第5話 覚醒

アリオラは幼少期に吸血鬼である事が分かった。

人間だったら誰にも可能性がある、遠い先祖の血が稀に色濃く表れて吸血鬼として生まれる―――それは『先祖返り』として広く知られている。

ただ、それは知られているだけで、受け入れられない者もまたいる。

それが、アリオラの実父アンガビだった。

『人の血を啜るだと?汚らわしい。まるで獣と同じではないか!』

だからアリオラは吸血鬼と分かった幼少期からバスティア家の地下室に軟禁された。


『アンガビ、吸血鬼に生まれたのはアリオラのせいではあるまいに、アリオラはお前の娘ではないか!むごいことをするでない!』

前領主であるアンガビの父、アリオラの祖父であるサルマンの諫めを、

『父上、私が現領主で当主です。口出ししないで頂きたい!我がバスティア家の名誉に傷がつく事を私は許さない。あれは、そういう存在なのです』

アンガビは全く意に介さなかったからだ。


たまたま吸血鬼に生まれついてしまったアリオラは、吸血鬼である事で何一つ良い事は無かった。

吸血鬼にとって、普通の食事は味がせず、食べてもほんの少し空腹感が減るだけ。

血を飲まないでいると飢餓感に襲われ、ひどい眩暈や脱力感に苛まれ、極限までくると陽の光で肌が焼かれる。

飲んだ血を魔力に変換できる吸血鬼だったが、それがアリオラにもたらしたのは虐殺のための道具にされた事のみ。

高度な魔術式を記して村さえ焼き払える威力を持つ魔導武器は、基本的には魔獣から取れる魔石を魔力源として利用するものだ。

但し、危険を冒して魔獣を狩って得た魔石が持つ魔力量は少なく、魔道武器を使うためには魔石が大量に必要というデメリットがある。

それを無理やり解決する方法が、吸血鬼に血を与え続けて魔力に変換させて魔導武器に魔力を供給させること。魔獣を狩るよりも、家畜や、時に人間の血を用意する法が簡単かつ、効率的だったからアリオラは金で買われる事になった。

そして、魔道武器は魔法技術を使ったものだが、個人で魔法を放てる者は限られる。

一部魔力を持つ『耳長人』が人の身でありながら魔法を放てるが、どのように魔法を放つのかは秘匿されているのか、ほとんどの人間が知らぬ存在だった。

だから、アリオラも大多数と同じく、魔法など知らず放てない。

そもそも、吸血鬼を嫌った父に軟禁され、父に売られて飛空艇で無意識の1年間を過ごし、逃げ出して二年の歳月の中でも逃げる事ばかり考えていた。その後掴まってまた軟禁され6年。

戦う事など学んでいない―――アリオラに戦う力などないのだ。


それを、

『お嬢様は強い!吸血鬼はねえ、強いんですよ!』

ナノは強いと言うが、アリオラには理解できず、

「無理よ!わたし戦う方法を知らないよ?」

ナノに聞き返すのは無理からぬ事で、なのに、

「あれ、騎士さん三人だけでうちのお嬢様に勝てますかねえ?皆一緒にかかって来て下さい?一緒に倒させてもらえないとこっちが面倒なもんで!ああ、執事さん達もご自慢の部下さんとご一緒にどうぞ?相手はナナシ君がしてあげますよ?」

ナノが騎士青年達と執事達を煽るから、

「貴様、奴隷の分際でまた僕達を馬鹿にするのか!なら望み通りにしてやろう、誰があいつの首を飛ばすか、皆で競争といこう!」

「ああ、こんな愚弄は生まれて初めてだ。許せない!行こう、みな!」

「「「行くぞ!」」」

青年騎士達が一斉に抜剣し、

「うう、ナノどの。せっしゃには無理でござるう!怖いでござるう!ナノどのが代わってほしいでござるう!」

「何を言いだすかと思えば、子供が相手ですか。長刀は私が没収してバスティア家の武器庫の中ですが、どうやって戦うのでしょうね、子供奴隷は?」

「もしやせっしゃの刀を、置いたままにしているのでござるか?封印してないでござるか?」

「ただの剣になにをする必要があるのです?子供の言うことは分かりかねますねえ」

「ああ、それはまずいでござるう。あれはおそろしい刀でござるう。せっしゃが投げ捨てても、飛んで追いかけてくる、鬼の刀でござるのにい!ああ、来てしまったでござるう!」

ナナシがそう言った瞬間、内側から木板を打ち付けて光を遮るべく塞いだ窓を『スパン』と斬撃音一音で斬り破って、飛んできたのはナナシの刀。その刀が一緒にあった鞘に収まった後、すうっとナナシの背に収まったから、

