第3話 奴隷は猪突猛進

アリオラの部屋に響いたノックの音を、アリオラは無視した。


アリオラは確かに執事に脅されている、『すべきことをせよ、でなければロンダがどうなるか』だ。

だから本当は、その『すべきこと』をしてロンダに危害が加わらぬようにしたかった。

でもどうしてもそれは出来ない。

それをしてしまえばまた、魔力の素として扱われる道一直線だから。

6年前にアリオラが原因といっていい、飛空艇の魔導砲による攻撃で1000人以上の人間が虐殺された、あの時と同じことは絶対に起こしてはいけない。

「やっと、魔力を空っぽにできたんだから―――」

食事と特殊なものの摂取を完全に絶ったからこそ、アリオラは少しの陽光にも痛みが怒る極限状態になれたのだ。

「このまま行けば死ねるはず、きっと、きっと―――」

そうすれば、アリオラが死んでしまえば、アリオラが虐殺みたいな事に利用される事はなくなり、ロンダは人質の意味を持たなくなるから解放されるはずだ。アリオラが死んだら、ロンダを殺す意味などなくなるのだから。


だから、また奴隷が何かを食べさせようともってきてもアリオラは拒絶する。

『食べないと身体に障りますよ』と正論を言われて問答する気はアリオラにはないのだ。

だったら、部屋に入ってくる事そのものを止めさせればいい。

そういう無視であった。


だがしかし、

「はい、ばーん、と!奴隷ナノが参りましたよ、アリオラお嬢様!」

アリオラの入室の許可がないのに、部屋の扉は勢いよく開かれてそこにトレイを片手に持った奴隷ナノが部屋へ入ってきた。


「………」


ベッドの上、うつ伏せ姿勢だったアリオラは顔だけ向けて無言の抗議を視線で訴えたが、

「さあさあ、身の回りのお世話の時間ですよ。まずは、お食事から。僕、料理上手ですからね。楽しみにしてください?」

そう言ったナノが流れるように丸テーブルの上にトレイを乗せ、ベッドに歩き寄ると何の迷いもなく、アリオラを仰向けにひっくり返し、両腕に抱えてお姫様抱っこをするから、

「な、なにするの!」

アリオラは再び抗議。男が女であるアリオラの身に無断で触れていいはずがないからだ。

「おや、嫌がる事ができるのは素晴らしい。では怒って空いたお腹には美味しいお料理をどうぞ?」

しかしナノは悪びれる事なく、またも流れるように丸テーブルの横の椅子にアリオラを着席させる。

男のナノが触るから、その身を固くして抵抗していたのにも関わらずである。


「ど、どうして………」


アリオラの感じた不思議さを感じ取ったからか、

「僕、体術というんですか。あれを勉強しましてね。ここをこうしたら人体は自然とこう動くって教わるんですよ。役に立つもんですねえ。ああ!忘れるところでした。もう一つ、ここをですね。ぐーっと押すとぉ―――」

少々得意げにその技能が何であるか告白し、また流れるようにアリオラに触れて指先でぐっと押し込まれ、

「ま、また触った」

抗議を返したのだが、

「食欲が増すんですが、どうです?食欲出てきません?」

女性の身体に勝手に触れてくるナノにいやらしさは感じないものの、反省もまた感じさせないとぼけた笑みを返されて、

「そんな訳が―――」

そう言いかけたアリオラのお腹が『くうぅぅぅぅ』と鳴った。

飢餓状態の苦しみはあったが腹が鳴る事など一度も無かったのにである。


驚きと腹を鳴らせら多少の羞恥に頬が赤くなるのを感じ、アリオラは俯いて、

「ああ、そうかあ。お嬢様ですから、一人で食べた事がないんですね?いいでしょう、お嬢様の身の回りのお世話が僕の仕事!では、あーんっと!」

その口に滑り込ませるようにスープが乗ったスプーンが差し込まれて、

「―――っ!」

驚いたのは勝手に口に料理を放り込まれて事ではなくて、

「あ、味がする。どうして………」

アリオラは普通の料理に味を感じる事ができない。そういう体質といっていい。

食べる事は出来るし、ほんの少し栄養補給になるから食事は食べてきたが、味は別なのだ。

それが、

「ほら、言ったでしょう?僕、料理が得意ですって、ね?美味しいでしょ?力が沸き上がって来るようでしょ?僕の特別製ですからねえ!」

ナノが言った通りだったから、

「………」

アリオラは言葉が出ずに、代わりに涙をこぼした。

死ぬために食事を絶ってきたのに台無しな事、それをもっと台無しにしようとするアリオラの中の、もっと食べたいという欲求が沸き上がってくるから、それは生への執着ではないか、死ぬ気でいたはずではないかと心が軋んで苦しくて。それでも、一度沸き上がった欲求が止まらない。

