第16話 ソレンと『影』


使用人たちが宿舎に帰った夜更け。

酒場から戻ったソレンは、エリックの部屋へと続く隠し通路を上り、音もなくエリックの前に立った。


彼は難しい表情を浮かべ、手紙を書いていた。手元には、くしゃくしゃに丸められた紙と、愛らしい花の刺繍がされた小物入れが置かれている。


「エリック様、ギルド長たちは酒場で会合を開いておりました。 その席で、新事業に関する不満を口にしておりました」


ソレンがそう話し始めると、「ひゃっ!ソ、ソレン、いつの間に入ってきたの!?」とスヴェンの声が部屋に響いた。


「たった今です」


エリックも目を丸くしたが、すぐに表情をゆるめた。

「彼らの様子を見てきてくれたのかい?許容範囲内だよ。焦る必要はないさ。ドワーフは?」


「現在までに目撃情報はありません。見かけたら捕縛しますか?」


「捕縛っ!?犯罪者を捕まえるみたいな言い方じゃないか……」

スヴェンはそう言ったかと思うと、急に身を乗り出し、目を輝かせた。

「ところで、ソレン。いつから『影』で働いてるの?」


スヴェンのストレートな質問に、ソレンはふっと表情を緩めた。 その純粋な眼差しは、遠い昔、唯一心を許した少女の面影おもかげを思い出させたのだ。


「『影』の成人の年、十二歳です」


その言葉に、スヴェンは声を上げた。

「はぁ?そんなに早いのっ?あのさ、この際だから聞くけど、どうやって『影』になるの?」


この問いは、エリックやカールも興味を抱いたようで、三人の視線がソレンに集まった。


その圧に、ソレンはすこし身を引いて答えた。


「『影』になる、というのは語弊ごへいがあるかもしれません。私は物心ついた時から『影』となるために育てられてきました。必要な知識を学び、剣術や体術の訓練をし、十二歳になると任務に就くことになります」


「物心ついた時って、ソレンの両親も『影』なのか?」


カールの問いかけに、ソレンは首を振った。


「私は親を知りません。『影』の寄宿舎で育ちました。あの……そんなに『影』が気になりますか?」


「『影』というか…ソレンのことが知りたいんだよ。いつもどこにいるか分からないし、話す機会がないだろう?」 スヴェンは口をとがらせてそう言った。


その言葉に、ソレンは驚いた。

(まさか……働いていないと思われているのか!この私がっ)


ソレンは、自分が任務を怠っていないことを、しっかりと伝えるべきだと判断した。


「ご安心ください。何時いついかなる時も、常に皆さまのおそばに控えております」


すると、スヴェンの顔色がさーっと青くなった。

「えっ?常にって…トイレも、お風呂も?嫌だーっ!そばにいるなら姿見せといてよ。僕、お化けとか苦手なんだよ!急に音を立てたりしないでねっ。さっきだって、心臓が飛び出るかと思ったんだから!!」


ソレンは一瞬、理解が追いつかず固まった。

(お化け?そんなものいるはずがない。人間の方がよほど恐ろしいのだ。……そうか、スヴェン様は私の役割を忘れたのだな)


彼はそう思い、真面目な顔で答えた。

「私は『影』ですので」


その答えにスヴェンは頬を膨らませて、不満そうに聞いてきた。

「もう!じゃあ、『影』って何を学ぶんだよ?」


(エリック様への報告を済ませたら、また身をひそめるつもりだったが、なかなか質問が終わらない……)

ソレンは仕方なく、昔を思い出しながら話し始めた。


「分りました。では、ご説明いたしましょう。我々には言語力が最も必要とされます。アルフソン王国の古語まで学び、次に帝国語、大陸の大半で使われるロマ語をなまりなく話せるように訓練を受けます。各国の貴族名鑑に載る家門すべてを覚え、その歴史と貴族同士の繋がりまで理解し、そして、人体構造や薬学、簡単な医学……」