「ほら、こうでござるう。なぜ封印してくれなかったでござるう!」

「なぜ、剣が飛んでくるのです?いえ、今は無礼な奴隷の挑発にのってあげましょう。武器を持ったなら、子供といえ容赦しません」

そう言って執事達も腰に手を回してそこから二本の短剣を抜き去って構えた。


恐怖に青ざめるアリオラに対するは、十二名の騎士青年達。

ぷるぷる震える子供のナナシに対するは、執事と四人の下男達。


指先まで細かく震えているアリオラの背から、鳴り響いていた太鼓の音が止まり。

「さあ、皆さん、始めましょうかあ!」

二本のバチを頭上で五度打ち合わせ、同じリズムにのって、再び響いてくるのは、

『ツタカカカカカ、ツタカカカカカ、ツタカカカカカ、ツタカカカカカ』

更に早いリズムを刻む太鼓の音で、聞いた途端アリオラの身体の震えが止まったのは、音に鼓舞されたからか、それとも違う何かが理由か。

ただ、体中を熱い熱のような力が駆け巡っていくから、

「―――っ」

アリオラは驚いて、後ろを振り返るとまたナノは笑っていて、だからなのか、

「わたし、やるよ!何の抵抗もしないまま、殺されてあげない!」

恐怖を置き去りにすべくアリオラは気を吐いた。


しかし、青年騎士達は余裕の笑みを浮かべて十二人がアリオラへと近づいて来る。

対して何の武器も持たぬアリオラは、何か武器になるものを捜し視線を彷徨わせ、ナノがまだじっとアリオラを見ている事に気づき、

「ナノ、何か知ってるなら教えて!わたしが、吸血鬼が強いって言ったのはナノよ!」

それを聞いたナノが、

「信じてもらえて光栄です、お嬢様!僕はそれを待ってました!では、口に出して―――」

何かを教えようとしてくれているのに、

「よそ見かい?関心しないな!僕の初体験に―――」

「ははは、僕と君、爵位は同じだけど、どっちの剣が獲物に早く届くか―――」

「最初の獲物は女と決めてるんだ。悪いけど僕が先―――」

三人の剣が打ち込まれて来るから、アリオラは彼らを視界に捉えたまま後ずさり、

「ただ、【血装ーけっそうー】と!」

短いが確かにアリオラの耳に届いたそれを、

「【血装ーけっそうー】!」

口にした。アリオラはおかしな奴隷のナノを、ただ一心に尽くしてくれたナノを、もう信じて疑わないから。


◆◆◆◆


執事達と訓練を受けた下男四名は、執事が何も指示しなくとも、騎士青年達と離れるようにすり足で移動し、ナナシと名乗る奴隷の子供と五人が同時に攻撃できる場所を作り出した。

相手は子供だが、執事の前職での教えが油断を許さない。

アンガビにも認められ地位を与えられるまで、彼は暗殺者だった。暗殺者組織が請け負った仕事を、はした金で実行させられる、そこらにいるような暗殺者ではなく、一流と認められる暗殺者。

しかし、彼は来る日も来る日も、自らの命を張って対象を殺す暗殺者稼業に嫌気がさした。

その頃にアンガビに拾われた形だ。別に恩というほどのものがないが、アンガビの重用と信頼に報いるべく、忠誠を誓っている。


暗殺者執事はだから、

「―――シッ!」

短く息を吐くと同時に、両手の短剣を時間差で投擲。

一本は腹目掛けて、一本は額目掛けて。

もしナナシの剣が魔剣か呪剣の類で、自動で迎撃をしたとしても、どちらかは防ぎきれぬ攻撃だ。

投擲直後、再び腰に手を回して予備の短剣を両手に構え直し、隙なくナナシから一瞬も目を離さなかった暗殺者執事は、信じられないものを見た。


ナナシの子供の身体が空間ごとクルンと入れ替わるように、少年が姿を現して自ら持った剣でもって、

『カキキン』

二本の短刀を一刀で叩き落したのだ。


「な、んだ。何が起こった?あの少年は―――子供奴隷が育った姿、か?なぜ?」


その顔だちに面影があり、その変わった着衣も同じ、但し柄などは異なっているが。

年齢は子供奴隷が7歳前後だったのに、少年姿の彼はおそらく12歳前後だろうか。

そんな子供が、暗殺者として鍛え上げてきた暗殺者執事の投擲技を防いだ、余裕で。


「子供とは油断していませんでしたが、本気も本気が必要なようですね」


そう目を細めた暗殺者執事の前で、

「おお?そうかこの歳のワシか、『刀技』無しで楽に勝てるようにせず、修行であると。なるほど!実にワシらしいやり方だ!よおし、元服したての頃のワシの力で修行とまいろう!」