「ええ?美味しい料理食べたら笑うとこですよ?いい笑顔が見たかったなあ。まあ、でも。はい、あーん!喜んでもらえたなら、良かった!」

アリオラは二口目をまたもナノに口に放り込まれ、しかし今度こそは自分でスプーンを持って食べ始めた。

具は小さくなるまで煮込まれたスープに、弱ったアリオラの身体へのいたわりを感じ、生まれて初めて美味しいと感じる料理を身体が求めるままに食べた。

貴族家に生まれたと言っても満足に教育を受けられたのは、サルマンとロンダと暮らした二年間だけ。

それでも、欲求のままにスプーンをかちゃかちゃ鳴らして、スープをむさぼるように食べる姿は、恥ずかしい事だとアリオラにも分かるのに、スプーンは止まらず、涙もまた止まらなかった。


(ごめんなさい、ごめんなさい、死ななきゃいけないのに、食べてごめんなさい、美味しいって感じてごめんなさい―――)


心中で誰にともなく謝って謝って謝って。

アリオラは最後、残り少なくなったスープを両手で皿を持ち上げて、皿の端に直接口をつけてスープを飲み干した。とても行儀が悪い行いだったが、我慢できなかった。

美味しかったスープは消えてしまった、アリオラの身体を駆け巡る湧き上がる力を残して。


「お口をひと拭き、と。お腹が満たされたなら、次です。さあ、行きましょう、お嬢様!」


スープで濡れた口元をナノが持つ清潔そうなハンカチで拭かれ、恥ずかしさでアリオラはまた頬を赤くしたが、頬を赤くするなどはまだ序の口だと直後に思い返す事になった。

食事が終わって、食べてしまった後悔と、美味しい料理で満たされた満足感とが混ざり合って、またも動けぬアリオラを、ナノは迷いなくまたお姫様抱っこする。


「また!今度はなに!」


お姫様抱っこされたままのアリオラを見たナノが、

「え?お風呂ですけど?」

まるでアリオラがおかしな事を聞いたように不思議そうな顔で答えるから、

「え?お風呂なんてこの屋敷には―――」

二年を暮らし、今回も既に一週間は屋敷で暮らしたアリオラは事実を言ったのに、

「はい、ばーん!と。ありますよ?ほら」

屋敷のうち使っていなかった部屋の扉をナノが開いた先に、

「う、そ………お風呂?」

木板を組み合わせたお風呂が部屋の中心に置かれていたからアリオラはナノを見て、

「作りました!僕、大工の修行をしたんですよ。いやあ、役に立ちましたねえ!」

ナノがにっこり笑うから、

「………」

アリオラは言葉が見つからなかった。

料理が上手く、体術を勉強し、食欲を促進する術を知っていて、今度は大工仕事を学んだと言い出すのが奴隷なのだから。優秀がすぎるではないかと思ったから。


ただ、残念な事にアリオラにナノが何者なのかを考える時間は無かった。

なぜなら、ナノがアリオラを立たせた後アリオラのワンピースの裾に手をかけたから、

「や、やめて。ぬ、脱がさな―――」

慌てて止めようとしたアリオラだったが、事は一瞬で終わって、

「はい、服は洗濯―――いや、捨てちゃいましょう!では、お嬢様お風呂へどうぞ?」

下着すら与えられていなかったアリオラはワンピースを脱がされただけで丸裸になった羞恥で蹲って両手で身体を隠していたが、その格好のままナノに抱えられて風呂へ入れられた。


「お嬢様、お嬢様の身の回りのお世話が僕の仕事ですよ?任せてもらわないと!さあ、泡風呂にしてありますから裸、見えないでしょう?はい、安心!では、失礼してお体を綺麗に!」


確かに湯の表面は大小の白い泡が覆ってアリオラから見ても、自分の身体は見えないが、そういう問題ではない。入浴前にナノは私の裸を見たではないか、と考えずにはいられない。

耳まで熱くなるほど恥ずかしかったのに、

「うわ。や、やめて、お湯の中でわたしを拭かないで、や、やめ―――」

ナノが屈んでタオルで湯の中のアリオラの身体をあちこち拭くから抵抗し、

「お嬢様、身体の汚れは心の乱れに繋がりますよ!可愛いお嬢様なんですから、綺麗になってもらわないと!さあ、腕を上げましょうねえ、わきの下を拭きますよお!」

抵抗はいともあっさり無視された。


髪も洗われ、顔まで撫でまわされて、アリオラはもう抵抗を止めてナノがするままに任せるようになっていた。

なぜなら、抵抗するだけ無駄だから。

加えて、お世話するナノにやはり、いやらしさを感じないから。


「さあ、拭き上がり完了!さて、お嬢様。こちらが新しいお召し物ですよ!」


ナノが差し出した服を、言われるままに身にまとう。

真っ白い下着に、黒いワンピースだが、太ももの半分も隠せていない程に裾が短い。胸元の布地が意匠をあしらったレースで肌色が透けて見える。加えて、膝上まである長い革に似たブーツと、太ももの半分までの黒いレースのストッキングである。

