第4話 公爵ハロルドと『影』
穢れの森への討伐を前に、ハロルドは三人を執務室へ呼び寄せた。
彼らが部屋に入ると、ハロルドは寛いだようすで、ソファに腰を下ろして待っていた。
公爵を前に、カールとスヴェンは自然と背筋を伸ばす。 だが、ハロルドは「気にするな」と穏やかな笑みを浮かべ軽く手を振る。
普段は大らかで冗談も交える彼だが、戦場では先頭を切って駆ける勇敢な姿を見せ、騎士たちからは揺るぎない信頼が寄せられていた。
さらに、広大な領地の経営に加え、ルーツァ帝国との国境防衛、ストラ国に住み着くドラゴンの脅威など、絶え間ない警戒を強いられるこの地を守る手腕は、国王からも厚い信頼を得ていた。
ハロルドは三人を見渡し、少しだけ表情を引き締め口を開いた。
「数日後、討伐隊はここを発つ。すまんが、お前たちの出発の見送りはできない」
北部では穢れの森以外でも、冬になると各地で魔物の被害が頻発する。 討伐隊は森の任務を終えたあと、領内を巡りながら魔物を狩り、一か月ほどかけて公爵邸へ戻るのが常だった。
目の前の三人に、昔を懐かしむような視線を向けて言った。
「もう成人か。早いものだな。ついこの間まで、いたずらばかりして、フレイアを困らせていたというのに……」
エリックはちらりとスヴェンを見て、澄ました顔で言い放つ。
「父上、それはスヴェンです」
「ひどいぞ! エリックの裏切り者!」
「ろくでもない事を考えるのは、いつもスヴェンだからな。焼きたてのパンを、全部食べてしまった時の、料理長の剣幕はすごかったな」
ハロルドの豪快な笑い声が、部屋に響いた。
「はっはっは、懐かしいな。おかげで、あの日の食事にはパンが出なかったではないか。 まったく、本当に困った息子たちだ。だが、無事に成人を迎えられて何よりだ。 これからは、北部のために働いてくれると、期待しているぞ。」
公爵夫妻は、カールとスヴェンのことも我が子同然に、深い愛情を持って育ててきた。 彼らが互いに高め合い、励まし合いながら成長していく姿を、温かく見守ってきたのだった。
エリックは、強い決意を宿した眼差しで、父を真っすぐに見据えた。
「父上、東部の抱える問題は、三人で必ず解決してみせます」
ハロルドは静かにうなずき、エリックの隣に座るスヴェンへと視線を移した。
「スヴェン、お前はエリックやカールより一つ年下だ。成人前だが、大丈夫か?」
スヴェンは両手をきゅっと握り締め、真っすぐに顔を上げた。
「僕は二年前から、文官の仕事を学んできました。いつかは文官長になれるよう、頑張ります!」
その言葉に、ハロルドは一瞬驚いたように目を見開き、次の瞬間、声を上げて笑った。
「はっはっは! お前は秘書官にとどまらず、北部の頭脳になろうというのか!文官長とは政務や財政を預かるだけでなく、宰相でもあるんだぞ。 それに、文官長の厳しさは知っているはずだ。未だ、彼に認められた者は
公爵家文官長ヨハン・アナセン―― 北部の貴族で、彼の名を知らぬ者はいなかった。
税や財務管理に厳しく、一切の不正を許さない。 その厳格さと手腕は領地を超えて国中に
「心得ております!」
スヴェンの揺るぎない瞳に、ハロルドは満足げにうなずいた。
「そうか。なら、やってみろ」
そして、ハロルドは次にカールへと視線を移した。
「カールは護衛騎士見習いとして、エリックの傍を離れるな。お前はバルドガルと渡り合える、数少ない騎士だ。よく頑張ったな。あちらに副団長が滞在している。彼に護衛騎士の役割を教えてもらえ」
カールは「承知しました」と、
ハロルドは再びエリックに向き直ると、 「エリック、成人の
その瞬間、青年がスッと音もなく現れた。
「え? どこから……」
彼はまるで壁をすり抜けてきたかのように、ハロルドのうしろに立っていた。
北部では珍しい黒い髪を持ち、スラリと背が高く、端正な顔立ちだった。 貴族を思わせる優雅な
「お初にお目にかかります。ソレンと申します」
ソレンは、そっと胸に手を当てた。
「エリックはもちろん、カールとスヴェンも、公爵家を背負っていく人材になると信じている。我が公爵家の隠密――『影』について話しておこう」
三人は目を見開き、言葉を失った。
「ソーヴァード公爵家の『影』は、アルフソン王国全体の命運にかかわるような、重要な任務も遂行してきた。 財政の規模では、南部ボールドソン公爵家がこの国で最大といわれているが、国の防衛はソーヴァード家が重要な責務を担ってきたのだ。
数多くいる『影』の中でも、ソレンは飛びぬけて優秀だ。 帝国に潜入し、数年かけて内乱を先導することで、アルフソン王国への侵略を阻止した経歴を持っている。 お前たちのことも、必ず守ってくれる」
ソレンは、エリックの前に片膝をつき、頭を下げた。
「エリック様。今後は
そう言うと、ソレンの目が冷たく光った。 その瞳は、まるで未来を諦めているかのように感じられた。
「出発前には、フレイアにも挨拶をするのだぞ。東部都市の件は、文官長殿とよく話し合ってくれ」
「承知しました」
エリックがそう返事をすると、そろって執務室をあとにした。
廊下に出ると、カールとスヴェンは早速ソレンに詰め寄り、質問を始めた。
「剣は? 強いのか?」
「さっき、どこから現れたの!」
エリックが、間に入るように一歩前へ出る。
「お互いに少しずつ知り合っていこう。長い付き合いになるのだから」
彼のその言葉に、安心したように小さく息を吐くと、
「任務に戻ります」と短く告げ、次の瞬間、まるで影に溶け込むように、スッと目の前から姿を消した。
三人は目を見開き、息を呑んだ。
カールは興奮したようすで 、「隠密、かっこいーっ!」 と声を上げる。
その横で、真剣な表情を浮かべたスヴェンが、ぽつりとつぶやいた。
「……あの技があれば、団長の稽古から逃げられるかもしれないっ」
「そのための能力ではないと思うけれど……」
エリックは、困ったように二人を見つめた。
彼らの頭上——天井裏に身を潜めていたソレンが、思わずクスッと笑った。
それは心を無くした彼が、ほんの一瞬見せた隙だった。けれど、すぐにいつもの冷たい闇に沈んでいった。
――――
【作者より】
お読みいただき、ありがとうございます!
第三部まで続くこの話……結末までのプロットが整ったので、満を持して本日より投稿を開始しました。
エリックを中心に、護衛カール、文官スヴェン、そして「影」ソレン——この四人が物語の中心人物です。 彼らの進む道の先に見えてくるものは……?
明日からは、 \朝7時05分/ に更新いたします。ぜひまた読みに来てください。
四人を応援して下さる方は、【★評価】と【フォロー】をお願いします!
※ドキドキしながら今日を迎えました。物語の感想をぜひお聞かせていただけると、励みになります!
☆モシュネア島のマップや、主なキャラクターの相関図など、物語の設定をオフィシャルサイトで公開中!
(設定を考えすぎる作者が、それを公開するためだけに、頑張って作ったサイトです。見てやってください。)
[https://taenatsuo.xsrv.jp/blog/]
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