哲也の災難
今日は哲也さんとのツーリング。いきなり聞かされた話でぶっ飛ばされそうになった。鈴音を会いもせずにブッチしやがった哲也のお兄さんだけど、結婚したらしいのよ。あのね、結婚したい相手がいるのならお見合いなんかホイホイ受けるなよな。この辺はあれこれ事情があるにせよだ。
結婚した後だけど、親との同居を望んだんだって。この辺は長男だからもあるかもしれないけど、新婚早々で親との同居なんか望むものかな。これも旦那さんならまだしも奥さんが良く同意したんものだ。
親の介護問題はとにかく社会的大問題になってるけど、同居するとしても新婚すぐはないよ。せいぜい、親が弱って来た時にやっと行動に移すのじゃないかな。
「新居の資金を貯めるとかの話です」
ああ、なるほど。それはありか。新居の購入費用なり、建設費用の目途が付くまでの期間限定ってやつかな。それでも奥さんが嫌がりそうなもので、時間がかかっても夫婦で貯めようとするところが多いと思うけど。
そこら辺は当人に聞いてみないとわからないけど、お兄さん夫婦が同居するのに際して、哲也さんが家から出て行ってくれるように要求されたってなんだよそれ。
「狭くなるからみたいです」
そりゃ、そうだけど、哲也さんだって、しっかりした収入がある訳じゃないはずだから、
「ボクも兄嫁さんと肌が合いそうにないから出て行くことにしました」
いやいや、あっさり言うけど、そうなれば自立して自活しないと行けなくなるじゃない。もしかしてホームレスになってしまったとか。
「それはいくらなんでも。なんとか住むところを確保できました」
哲也さんでも借りられるところとなると・・・それって事故物件とか、
「なんも出て来ませんし、そうだの説明もありませんでした」
事故物件なら、そうだって普通は説明するはずだよね。その辺は悪質不動産もいるから、なんとも言えないにしろだ。だったら四畳半一間の昭和の骨董品みたいなアパートだとか、
「そこまで酷くはありません。ちゃんとバスもトイレも付いてます」
それって薪で焚く風呂で、トイレはボットン式とか。
「そんな物件は神戸市内で探す方が難しいと思います」
それもそうだ。そこそこぐらいはマシなレベルかもしれない。でもだ、でもだよ、アパートを借りたら家賃も必要だし、その前に敷金だって必要だ。さらに水道代だって、光熱費もかかって来る。
それだけじゃない。暮らすとなると生活に必要なものを買いそろえなきゃいけなくなる。それこそ寝るための布団からだ。冷蔵庫だって、洗濯機だって、お皿やお箸まですべてだぞ。いくら安く買い集めても、どうしたってそれなりにかかるじゃない。
哲也さんの家庭事情からすれば、それに対して親の援助はアテになりそうな気がしない。それこそ体一つで追い出された可能性だってありそうだもの。そこまで話した時に気づいちゃったんだよ。これって人生の重大な岐路にいるのじゃないかって。
鈴音は哲也さんを気に入ってる。容貌も、人柄も申し分なしだから関係を進めたくて仕方がないところがある。たぶんだけど哲也さんも鈴音を気に入ってるはずなんだ。そんな愛してる人が突然のピンチに陥ったような状況じゃないの。
まだ恋人関係になってないし、ましてや将来を誓い合った仲でもない。とは言え、そっちの方に進みたい関係ではあるはず。そうなのよ、相手のピンチをチャンスに変えて、一挙に関係を進められる時の気がする。
何をするってか。そんなもの同居だ。哲也さん単独なら生活の維持は大変過ぎるけど、二人が同居すれば負担はかなり軽くなる。こういう事も現実はともかく、恋愛小説とか、ネット漫画ならよくある展開だ。
突然のピンチに困っている相手を自分の家に引き取って保護するのは王道パターンだよ。そこから魅かれ合って恋人関係になり、同棲に雪崩れ込みゴールインだ。ただそっちに踏み切るのには少々ネックがある。
そういうパターンで多いのは女が困っている状況だ。それこそ寒空に放り出され、行く当てもない状況に陥ってるぐらい。そうだな、ネカフェに泊まるカネどころか、コンビニでお握りさえ買えないぐらい困り果ててるぐらいだ。
女と男が入れ替わっていても良いのだけど、そこに救世主として現れる方はその相手を庇護するぐらいの経済力があるのが前提だ。引き取って共倒れではシャレにならないものね。そこがしっかりしてないと同棲や結婚なんて夢物語だ。