絶対に執事が用意したものではないと断言できるのは、きめ細やかなその肌ざわりが良すぎたから。

そして、なぜか身に着けた時に感じたのが大きく深い安心感だったから、

「………」

アリオラは困惑して言葉が出なかっただけなのだが、

「お嬢様?あれ、お気に召しません?あ、そうでしたね。鏡と………少々お待ちを………よし、と」

ナノが勘違いして鏡でアリオラの姿を見せようとしてくれるのはいいが、この屋敷に全身を移せる姿見がない事をアリオラは知っていたから、手鏡を差し出されると思っていたのに、

「え?全身を映す姿見?」

お風呂部屋の扉の室内面が姿見に変わっていたから驚いた。

「一種の魔法ですねえ、僕、ちょっとだけね。出来るんですよ!さ、そんな事よりどうです?今のお嬢様の姿は」

ナノは今回は『勉強した』とは言わなかった事に少しひっかかったが、世界に魔法がある事は知っているし、しかしどんな魔法があるか全く知らないアリオラは、魔法だと言われれば信じるしかないから、言われるままに姿見の前に立った。


「こ、れが、わたし?こんなに、わたし―――」

「そうでしょう、そうでしょう。アリオラお嬢様、お綺麗です!」

「でも、わたし。こんなに―――」

「お腹が満たされて、磨き上げられたお嬢様はねえ、綺麗ですよ?本来、お嬢様はこうなんです。自分が可愛く綺麗だと言う事を受け入れて下さいね?自分が可愛い事も知らないなんて、困ったお嬢様だなあ」


なぜかナノが誇らしげに言うから、

「ふふ、ふふふ―――え?」

アリオラは自然と出た自分の笑い声に驚く事になった。

サルマンとロンダに逃がされて執事に掴まったあの日以来、笑えた事など一度も無かったから。

そして、今もアリオラの身は金で売られ、買主に引き渡される絶望の中だというのに、である。


「笑う、実に素晴らしい!どうです、お嬢様。生きたくなってきませんか?」

「わ、わたしが、生きていいはずない!ナノは知らないから、わたしが何をしたか―――」

「え?知っていますが?でもそれ、お嬢様のせいじゃないでしょう?おかしな事を言うお嬢様だなあ、身の回りのお世話をする奴隷としては、心配な発言だあ」

「なにを知ってるって言うの?いい加減な事言わないで!」

「村を焼き払った王国の飛空艇が魔導砲に魔力を注ぐ、魔力の素として利用されたんでしょう?間違ってます?」

「ど、どうしてそれを?」

「僕はねえ、焼かれた村に友達がいたんですよねえ。焼かれた村を見て悲しくて、辛くて、一時とーっと強い怒りに呑まれそうになったんです。でも、アリオラお嬢様が逃げ出してくれて、僕の代わりにたくさん泣いてくれたから、僕はとーっても怖ろしい事をしなくて済みました。だから、アリオラお嬢様は僕の恩人なんです」

「そんな人が今わたしの前にいる………そんな偶然あるの?」

「まあ、あったんじゃないですかねえ?今が良ければ、そんな事、いいじゃないですか!」


曖昧な事を言うナノが少し疑わしくてナノを見ていたが、ナノはとぼけたように口笛を吹き始めたから、アリオラは疑ったところで何が悪い訳ではないと思いなおす。

アリオラはもう、ナノの献身に感謝しはじめているのだから。


改めて、鏡に映ったアリオラは、なぜか一食食べただけで肌の張りと艶が戻っている。赤錆色だった髪は明るい赤色になり、洗われて艶やか。瞳の色が赤の普通の目に戻っている。何より、その瞳に輝きが戻っているようにさえ見えた。アリオラにとって重要な物の摂取無しにはあり得ないはずの回復だった。

「どうして、食事一回だけで別人みたいに………」

思わず出た言葉に、

「僕特別製の料理って言ったじゃないですか。そりゃあ、回復して元気がもりもり沸いてきますよ?」

ナノがさも『当たり前の事なのに、変な事言うなあ』みたいに言うから、

「………」

じとーっとナノを見たが、ナノの表情は少しも揺るがないから諦めて、

「では、別人になったつもりで、生き直してみましょうか!今この時から、ね!お嬢様!」

ナノが笑んでそう言ったから、

「今回の事が全部終わって、まだわたしが生きていられたら、そうしようかな………」

そう答えてみたものの、その未来は来ないと心中で思いながら。

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