少年が暗殺者執事達を見る目が、

「―――私達が獲物に見えている、のか」

ギラギラと輝いているから、知らず背に怖気を感じ、

「なぜあんな歳で、そんな目ができる?まるで、人を殺した経験があるかのような―――」

暗殺者執事が初めて人を殺したのは18歳の時である。

その後も、人が獲物のように見えるようになるまで十数年はかかったのに。

「何人殺してきた?お前、何者なんだ―――」

暗殺者執事の疑問は、

「久しぶりに表に出たんだ。お主ら、ワシを楽しませてくれ!」

獰猛に笑んだ少年が斬り込んで来た事で断ち切られた。


◆◆◆◆


騎士は役職である。

家柄の確かな者が、騎士学校で騎士がなんたるかを学び、訓練し、己を高めて卒業してやっと、王より叙任を受けて正式なオプラトス大王国の騎士になれる。

彼らは、先日騎士学校を卒業した者達で、切磋琢磨し合った級友である。


そして騎士を輩出してきた騎士学校に、密かに伝わる伝統の行為がある。

それが、騎士に叙任される前に、人を殺す経験を積む事。理由は、王命で人を殺す時に、一切の迷いがあっては王の剣たる騎士として失格である、というものだ。

この伝統は長く伝わっており、実際屋敷を訪れている騎士叙任前の彼らの親が、同じ伝統行為を経験している者も多い。

彼らの親は、自分がしてもらった時と同じに、息子が人を殺せるように手配し、息子の騎士としての未来を確かなものにしようとしたのである。


伝統に、同じ経験をしてそれが誇らしいと言ってはばからない親を持ち、彼らが人を殺しておく経験を前に迷いがあるはずがなかった。

ごく当たり前の己の輝かしい騎士生活の前の、ドキドキの初体験。

そんな風にしか考えていない彼らは、真新しい騎士鎧を誇らしげに身に着け、獲物を前に剣を抜く。

その抜剣音にも興奮し、誰もかれも、必要もないのに口々に興奮を吐き出した。


「よそ見かい?関心しないな!僕の初体験に―――」

「ははは、僕と君、爵位は同じだけど、どっちの剣が獲物に早く届くか―――」

「最初の獲物は女と決めてるんだ。悪いけど僕が先―――」


獲物は防具どころか武器すら持たぬ少女、美しいのが多少惜しいが、身分が違い過ぎて高位貴族である自分が相手にする女ではないと皆思い、迷いなく首へ剣を突き、肩から真直ぐ斬り下ろし、腹を横なぎにしようとして、

「【血装ーけっそうー】!」

女の口が呟いたのはもう剣が女の柔らかな肉へ届く寸前で、なのに、初撃を行う三人の視界が真赤に染まったと思った瞬間、剣がビタリと動かなくなった。

視界を覆っていたらしい、赤が視界から離れた時に三人が見たのは、

「僕の剣が、何かに掴まれているのか?なんだ、この赤いのは?」

「引いても押しても動かない。どうなってる?」

「これは、まさか、血か?血なら、僕の剣が届いたということでは?」

少女の周りで濃い赤い液体のような物が、三本の剣先を包み込んでいる信じられぬ光景。


「剣を止められた!守ってくれたんだ!わたし、やったよナノ!」

「いえいえ、お嬢様。いけませんねえ。まだお坊ちゃま方は負けたと思ってないでしょう?防御だけじゃ勝てませんよ?」

「どうしたらいい?ナノ」

「思い描けばいいんです。吸血鬼の血は魔力を纏って、主の意思で自在に動きますよ!あははあ、楽しくなりそうですねえ!じゃあ、もっと盛り上げていきましょうか!」


三人の前で余裕な様子の吸血鬼が、悠長に後ろを振り返って話しているのを三人は忌々しく見つめ。

その後ろの男が、太鼓を打っているのを三人は知っている。その音を鬱陶しいと感じていたから。

男は、両手に一本ずつバチを持ち、だから太鼓の音色が響いているうちは、太鼓の音色しか聞こえないと言う事だ。

なのに、

「弦楽器?それも、二種?い、いや三種?まてまて、手が足りないはずだ!」

「これはピアノの音?ふざけるな、どういう手品だ?」

絶対に手が足りないはずの5種の音が合わさって一体となり、その音を軽快で力強い太鼓の音がささえて、どんどん早く、どんどん激しくなっていく。

それはまるで、

「力が沸いてくる!ああ、心地よくて、なんて強くわたしの背中を押すの!最高よ、ナノ!」

戦に向かう兵を鼓舞する行進曲のように力強く軽快なのに、なぜか三人には背筋が寒くなる鎮魂歌にも感じて。

三人は顔を見合わせ、腰に帯びていた短剣を抜いて少女の腹へ目掛けて短剣を突き出し、そのどれもが薄く引き伸ばされた血がひと薙ぎされただけで、短剣三本も、宙空で血によって縫い留められた長剣三本も同時にスパッと切られて、大小六本の剣先が落ちた。

