鑑定不能で追放された俺、真のスキルは“八咫眼”。 影暗者として因果を断ち、優しいまま最強になる

桃神かぐら

第1話 白に刻まれる名/【鑑定不能】

 王国歴五八七年、春分。王都アルカディアの心臓部――白大理石の階(きざはし)を幾重にも抱く大神殿は、いつもより一段と白かった。磨かれすぎた床は空の色を吸い、天蓋の聖歌が層になって降る。ステンドグラスの淡色は花粉のように舞い、目に見えぬ埃まで祝福の粒に変える。

 人は光に期待を託す。だからこそ、光は簡単に刃になる。


「宵宮(よいみや)澄真(すみま)、前へ」


 大司教の声は澄んでいた。東方訛りの名が堂内に細く響くと、前列の貴族たちがわずかに眉を動かす。異邦。辺境の武家の子。王国の言葉を正しく話すが、髪は黒に近い濃紺で、瞳は琥珀の薄い膜をかぶっている。礼を弁えて穏やか、声を荒らげたところを見たことがない。――だから彼らは思う。「従順に可塑である」と。


 澄真は祭壇の段を上り、神託の鑑定盤の手前で立ち止まる。掌を差し出す前に、一度だけ深く息を吸った。掌に執着は持たない。剣も、言葉も、評判も――離れれば軽くなる。


「手を」


 侍神官が促す。澄真は右手を水晶盤の上に静かに据えた。皮膚の下の脈拍が、石に吸われていく。魔力の流れは細いが、途切れてはいない。眩しさが指先から肘へ、肩へ、胸へ、ゆっくり這い上がる。


(頼るな。祈るな。ただ、視るだけだ)


 祭壇の光が呼吸に合わせて脈動した。観客席のざわめきが一度止む。通常ならば、このあと盤面にスキル名が浮かぶ。剣技強化、治癒適性、精霊交わり、鍛冶、調薬……この国で価値と呼ばれるものたち。名は即ち生の路。名を持てない者は路を持てない。


 光が収束する。水晶の内側で、何かが結晶する音がした気がした。

 ――浮かび上がった四文字に、聖歌が遅れて止まった。


【鑑定不能】


 堂の空気が、目に見えない硬さを増す。最初の嘲りは音にならない。眼差しの温度が先に変わる。冷たいというより、「ない」。存在に対する興味の欠落。澄真は、わずかに眼を伏せた。眉は動かさない。呼吸も変えない。胸の内で一度だけ、言葉を置く。


(――ああ、そうか)


 後見人として列席した王都官吏が、客席で顔をしかめる。貴族の婦人は扇をわずかに傾け、遠慮の薄い視線を投げる。前列の青年騎士が、同僚の肘をくすぐった。


「前代未聞だな」「東の神は沈黙か」「国に馴染まぬ魂か」


 水晶盤に手を乗せたまま、澄真は視線をずらす。盤の奥で、微小な黒い線が縦横に走っているのが見えた。蜘蛛の糸ではない。罅(ひび)でもない。言うなれば「定義の縫い目」。光は表面を照らすが、縫い目の奥まで届かない。


