第2話 再会の空


川沿いの桜並木は、今年も変わらず満開だった。

けれど、ゆあにとってこの季節は少し苦手だった。

風が吹くたびに、あの春の記憶が胸を締めつける。


──「ごめん。」


あの文字を見てから、もう何年が経っただろう。

高校を卒業して、大学いきながら地元の小さな書店で働くようになった。


制服じゃなくエプロンをつけて本を並べる毎日。

お客さんの笑顔を見れば少しは心が軽くなるけれど、

ふとした瞬間、あの横顔を探している自分がいる。


“もし、もう一度会えたら──何を言えばいいんだろう。”


その日、ゆあは昼休みに外へ出た。

風が心地よくて、少しだけ歩きたくなった。

川沿いの道を抜けて、坂を下ると、懐かしい公園が見えてきた。

ブランコ、錆びた鉄棒、色褪せたベンチ。


──全部、れんと過ごした思い出の場所だった。


ベンチに腰を下ろし、春の空を見上げる。

空は高く、どこまでも青くて。


「ねぇ、れん今どこにいるの?」


誰に届くこともない言葉が、風に溶けて消えた。

その時。

背後から聞こえた、懐かしい声。


「……久しぶり、だな。ゆあ」


振り向いた瞬間、息が止まった。


そこに立っていたのは──れんだった。

少し背が伸びて、顔つきも大人びていた。

けれど、笑った時の目の形も、声のトーンも、何も変わっていなかった。

ゆあは立ち上がった。言葉が出てこない。


「……れん、なの?」

「うん。」

「なんで……なんで、何も言わずにいなくなったの?」


問いかける声が震えた。

ずっと胸の奥にしまっていた想いが、一気に溢れそうになる。

れんはしばらく黙っていた。

その沈黙が、かえって答えの重さを物語っていた。


「言えなかったんだ。」

「言えなかった?」

「言ったら、たぶん……行けなくなるから。」

「行けなくなるって……どこに?」


蓮少しだけ空を見上げ、苦笑いした。


「東京。母さんの病気の治療で。急に決まって、すぐに行かなきゃいけなかったんだ。」

「……そんなの、言ってくれればよかったのに。」

「言いたかったよ。でも……あの日、言葉が出なかった。

“ごめん”って書くのが精一杯だった。」


ゆあの目に、じんわりと涙が滲んだ。

何度も夢に見た再会。

何度も想像した“理由”。

でも、現実に彼が立っていて、話していることが信じられなかった。


「ねぇ、今は……もう、東京に戻っちゃうの?」

「いや。母さんも落ち着いたし、今は戻ってきたんだ。

また、ここで暮らすよ。」


少し照れたように笑うれん

その笑顔に、ゆあの胸が締めつけられた。


「……ずるいよ。」

「え?」

「いなくなる時も、戻ってくる時も……いつも急なんだから。」


れんは黙って、ゆあの頭をそっと撫でた。


「ごめんな。」


その優しい手の感触が、あの日の春の風を思い出させた。

夕暮れの空は、オレンジ色から藍色へと変わっていく。

公園の桜が風に舞い、二人の間をひらひらと通り抜けた。


「ねぇ、れん」

「ん?」

「もしまたいなくなっても……今度は“またね”って言ってよ。」

「……あぁ。約束する。」


その言葉に、ゆあは微笑んだ。

でも胸の奥に、小さな不安が残っていた。

れんの笑顔が、どこか寂しげに見えたから。

春の風が吹くたびに、心がざわめいた。

まるで、再び何かが始まり、そして終わろうとしているように──。

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