第8話 フレイアとエマ

エリックたち三人が東部へ旅立ったあと、エマはフレイアに呼ばれ、初めてパラスに足を踏み入れた。


屋敷の奥にあると聞いていたが、ホールは吹き抜けで天井が高く、壁にはフレイアの兄で、大陸にも知られている有名な画家、ルーカス・クリーヴァルト伯爵の絵画が多数飾られていた。 花々が活けられた花瓶には金の装飾が施され、このホールの美術品だけで、自分の家が何軒も建つだろうと予想された。


(まあ、将来住むには悪くないかもね)


エマは、値踏ねぶみみするような眼差しでパラスを見渡しながら、侍女に案内されて居間へと入った。


ソファに腰かけたフレイアは、上等な絹に細やかな刺繍が施された部屋着をまとい、妖精のような淡い微笑みでエマを迎えた。


テーブルには色鮮やかな花々と、珍しい菓子がセッティングされている。エマが腰を下ろすと、侍女が香りのよい紅茶をそっと注いでくれた。


「あなたが何を好むか分からなくて、こんなに沢山になってしまったのよ。好きなものだけ召し上がってね。 エリックが、あなたの相談に乗ってほしいと頼んできた

のよ。心配ごとがあるのかしら?」

フレイアのその声は、公爵を支える人なのだと思わせる、威厳があった。


少し気後れしたエマだったが、紅茶を一口飲むと、自分の不安を話し始めた。

「ええ、エリック様と結婚したあとは、東部で共に暮らすと聞いたので……。本当かと思って……」


「そうね。エリックは強い決意を持って東部に旅立ちました。あの子がそう決めたのなら、夫と共にいるのが妻の役目です。 新婚から別々に暮らすなんて、聞いたことがないでしょう?社交シーズンは王都で過ごせると思いますよ」


エマは落胆した表情を浮かべた。彼女は母から、ペリンナか王都で暮らせると聞いていたのだ。

「そんな……東部は、劇場も有名な商会の店もないと聞きました。そんな田舎から社交シーズンだけ王都に出るなんて……私は流行に遅れてしまいます。公子の妻が流行遅れなんて、恥ずかしい!馬鹿にされるわ」


その言葉に、フレイアはわずかに眉を寄せ、視線を落とすと紅茶に手を伸ばし、ゆっくりとティーカップを傾けた。 音も立てずにカップを戻すその仕草からは、公爵夫人としての威厳が漂っていた。


「あなたは、何か勘違いをしていませんか?夫婦はお互いに支え合うのですよ。 いずれは子を産み、その子を後継者としていつくしみ、相応しく育てることが親の責務なのです。 あなたは貴族令嬢としての教育を受けていないの?」


「家庭教師がいます……一応……」


フレイアの指摘に、エマは罪の意識を感じてうつむいた。エリックとの婚約が決まった後、家庭教師が付けられたが、興味のある話しか聞いていなかったのだ。


(お母様は、難しいことは使用人に任せればいいと言ってたのに……)


両親の言葉を信じてきた彼女には、貴族としての常識が身についていなかった。公爵家にはあらゆる分野の使用人が大勢いる。 自分が指示さえすれば、彼らがすべて取り計らってくれると、疑うことすらなかった。


フレイアが侍女に合図すると、一冊の手記が運ばれてきた。


「まだ、書きかけなのだけれど……」

そう言って、フレイアはエマに手渡した。


エマがページをめくると、そこには公爵夫人としてフレイアがおこなってきた慈善活動や寄付、討伐で犠牲になった騎士の家族への手紙の書き方などが、細かく記されていた。


「私が行ってきたことは、そこに書いておきました。私は体調がすぐれないので、主にアナセンが代行してくれています。公爵は表向きの政務や討伐で忙しいのだから、公爵夫人は、彼の手が回らないことに目を向け、お互いに助け合って、北部の民を守っていくのですよ」


エマは興味なさそうに手記を閉じ、侍女に返した。


(こんなもの、何の役に立つのかしら?アナセンがやればいいじゃない)


エマはその思いを隠すように、ティーカップを傾ける。

フレイアは優しく諭すように話を続けた。


「焦る必要はないのよ。少しずつ知っていくと良いわ。あなたさえ良ければ、この屋敷に滞在して教育を受けてはどうかしら?東部へ行けば、ここで暮らす機会がしばらくないでしょうから。屋敷の中を見て回るだけでも、歴史を知ることができるのよ。王都の社交界に出た際、皆さまとの会話に困らないように、作法や礼儀を身に付けることも大切よ。もちろん、好きな時にご自宅に帰って、ご両親と過ごしてちょうだい」


エマはこの提案に驚いたが、すぐに笑みを浮かべた。


「ええ、喜んで!では、ここにお友達を呼んでお茶会を開いてもよろしいですか?パラスは温かいし、とても豪華で素敵ですから。皆、きっと羨むわ」


その言葉に、控えていた侍女や家政婦長がハッと息を飲んだ。 フレイアは彼女たちに目配せで静まるよう促すと、部屋はしんと静まった。


「エマ、残念ですが、パラスには家族以外入ることができません。それに、あなたはまだ婚約者の身です。公爵家でお茶会を主宰することはできないわ」


「え!どうして?」


フレイアは優雅に微笑んだ。

「ゆっくりでいいので、作法を覚えましょうね」


エマの胸には、大きな失望が広がった。期待に満ちた瞳が急に暗くなり、彼女は肩を落としながら視線をふせた。


フレイアは、エマの心にそっと触れるように、優しく言葉を続けた。


「エマ、今は学ぶ時期なのよ。あと二年待てば、素晴らしいお茶会を開くことができるわ。 結婚式の準備を通して、今まで知らなかったことを学んでいきましょう。 そうすれば、皆が驚くような、お茶会の主催者になれるわよ」


フレイアは、励ますようにエマに笑いかけた。

エマはほんの一瞬、瞳の奥に苛立ちを見せたが、次の瞬間には、笑みを浮かべた。


「そうですね!!」


そう言う胸の奥には、彼女の野心が潜んでいた。


(田舎なんて絶対に嫌よ!エリック様に話せば、私の言う通りにしてくれるわ。そして、絶対にここでお茶会を開いて見せる……)


エマは軽やかな足取りで、パラスをあとにした。



――――


【作者より】


フレイアとエマ。対照的でしたね。


次回から少し不穏な空気が……

明日も、\朝7時05分/に更新いたします。どうぞお楽しみに!


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