰色みたいな青色。水たまりじゃなくて、もっとずっと奥底の、井戸の水を覗き込んだ時みたいな色。

その目が、私をじっと見ている。

測ってる? ううん、違う。たぶん、読んでる?

私のことを、本の最初のページみたいに、一行一行、丁寧に読んでいる。そんな感じがした。


「あなたが、高峰山茶花さん、だよね? 待ってた!」


私が言うと、彼女は小さな、でもすごく正確な角度で、こくりと頷いた。

「はい。高峰山茶花です。今日からお世話になります。これは、つまらないものですが」

差し出されたのは、有名な和菓子屋の紙袋。きっちりとしたリボン結び。

「わあ、ありがとう! ご丁寧に。……あ、こんなとこで立ち話もなんだし、どうぞ入って。重かったでしょ、スーツケース。私、持つよ」

「いえ、大丈夫です。この重量は規定値以内なので」

「きていち?」

「……私の、筋力の許容範囲内、という意味です」

くす、と笑いが漏れた。なんだろう、この子。

「そっか。じゃあ、こっち。おばあちゃんの家、広くてちょっと迷路だから」


私は彼女を、ひんやりとした土間から、光の差し込む板張りの廊下へと導いた。

古い家。畳と、少しだけ埃っぽい木の匂い。

縁側の向こうでは、おばあちゃんが植えた梅の木が、わさわさと勢いよく葉を茂らせている。

「わあ……」

山茶花さんが、小さく息を漏らした。

彼女の灰青色の瞳が、縁側から差し込む光の(それは埃をきらきらと反射させて、まっすぐ床に伸びていた)を、じっと見つめている。

その横顔が、なんだかすごく、きれいだった。


---

#高峰 山茶花(たかみね さざんか)


だ。

これが、佐伯乃亜の生活空間に対する、私の第一印象だった。

いや、正確には「秩序あるカオス」と言うべきか。

案内された居間。ちゃぶ台と、時期外れの炬燵こたつ布団(電源は入っていない)。

壁際の棚には、祖母のものだという食器類が、統一性なく、しかし不思議なバランスで並べられている。


台所を覗けば、そこはさらに顕著だった。

調味料の瓶は、メーカーもサイズもバラバラだ。しかし、彼女(乃亜)の「手の届く範囲」という、極めて属人的なルールに基づいて配置されている。

シンクの横には、名前も知らないハーブの鉢植えが、雑然と、それでいて生き生きと置かれている。

すべてが、論理的な分類カテゴライズを拒否している。

すべてが、佐伯乃亜という人間の「感覚」によって、最適化されている。


「すごい家だね、って思うでしょ。古くて」

乃亜が、私の思考を遮るように言った。

彼女は私のスーツケースを(私が制止する前に)ひょいと和室に運び込み、今度は台所で「ことこと」と何かを温めている。


「いえ。素晴らしい生活環境だと分析します」

「ぶんせき?」

「……とても、住み心地が良さそうだ、という意味です」

「ふふ、なら良かった。とりあえず、お茶にしようか。荷ほどきは、その後でもいいでしょ? 長旅だったし」


彼女は、流れるような動作で湯を沸かし、急須に茶葉を入れる。

その一連の動作に、一切のがない。

最短距離ではない。むしろ、楽しむかのように、いくつかの無駄な(と私には思える)ステップを踏んでいる。急須を一度温めたり、湯呑みを両手で包み込んだり。

だが、それが結果として、空間の「心地よさ」というパラメータを上昇させている。

これは、私の理解を超えるシステムだ。

彼女自身が、この家の「環境制御システム」そのものとして機能しているのだ。


---

#佐伯 乃亜(さえき のあ)


山茶花ちゃん(と私はこの美しい女の子を呼ぶことにした)は、ちゃぶ台の前に正座して、私が淹れた緑茶を静かに飲んでいる。

「……美味しい」

「ほんと? 良かった。その辺で買った安いやつだけど」

「いえ。抽出温度と時間が、最適化されています」

「さいてきか?」

「……とても、美味しい淹れ方だ、という意味です」

まただ。この子、なんだか面白い。


私は彼女の向かい側に座る。

「あの、山茶花ちゃん。一応、聞いとくけど。この家、本当に大丈夫だった? お父さんとお母さん、海外赴任だっけ。寮とかじゃなくて、よくこんな古い家で、しかも私と住むの、許してくれたね」