「……待て」


 後列から低い声が飛ぶ。王国騎士団の若き将、アルフォンス・ヴァルグレイ。聖騎士の紋章を肩に載せ、祭服に近い礼装が眩しい。彼は掌を掲げて神官を制し、盤面を覗き込む。


「二度の鑑定を許可する。誤記は神の名を汚す」


 大司教が短く頷く。再儀。澄真は手を離し、冷たい空気を掌に通してから再び置いた。魔力が吸われる。光が走る。縫い目がわずかに震える。


 浮かんだのは同じ四文字だった。


【鑑定不能】


「ふざけるな」


 耳に刺さる声は、阿呆のそれではない。秩序の側の怒りだ。価値を定義する役を担った者は、定義できないものを憎む。


 大司教は祭壇の封を指示する前に、淡々と補記した。

「宵宮は王国籍ではない。東方宵宮家よりの“外交預託”である。保護義務は名目上のものにすぎぬ。ゆえに、王国は籍の保持を拒むことができる」


 制度は、感情の外側で働く。


「宵宮澄真」


 大司教の声は平板だ。慈悲は私室に在り、公の場では働かない。

「スキルの表示は【鑑定不能】。よって本日をもって、君の成人の儀は結了。外交預託の解除、王都退去、王国境界までの護送、以後の入境を禁ず。執行は本日中とする」


 宣告は刃より薄いが、切断面は深い。観客席が波打つ。貴婦人が肩をすくめ、若い騎士が笑い、布教官がため息をつく。誰の心にも大義があり、誰の目にも澄真はいない。


「待て」

 アルフォンスがなおも言う。「宵宮は異邦の子だ。王国式の鑑定盤が読み取れぬだけの可能性も――」


「不要です」


 穏やかな声。澄真自身が口を開いた。静かに一礼し、盤から手を離す。掌は少しだけ白く、冷たい。

「表示が全てだと、この国では決まっているのでしょう。ならば、従います」


「お前……自分の生を、それでよいと?」


「よいものをよいと言い、悪いものを悪いと言う方が、私には難しいのです。――私は、与えられた名で歩きます」


 堂内の空気が、ほんの僅か揺れた。理解の外にあるものは、滑稽か不気味か、時に美しい。だが美はここで求められていない。必要なのは秩序だ。歯車は噛み合い、扉は閉まる。


 *


 廊の白さは、外へ向かうほど透明になる。嘲りは言葉に変わり、言葉は軽い音で石に弾む。


「鑑定不能。見事な紋章だな、宵宮。お前の家の旗に縫ってやろうか」「縫う旗が残っていれば、の話だ」


 笑いは鋭いが、彼らは残酷ではない。残酷になる理由がないだけだ。善良な市民と秩序は、いつだって刃の正面にいない。


 澄真は足を止めない。足音が響かないのは、靴底のせいだけではない。踏まずに滑る。影を踏み荒らさない歩き方の癖。東の家で教えられた「人に背を向ける時の礼」。


 石段を降りると、衛兵が無言で道を塞いだ。「こちらへ」。彼らは仕事をする。余計な言葉はない。門外に一台の荷車が待っている。布で覆われない、無蓋のそれは、光の下の「外」を告げる道具だ。


「持ち物は?」


「ありません」


 本当は、ある。薄刃の短刀。腰に差す習いはあるが、今日は差していない。神殿に刃物は持ち込まない。必要になれば、拾えばいい。


 階(きざはし)の影が長く伸びる。澄真は一度だけ振り返り、空を見上げた。雲が薄く流れ、陽の輪郭がやわらかい。春の光は、なんでも真実らしく見せる。だからこそ、よく視ること。


(視える。……視える、のに)


 水晶盤の奥で見えた「縫い目」。人々の言葉の縁(ふち)。大理石の床の斑点の配列。すべては秩序で、すべては綻びを含む。名付けられないから無いのではない。「無いことにされたもの」が、ここには多い。


「宵宮殿」


 声がした。振り向くと、灰の瞳の老兵――東から随行した従者が立っていた。深く頭を下げもしない。ただ、小さな布包みを差し出す。


「家より託されたものです。開けるのは――」


「必要な時に」


「はい」


 布は薄く、手触りは冷たい。重さは――ほとんどない。なのに、胸が少し軽くなる。荷車に乗り込む直前、老兵は短くだけ言った。「達者で」。彼は彼の秩序に従って生きる。別れ惜しむ顔を作ることも、善意を飾ることもしない。不器用の矜持。


 荷車が揺れ、石畳の振動が背に伝わる。神殿の白が遠ざかるにつれて、人足の声、露店の呼び声、日常の音が濃くなる。王都の門は大きく、衛兵は冷静だ。名が記され、印が押され、木札が割られる。半分は記録に残り、もう半分は荷車の脇に投げられた。


