鳥の世界とヒト

グラッセ

序章

世界は大きく変わった。

人間は生き延びるために、多種多様な変異を遂げた。

どうしてそのような必要があったのかは分からない。

けれど、それは生き物としての進化の一形態だったのだろう。


ある国には、翼を持つ変異型の人間がいた。

この変異は大きく二つに分かれる。

腕が翼に変わった種と、背に翼を生やした種とだ。


世界にはさまざまな変異を遂げた人間がいたが、

それでもなお、変異を持たない「人間」が多く存在した。

彼らは翼ある者たちを最初こそ恐れたが、

真っ白な翼を見たとき、「神だ」と崇めた。


白い翼を持つ種は自然と尊ばれ、やがて“神の化身”と呼ばれるようになった。

しかしその生活は、空を舞うことをやめ、

地に伏し、与えられる食に身を委ねるだけの日々となっていった。

動かぬまま肥え太り、翼を引きずって歩く姿は痛々しかった。


それでも中には、異なる考えを抱く者がいた。

「私は神ではない。あなたと同じ人間だ。どうか神と呼ばないでほしい。あなたと話がしたい」


翼を持たぬ人は首を傾げ、静かに答えた。

「あなたは我々より多くの可能性を持っている。神聖な存在です。恐れ多いことを言わないでください」

そして深く頭を下げ、跪いた。


「私は神ではない。あなたと同じ生き物で、同じ人間だ」

——白翼の者は毎日、訪れる人々にそう言い続けた。

だが誰もが同じように、「いいえ、あなたは神聖な存在です」と繰り返した。


やがて彼は気づいた。

「翼をなくせば、人間になれるのだろうか」と。


その日から、羽をむしる朝が始まった。

血をにじませながら、少しずつ。

白い羽が部屋を埋め尽くしていく。

世話をする者は小さく息を呑み、「ああ、今日も……」と呟き、散らばった羽を丁寧に集めて持ち去った。


ある夜、扉が静かに開いた。

血で固まった羽に、しっとりとした何かが触れる。

白い羽の下で、その温度がわずかに伝わった。

ぱた、ぱた、と降り注ぐ水滴。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

世話係は泣きながら、薬を塗り続けた。

羽の熱が少しだけ穏やかになった。


だがほどなく、扉が荒々しく開かれた。

「神への冒涜だ!」

怒声とともに数人の人間が世話人を引きずり出す。

肉を打つような音が、何度も何度も響いた。


夜は、朝に塗りつぶされた。


やがて、翼の羽は完全に失われた。

それでも人は、「あなたは神聖な存在です」と言い続けた。


種の多くは空を舞うことをあきらめ、

切り取られた翼を背負ったまま地上を歩いた。

それでも人は彼らを人間と認めず、ただ「神」と呼び続けた。


ある日、ひとりの白翼が崖を登った。

「私は人間だ」と叫び、

その証を示すように崖から飛び出した。


広げた翼に羽はなく、身体はそのまま落ちていった。

鈍い音とともに地は血に染まり、

小さな肉片があたりに散った。


人々はその身体の周りに集まり、

赤い肉片を丁寧に皿や籠に盛った。


「さあ、今日はごちそうだよ。神様の肉だ。健やかに育ちなさい」

そう言って、幼い子どもたちに食べさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る