『カランカランカラン』

「「「―――っ」」」

その音を聞いて三人はぞっとする。

なぜなら、鍛冶師が最も強く仕上げる騎士の主要武器長剣が斬られるということは、彼らを絶対的に安全に守ってくれるはずの騎士鎧も、あっさり斬られる事を示しているから。


「み、み、見逃してやる!僕らは、君を見逃すから!」

「そ、そうだ、特別にな!じ、自由にどこへでも行くがいい!」

「あ、ああ。そうだ!バスティア家にも、僕の父から君を自由にするよう取り計らおう!か、感謝するんだぞ!」


しかし、三人の眼前で起こった事が、三人の大きな騎士鎧と格好付けのためにつけてきたマントのせいで見えなかった、後続の9名が、

「何を言うんだ。大王国騎士になるのに、腑抜けた事を言うなんて、見損なったぞ!」

「そうだ、君たちがやらないなら僕がやる!どいてくれ!」

「父上に逃げ帰ったと思われたくないからね、僕はやるよ!」

次々に少女を殺すと息まいた事を言うから、少女の顔を間近で見ていた三人は、少女が無表情になっていくのが恐ろしくて、

「や、やめろ!これ以上刺激するな!」

「こいつは―――この娘は、見逃すと約束したんだ!爵位が上の僕が言うんだ、ここは引いてくれ!」

「ま、待て!お、怒ってないよな?怒ってはだめだぞ?貴族家の娘だろう?お、男を笑って許すのが良い貴族家令嬢の在り方だぞ?な?な?」

しかし、彼らの願いは空しく、

「どうしたんだ、君たちは!もともと血を啜る汚れた吸血鬼だぞ、その娘は!殺しておくのが大王国のためだろう!吸血鬼の心臓だけあれば良いのだから!」

「そうだ、王のために王国のために命を選別する、それが大王国騎士じゃないか!」

「もうすぐ、王国の剣たる騎士になる僕達は、誰よりも王国のために殺す決意を鈍らせない、そうだろう!いいかげん、どいてくれ!」

残る9人は、彼女を貶めて、殺すと言ってはばからず、

「駄目だあ。もう駄目だあ」

「こ、殺しはしないだろ?な?ね?頼む!お願い!」

「命だけは!どうか、僕を待ってる家族がいるんだ!お願い!お願いします!」

少女の目が見開かれたのは、後ろの男の奏でる音楽が最高潮に激しく激しく鳴り響いた時で。


「今わたし、いい技の名前を考えたの!聞いてね、みんな?【血装・刃嵐ーじんらんー】!」


彼らの眼前でアリオラがそれを口にした途端、広い中央広間を風が渦巻く小さな嵐のごとく、しかし風の代わりに高速で舞うのは血の刃。それが折り重なって、連なって、まるで赤い半球体の表面を血が渦巻くように見えたそれが、部屋中の全てを飲み込んでいく、渦巻く小さな血の嵐が。


『ガリガリガリガリガリガリ―――』


血の嵐が収まった時、騎士になるための大切な経験を積むために意気揚々とやって来た騎士叙任直前の彼らの、全ての剣は断ち切られ、騎士鎧は王国の紋章部分に身に着けている者の腹が見えるほど、太く大きなバツ印が金属鎧を穿って刻まれ、なにより―――

「は、はは。命が助かっただけでも、いい。僕は、それだけで―――ん、君、額にバツ印が刻まれて血が出ているぞ?」

「え、ええ?僕の額にか?ちょ、ちょっと待て、そういう君こそ額にバツ印があるぞ!」

「ま、ま、まて。じゃあ、ここにいる級友みんな、なのか、そんな事!そんな事!もう貴族としての面子が立たない!貴族として終わりじゃないかあ!」

「騎士としても終わりだ!ああ、こんなところに来るんじゃなかったあああ!」

皆の額に薄い切り傷がバツ印を描いているから、皆自らの輝かしい騎士としての生活も、貴族としての名誉やプライドも何もかもが粉々になるまで切り刻まれた事を意味していた。

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