「王都退去、確認。宵宮澄真、王国境界まで護送――」


 衛兵はそこで言葉を切った。「ご武運を」とは言わない。彼は言ってはいけない言葉を知っている。だから黙る。沈黙は時に最大の礼儀だ。


 *


 街道が荒土に変わると、車輪は言葉をやめて呻吟(うめ)りだす。夕刻、風は湿り、遠景に影が増える。森だ。辺境の森。王国の地図の端で色が変わる場所。そこでは法が薄く、夜が厚い。


 荷車が止まる。御者が顎で示す。「ここまでだ」。地面に降りると、土の匂いが強い。鳥の声は少なく、葉の擦れる音が大きい。御者は水袋をひとつ放り、古びた刀を隣に投げる。「持っていけ」。言葉は仕事の一部であり、情けではない。車輪が回り、音が遠ざかる。


 ひとりになった。風が頬を撫でる。頬はまだ、温かい。

(ここから、どうする)


 恐怖はあるが、悲嘆は少ない。泣かないのではない。泣く時間がないだけだ。夜になる前に、寝場所、水、火。順番にやればいい。順番を誤らなければ、生き物は強い。


 森の縁に足を踏み入れた瞬間、視界の縁に糸が張るのが見えた。蜘蛛ではない。「縫い目」に似た細工。踏めば鳴る。避ければ絡む。選び方で結果が変わる罠――自然か、人為か。

 澄真は一歩下がり、靴底の泥を払う。左手で刀の柄に触れる。抜かない。抜かずに済むなら、それがいい。


 そのとき、胸元の内袋が、ひどく弱々しく、しかし確かに脈打った。


(……今?)


 布包みが熱を帯びる。熱といっても火傷の熱ではない。心臓の鼓動に似て、もう少し古い。祖先の手が井戸の水を汲むときの温度。耳の奥で、水の落ちる音がした。


 開く。薄布、和紙、細紐――指が覚えている手順に、思考が遅れて追いつく。最後の包みを外した瞬間、空気がわずかに重くなる。


 そこにあったのは、刃でも鏡でもない。名もない黒い欠片――いや、黒すぎる影の欠片だった。光を吸うのではない。光がそこを避けて流れる。手のひらに乗せると、文字が脳裏を静かに流れ込む。


【魂仕様情報:断片的再接続を検出】

【スキル構造:未定義/再構築中……】


《輪廻転生(サイクリカ)》:動作準備

 ┗ 過去世との魂位同期率:0.3%


《八咫眼(オルシーアイ)》:封印状態

《草薙(フェトセバラ)》:断片欠落

《常闇界(エタダレム)》:基盤層に潜在中


 ――“まだ”何も使えない。だが、確かにここにある。名もなく、見捨てられたはずの背中に。


 息が止まる。水晶盤に刻まれた四文字。人々の言葉の縁。森の口に張る無言の糸。すべて「定義」でできていて、すべてが「定義不能」を抱いている。胸の奥が、静かに笑った。


【八咫眼(オルシーアイ)――起動条件:視界に“定義不能”が満ちたとき】


「……そう」


 澄真は欠片を目元に近づける。冷たい。涙は出ない。落ち着いている。恐れは、やや遠い。目を閉じ、目を開く。


 ――世界は、静かに反転した。


 森の輪郭の外側に、もうひとつの線が走る。木々の影が地面に落ちる前に、先に影が木々を描いている。人の歩いた跡は土の上に残る前に、影の中に刻まれる。風は葉を揺らす前に、影を撫でる。影が先、光が後。名が先、実が後。世界がそう見える。