ソレンがすらすらと話していると、 スヴェンがさえぎった。

「待って!さらっとすごいこと言うね。十二歳までに覚えられるの?」


「無理だ!俺は毎日授業を受けさせられたが、帝国語なんて覚えられなかった。同じ島なのに、なんであそこは言葉が違うんだよ」

カールがそう不満をはくと、


「もちろん、できない者もおります。そうしますと、消されます」

そう言った瞬間、ソレンは遠い昔を思い出し、ちくりと心が痛んだ。


部屋の空気は一気に凍り付き、カールとスヴェンは怯えるように身を寄せ合う。

「「はぁ!?消されるって……なに??怖い、怖いっ!」」


ソレンは二人を安心させるように、にこりと笑ってこう言った。

「ええ、ですので必死に覚えるのです。それと同時に剣術、体術も訓練されます」


スヴェンは呆気に取られてつぶやいた。

「……寝る暇あった?」


勉強も剣術も難なくこなし、どの学科も常にトップの成績だったソレンは、特に大変だと感じたことはなかった。

(抜き打ちで深夜に襲い掛かられる訓練の時には、さすがに寝不足になったが……)


「ふむ、今思えば、それも訓練の一環でした。いつの間にか、短い睡眠時間でも働けるように、寝ていても警戒を解かないようになっていました」


「……もはや同じ人とは思えないよ」


「訓練次第ですよ。最終試験として五日間の拷問の試練を受け、残った者に『影』としての任務と名前が与えられます。納得されましたか?」


「十二歳で拷問…マジかよ…」


「そんなに厳しいなんて、私は何も知らなかった……」

エリックはそう言ってうつむいた。


(ふむ、拷問の話は避けた方が良かったか……)


ソレンがそう思っていると、沈黙を破るようにスヴェンが口を開いた。


「えーとっ…教えてくれてありがとう。とりあえず、僕には『様』付けで呼ばなくていいから。ソレンの努力に比べたら、僕なんて……。すごく頑張ったね。僕、ソレンを尊敬するよ」


「ああ、そうだな!俺にも『様』をつけるな!俺はそんなに偉くない。逆に、今日から『ソレン様』って呼ぼうか?」


ソレンは目を見開いた。

奇異の目で見られることに慣れていた自分に、こんな純粋な敬意が向けられるとは思ってもみなかったのだ。


『影』として育った日々は、いつも孤独の中にあった。周囲の子供の中でも、飛び抜けて優れていた彼は、嫉妬のあまり疎まれる存在だったのだ。

『影』となった後、処理した人は数知れず。任務を全うすること――それだけが彼の生きる意味のすべてだった。

しかし、目の前の三人は自分の過去ではなく、努力や存在そのものを純粋に尊重してくれた。


(……あれから、心を動かされることなどなかったのに。彼らの純粋さは、あの少女を思い出させる。彼女が生きていれば、彼らと同じように笑っていただろうか……)


ソレンの瞳に涙がにじんだ。彼の心に、昔の思い出が次々に蘇ってきた。

「今まで通りでお願いします」と短く答えるのが精いっぱいだった。


するとエリックが「では、わたしも……」と言いかけたので、ぎょっとして言葉をさえぎる。


「エ、エリック様はダメでございます!!私のあるじですので」


何とも残念そうな顔をしているエリックを見て、ソレンは危機感を覚えた。

(公子だというのに、まったく自覚をお持ちになっていない。この方は私がお守りしなければ……)


心の奥から蘇ってきた悲しい記憶はいつの間にか消え、目の前にいるあるじへと思いは移った。

生きることを諦めかけていたソレンは、もう一度……今度こそ守り抜こうと静かに決意した。




―――――


【作者より】


本日もお読みいただき、ありがとうございます!


今回、『影』についての説明でした。ソレンが背負う悲しい過去と、唯一心を開いた少女の存在……気になりますね。


続きは、明日\朝7時05分/に更新いたしますので、ぜひまた読みに来てください!


ソレンの過去が気になる!という方は、ぜひ【★(評価)】と【フォロー】で応援をお願いいたします!


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