十年目のコーヒー
旭
第1章 −優斗−
駅前の小さなカフェに、秋の風が吹き込んだ。
コーヒーの香りとともに、懐かしい声が耳に届く。
「……もしかして、優斗くん?」
顔を上げると、そこに立っていたのは――十年前、初めて「好き」と言えなかった相手、沙耶だった。
「……沙耶?」
彼女は少し驚いたように笑った。あの頃と同じ笑顔。でも、髪は肩まで伸び、指には細い銀の指輪が光っていた。
「こんなところで会うなんて、奇跡だね。」
優斗は何か言おうとしたが、言葉がうまく出てこない。
十年という時間が、喉の奥に蓋をしてしまったみたいだった。
⸻
「ねぇ、覚えてる? 高校の文化祭で、最後に一緒に片付けした夜。」
「……もちろん。」
「私、あの時……言おうと思ってたんだよ。『好きだった』って。」
カップの縁を指でなぞりながら、彼女は小さく笑った。
優斗の心臓が一瞬止まったような気がした。
でも、その笑顔の奥に、もう届かない場所があることもわかっていた。
「……俺も、言えなかった。ずっと。」
「ふふ。私たち、タイミング悪いね。」
窓の外では、赤く色づいた街路樹が風に揺れている。
二人の間に流れる沈黙は、懐かしく、どこか心地よかった。
⸻
「旦那さん、元気?」
勇気を出して、優斗は尋ねた。
「うん。転勤で東京に行っちゃったけど、もうすぐ戻るの。今日は実家に寄るついでにここまで来たんだ。」
「そうか。」
ほんの少しだけ、コーヒーが苦く感じた。
⸻
別れ際、沙耶は立ち止まって言った。
「優斗くん、あの時言えなかったけど……あの気持ちは、ちゃんと本物だったよ。」
「……ありがとう。」
彼女の背中が人混みに消えていく。
秋風がカップの中のコーヒーを冷ますように、胸の奥の温もりを少しずつ奪っていった。
それでも――優斗は微笑んだ。
十年越しの初恋は、ようやく「思い出」という名前に変わったのだから。
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