《八咫眼(オルシーアイ)》――起動。

《輪廻転生(サイクリカ)》――連結。

《草薙(フェトセバラ)》――接続。

《常闇界(エタダレム)》――扉、開示。


 胸の別の場所が、ゆっくり温まる。熱というより巡り。過去の自分の歩き癖。刃の角度。息の置き場。憎しみの飲み込み方。赦し方。生き延び方。知らないのに、知っている。


 足元の影が僅かに深む。そこは落とし穴ではない。ただ、厚い。踏み込めば沈むし、沈めることもできる。見られずに、届く。


(抜かないで、切れる)


 左掌に、形のない重みが集まる。刃という言葉は似合わない。ただ一条の「割れ目」。世界と世界のあいだに、紙の端を差し込む感覚。


 この森には、ひとつの噂があった。

“追放者狩り(エクスパルス・ハンター)” と呼ばれる一団。王都から捨てられた者を追い回し、狩り、売り飛ばす連中。生きて帰った者は誰もいない――と。

 彼らは「処分の手間を省くために、王国が黙認している」などとも囁かれている。


 つまり、澄真はただ捨てられたのではない。

 最初から、殺される予定だった。


 八咫眼が暗がりの向こうの「縫い目」を拾う。


 森の口に、かすかな笛の音が混じった。音色というほどではない。空気が細く裂ける、子どもの玩具の笛のような――助けを呼ぶには小さすぎる音。


 足元の土に、小さな足跡があった。踵が浅く、つま先だけが急いでいる。右足の外側だけ、泥の付着が濃い。――靴が壊れている。走りながら、痛い足をかばっている足取り。


 胸のどこかが、遅れて痛んだ。東で、下駄の鼻緒を結び直してやった日の指の感触が、唐突に蘇る。泣かない子どもは、泣かないのではない。泣く相手がいないだけだ。


 影が先に震えた。八咫眼(オルシーアイ)が拾う。木の陰、三。動かず待つ影と、回り込む影と、指で数を折る影。彼らの笑いは、音になる前に影で折れる。


 (最初に守るのは――)


 森の奥から、擦れた囁きが流れてくる。声は、風の鱗に引っかかって、必要なところだけ残った。


 「孤児なら高く売れる」「追放者狩りは今夜で終いだ」「王都の門、今月も通った。黙認だ」


 言葉は真実である必要がない。だが、影は嘘をつけない。八咫眼は、彼らの腹の底に沈んだ「慢心」と「金勘定」の色を、はっきりと視せる。


 澄真は、掌の中で草薙(フェトセバラ)を握り直した。刃は光らない。名だけが、静かに重い。


 (傷つける前に止める。間に合わなければ、確実に折る)


 息を一度、浅く置く。心の奥で、たったひとつだけ願う。「この森で、泣く声を増やさない」。怒りは熱ではない。薄い紙のようにたたみ、必要なときだけ開けばいい。


 足音を消す。常闇界(エタダレム)の扉が、目に見えない蝶番で回る。影の層に沈むと、世界の縫い目が一段階、手前に滑ってくる。罠の糸は鳴らない。鳴らせない。名を与え直せば、音は生まれない。


 「――子どもに手を出すなら」


 声は小さく、だが、森そのものに刻まれるように真っ直ぐだった。


 「お前たちの“路”(みち)を、ここで終わらせる」


 光にとって、澄真は消えた。影にとって、澄真は現れた。最初の敵は、名乗らなくていい。“追放者狩りの盗賊団”――孤児を黒市に流す連中で、王都の門が賄賂で目を閉じるほどには、腐っている。


 八咫眼が、隊長の喉元に0.2秒先の線を引く。草薙が、その線だけを割る。音はまだ、どこにも生まれていない。


 最初の仕事は、優しさの形をした無慈悲だった。


(――宵宮澄真。影暗者(シャウド・ストーカー)。)

その名は、誰にも与えられず、誰にも奪われない。

――ただ、そこにあった。


 呼ばれた覚えのない役職名が、胸の裏で音もなく瞬いた。

 白の時代は終わる。夜は、やさしくて、強い。

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