「問題ありません。私が、この家屋の安全性、居住性、そして同居人(佐伯乃亜)のプロファイルについて、詳細なプレゼンテーション資料を作成し、両親を論理的に説得しましたので」

「ぷろふぁいる……? ぷれぜん?」

「……あなたのことを、ちゃんと調べて、大丈夫な人だって説明した、という意味です」

「えええ! 私、調べられてたの!?」


山茶花ちゃんは、表情ひとつ変えずに、こくりと頷いた。

「学校の成績、近所の評判、そして……あなたのSNSの、過去三ヶ月分の全投稿データです」

「ぜんとうこう!?」

「はい。あなたの投稿(主に料理と庭の花)から抽出されるキーワードは、『穏やか』『平穏』『幸福』。同居人として、私の生活を脅かす危険性リスクはゼロと判定しました」

「な、なんか、すごい……」


私はあっけに取られて、でも、なんだかおかしくて、たまらなくなって笑い出した。

「あはは! そっか、私、判定クリアしてたんだ。良かったー!」

私が笑うと、山茶花ちゃんの灰青色の目が、ほんの少しだけ、揺らいだ。

戸惑い?

あ、もしかして、私、笑いすぎたかな。


「あの、」

山茶花ちゃんが、背筋を伸ばした。

「佐伯さん。共同生活を開始するにあたり、いくつかの基本ルールを策定したいと思います」

「うん、なあに?」

「家事の分担、光熱費の管理、そして……」

「あ、それね! 大丈夫、大丈夫。なんとかなるよ」

私は、彼女の言葉を遮るように、ひらひらと手を振った。

「掃除とか洗濯は、気づいたほうがやればいいし。ご飯は、私が作るの好きだから、山茶花ちゃんが苦手じゃなければ、一緒に食べようよ」

「……なんとかなる、ですか」

「うん。なんとかなる、なる」

山茶花ちゃんの瞳が、また「井戸の底」みたいに深くなった。

静かになっちゃった。

私、何か間違えたかな。


---

#高峰 山茶花(たかみね さざんか)


「なんとかなる」

それは、私が最も忌避する言葉だ。

無計画性。偶発性への依存。システムの不在。

だが。

目の前で「大丈夫」と笑う彼女の、その琥珀色の瞳を見ていると、私の構築してきた論理が揺らぐ。

彼女の「なんとかなる」は、私の「プランニング」と、同等のを持っているのかもしれない。

彼女は「感覚」で、この家の、この生活の「最適解」を導き出し続けている。


これは、脅威だ。

しかし、これ以上ないだ。

私は、カバンから、一冊の新品のスケッチブックを取り出した。

硬い表紙。A4サイズ。無地。

そして、3色ボールペン。

「青=思考」「緑=行動」「赤=感情」。私の世界を構成する三原色。


「なにそれ? お絵かき?」

乃亜が、不思議そうに首を傾げる。

「いいえ。これは『生活設計図』です」

「せいかつせっけいず?」

「はい。この家と、あなたと、私の生活を……するためのノートです」

私は、ペンの「青(思考)」を選び、ノートの最初のページを開いた。

そしてゴシック体で、このプロジェクトのタイトルを書き記した。


『ふたり暮らし日和びより・生活設計書』

【観測対象:佐伯 乃亜】

【最重要指標(KPI):彼女のの発生頻度と強度】


私はペンを握り直し、目の前の「解析不能なカオス」であり「最も心地よい環境」である彼女を、まっすぐに見据えた。

「佐伯さん。これから、あなたの生活を詳細に観測します」

「え? かんそく?」

「はい。よろしくお願いします」

彼女は数秒、ぽかん、としていたけれど、やがて、またあの花が咲くような笑顔になった。

「よくわかんないけど、うん! よろしくね、山茶花ちゃん!」

その笑顔を、私はノートに「赤(感情)」で小さく丸をつけ、観測時刻「15:04」と書き添えた。

私の、新しい生活設計が、今、始まった。

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