ここだけどやっぱり女と男では立ち位置が変わるところがある。たとえば女が困っているのなら専業主婦になっても問題はない。働いても良いけど、それだって男の経済力がしっかりある前提での共働きみたいなものだよ。極論すれば女が働こうが、働こまいが結婚への道に関係ない。
だけどだよ、今回は男が困ってる。いくら男女平等の世の中とは言え専業主夫コースは無理があり過ぎる。恋愛小説とか、ネット漫画でも女の力を借りながらでも男は自立できる経済力を得るだろうが。
わかるかな。女は経済力の無い男を養いたいのは少ないはずなんだ。鈴音だってヒモ夫が欲しいものか、いくら結婚に飢えてるアラサー女でも、ヒモ夫確定みたいなのを夫どころか恋人にもしないだろうが。
少なくとも鈴音にそんな趣味はないし、たとえ趣味があっても鈴音の収入じゃ無理だ。ここだけど現状は実質ヒモ男だけど、将来の夢に託す女のパターンはある。売れないアーティストの才能を信じる糟糠の妻みたいな位置づけだ。
糟糠の妻も夫が成功すれば終わりよければすべて良しになる可能性はある。可能性としたのは、売れたら糟糠の妻を捨て去るハズレ男もいるからね。そこまでの展開はとりあえず置いといて、糟糠の妻になるには条件があると思う。
それは男の将来を固く信じられることに尽きると思う。信じ抜いてるからこそ、どんな苦労も乗り越えられる愛を持てるはずなんだ。哲也さん相手なら糟糠の妻になってしまうけど、悪いけど哲也さんの才能に鈴音は惚れこんでいないのよね。
どうしてかって? そんなものイラストを見たってわかんないからだよ。上手だとは思うけど、上手ぐらいでイラストが売れたら誰も苦労しないはずなんだ。似顔絵を描いてる画家がいるけど、あれだって素人から見れば上手なんだよ。でもさぁ、似顔絵を描いてるぐらいだから、言ったら悪いけど売れない画家になっちゃんだよ。
もちろん似顔絵を描いてる画家の中から成功者は出て来てるはず。でもさぁ、でもさぁ、本当に売れる人って似顔絵時代はトットと卒業するはずなんだよ。そうなのよ、哲也さんはもう三十歳になってるんおよ。
どこかで聞いたことがあるけど、ああいうものは上手で当たり前で、そこに何か売れるだけの上積みが必要なんだって。それが上積みできるかどうかと言うか、上積みできる才能があるかどうかがすべてを決めるとか、なんとか。
なんかわかったような、わからない話だけど、実感としたら良くわかるのよ。会社員だって仕事が出来るか出来ないか、さらにこの先に出世しそうかどうかは、どこかで肌で感じるのよね。出来る人は同じ仕事をしても切れ味が確実に違うもの。
これは鈴音だけが持つ特殊感覚じゃなく、一緒に働けば誰でも感じると思う。社内の大きな関心に出世はどうしたってあるし、それに対する人事評価もあれこれあるはずだけど、数字なんか具体的に知らなくても、
『昇進するならアイツだろう』
こういう空気は誰もが感じるのよね。そういう空気を感じ取って、そんな男に目を付け群がる女どもの話は置いとく。つうか、鈴音もそうだったけど、まさかの肉キチガイだったのは誤算だし黒歴史だ。
哲也さんを男として欲しいだけなら、手を差し伸べて引っ張り込むチャンスなのは見えてる。人としては魅かれ合ってるから、同居から同棲、さらには結婚だって可能のはず。だけど、どうしたって現実が重すぎる。
ヒモ夫は嫌だし、哲也さんの才能に惚れこんでの糟糠の妻にもなれそうにない。だったら切り捨てるかと言われたら、それが出来たらこんなに悩むはずがないだろうが。なんかさ、出口のない袋小路に入り込んでる気分だ。
ここは卑怯だけどペンディングにしたい。卑怯とか、計算高いって言われそうだけど、どうしたって結婚となると、その後の家庭をどうするかとか、そうだそうだ、子どもが出来たらどうするかだってある。でさぁ、ぶっちゃけ現状はどうなんだ。
「一人暮らしを楽しんでますよ。慣れるまで大変そうですけど」
生まれてからずっと実家暮らしだったものね。でもそんな悠長なことを言ってる余裕はあるの?
「売れないイラストレーターですけど、それぐらいはなんとか」
ホントかな。バイト地獄でもやし三昧とか、
「もやしは嫌いじゃないですが、ちゃんと食べてますよ」
不安がテンコモリだけど、今日のところはあえて鵜呑みにして信じる事にする。哲也さんに悪いけど、まだ賽を投げる度胸が鈴音に無いもの。
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