第15話 なぜ“幸せ”は長続きしないの?

昼休みの屋上。

のぶたんは空を見上げて、ストローでジュースをかき混ぜていた。

「昨日、ずっと欲しかったスニーカーを買ったの。

 すっごくうれしかったのに……今朝もう“普通”になってた。」


ユリエもんは風に揺れる髪を押さえながら、

となりのベンチに座った。

「それは、“幸せの揮発性”だね。」


「きゅう……何?」

「“揮発性”。香水みたいに、時間とともに薄れていくってこと。」

「えぇ〜、幸せってそんな儚いの?」

ユリエもんは小さく笑った。

「じゃあ今日は、“幸せが長続きしない理由”を考えよう。」



1. 幸せは“慣れる”もの


ユリエもんはノートを開き、グラフを描いた。

横軸に〈時間〉、縦軸に〈幸福度〉。

グラフは最初にぐんと上がり、やがて水平になる。


「心理学ではこれを“快楽順応”って言う。

 新しい刺激に脳が慣れて、感じる幸福が減っていく現象。」


「つまり、幸せって“賞味期限”があるんだ。」

「そう。人間の脳は、変化に反応する装置。

 “うれしい”が続くと、それを基準にして“普通”に戻してしまう。」


のぶたんはうつむきながらジュースを飲む。

「じゃあ、幸せを感じ続けることって無理なの?」

「“感じ続ける”のは難しいけど、“感じ直す”ことならできる。」


「感じ直す?」

「うん。たとえば、昨日のスニーカーを履いて、“あの時の自分”を思い出す。

 そうすると、脳は再び“新しい刺激”として受け取るんだ。」



2. 比較が幸せを溶かす


ユリエもんは次に二つの円を描いた。

ひとつに“自分”、もうひとつに“他人”。


「幸せが薄れるもう一つの理由は、“比較”。

 自分の幸せが、他人の幸せと並んだ瞬間に薄まる。」


のぶたんはため息をつく。

「SNSで見る“楽しそうな投稿”とか……?」

「そう。“他人の幸せ”は、見えるようにできてる。

 でも“自分の幸せ”は、内側でしか感じられない。

 だから、“見えるもの”の方が強くなるんだ。」


「じゃあ、比べないようにするしかないの?」

「ううん。“比べる”のは自然な反応。

 大切なのは、“比較の方向”。

 他人と比べるより、“昨日の自分”と比べること。」


のぶたんは目を丸くした。

「昨日の私より、ちょっと笑えたら、それでいいんだね。」

「そう。“成長”という幸福は、腐らないから。」



3. “幸せ”と“満足”のちがい


「ねぇユリエもん。幸せと満足って同じじゃないの?」

「似てるけど、ちがう。」

ユリエもんは黒板に二つの言葉を書いた。


幸せ:瞬間の輝き

満足:静かな余韻


「“幸せ”は、感情の花火。

 一瞬で心を照らして消える。

 “満足”は、夜空に残る余熱。

 静かだけど、長くあたたかい。」


のぶたんは頬杖をつく。

「じゃあ、長く続くのは“満足”の方なんだね。」

「うん。“幸せを追う”より、“満足を育てる”方が、

 心は穏やかになる。」



4. “足りない”から生まれる幸せ


ユリエもんは少し遠くを見つめながら言った。

「もうひとつ大事なこと。

 幸せは、“足りない”ところからしか生まれない。」


「足りないのに、幸せ?」

「そう。“足りない”を感じるからこそ、人は感動できる。

 完全な世界では、感謝も感動も起きない。

 幸せって、“欠け”の中に咲く花なんだよ。」


のぶたんは笑った。

「じゃあ私、しょっちゅう幸せになれるタイプかも。」

「うん、君は“余白のある人”だからね。」



5. しあわせのリズム


風がやみ、屋上に静けさが戻る。

のぶたんは空を見上げて言った。

「幸せって、波みたいだね。来ては消えて、また来る。」

「うん。だから、ずっと続ける必要なんてない。

 “幸せじゃない時間”があるから、“幸せ”が見える。」


「……たしかに、毎日が最高だったら、たぶん疲れちゃう。」

「そう。“幸福”はリズム。静けさがあるから、音が響く。」



6. 黒板の三行

1. 幸せは“慣れる”けれど、“感じ直す”ことで蘇る

2. 比較より、“昨日の自分”を基準にする

3. “満足”は、静かに続く幸せ


のぶたんはベンチから立ち上がり、空のペットボトルをぎゅっと握った。

「ユリエもん。幸せって、ちゃんと“使う”ものなんだね。」

「そう。ため込むより、使ってこそ増える。」

のぶたんは笑って言った。

「じゃあ、今の“楽しかった”もちゃんと使うね。」

「うん。次の笑顔の燃料になるよ。」



Epilogue


幸せは、消えるものじゃない。

形を変えて、思い出や優しさに姿を変える。


今日もまた——ユリエもんとのぶたんは、

揮発していく日々の中で、

“満ちていく静けさ”を分かち合っている。



次回(予告)

第16話「どうして“完璧”を目指すと苦しくなるの?」

──自己理想と現実のズレ、そして“未完成の美学”をめぐる授業。

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