第33話 「ドラマティック・レイン」

雨の日曜の朝。

昨日の土曜出勤は最後に接待飲みがあったから、目覚めがちょっとダルい。


ベッドから起き上がると、湿った空気が肌に纏わりついた。

天気予報だと、今日は涼しいとか言ってたけど。


枕元のスマホの時刻は10:08。フォロー済みXの更新くらいで着信や新規メッセージはなし。ふと、タスクをタップすると、来週の日曜日に『デート』の文字とハートマークがあったりする。


えーと実はですね、一昨日の金曜日、なんと桃原咲良[ももはら さくら]ちゃんからようやく電話があったんですよ。


しかも、電話の向こうの咲良ちゃんは、『デートのリベンジをさせて下さい』と蕩けそうな声だったりした訳で。咲良ちゃんが私なんかを好きになってくれるかどうか判らないけど、でも楽しみは楽しみでしょ。そっくりとまではいかないけど、柚季に似てるんだよ? きっと一緒に居たら楽しいに決まってるじゃん。


デートはもちろんマイハマランド。咲良ちゃんは自分もお金を払うとか言ったけど、そこは譲れない私。アラサー女子として14歳の少女に出させられないというか、ちょっとした罪滅ぼしの気分というか。こないだは黄許花梨[きもと かりん]ちゃんと青祈芽皐[あおき めいさ]ちゃんとのデートを楽しんで、更に花梨ちゃんとはえっちしちゃったし。


ちなみに、事前に伝えてある通り、妹の実鈴[みのり]ちゃんの体調が悪化したらデートは順延という約束。咲良ちゃんは私の気遣いが嬉しかったみたいだけど、実はちょっとだけ釈然としない気分もある私だったり。


なんで実鈴ちゃんの介助は咲良ちゃんが強制なんだろ?

ご両親とか、ヘルパーさんとかは?


いくらなんでも、14歳の少女に身体の不自由な妹の世話に専念しろっていうの、どこか奇妙な気がする。


後になってみれば、この疑問は真実を捉えていたんだけど ──それは、まだちょっとだけ先の話。


ところで、咲良ちゃんの事情が判った花梨ちゃんと芽皐ちゃんは、自分達の誤解に気づいたらしい。あの後、3人は改めて話し合って仲直りしたみたいだけど、さすがにそこに同席するのは遠慮したワタシ。14歳の少女達の友情はアラサー女子にはちょっと眩しすぎるっていうか、羨ましかっただけなんだけどね。


しばらく、スマホの画面をうっとりと見つめた後で、よいしょっと身体を起こしてベッドから出た。なんとなく湯船に浸かりたい気分だったから、お湯を貯めつつマグカップでインスタントコーヒーを一杯。飲み終わったカップをシンクに持って行くと、イエローのマグカップが水切りラックに伏せてあった。実はこれ、なんかの景品だかで貰って使ってなかったヤツを花梨ちゃん用におろしたマグカップ。


ちなみに、花梨ちゃんは一昨日の金曜の夜も、ご両親の帰りが遅いという事でいそいそとウチに来てた。当然、また花梨ちゃんをベッドで泣かせてしまいましたよ。で、終わった後の紅茶を出したのがこのカップ。マグカップを両手で挟むように持って「ふーふー」してる花梨ちゃんが、それはそれは可愛かったっけ。全裸にシーツだけ巻き付けた格好で、こくこく紅茶を飲む14歳の少女。思い出すと、なんだか頬が熱い。


もちろん、私が咲良ちゃんとデートの約束をしていることを、あの場にいた花梨ちゃんは知っている。それでも、花梨ちゃんは『良かったですね、お姉さん』と心から嬉しそうに祝福をしてくれたのだ。


しかも『咲良は、アイスクリームはイチゴ味が大好きですよ』『咲良はジェットコースターが好きです』等々。花梨ちゃんは一所懸命、私の役に立とうと色んな咲良ちゃんのデータを教えてくれたのだ。ただ、えっちの時の花梨ちゃんは異常に甘えん坊だった。理由はまあ、なんとなく判るのが申し訳ない。


仮に私と咲良ちゃんが上手く行ったら、自分はあっという間に用済みになると思ってるんだろうなぁ。まあ、確かに万が一咲良ちゃんと付き合えることになったら、花梨ちゃんを抱いてあげる訳にはいかないよね。断言出来るけど、咲良ちゃんって、めちゃくちゃ独占欲が強いっていうか、愛情が深いみたいだし。





モヤモヤした気分でシャワーを浴びて、ドライヤーで髪をブローしつつ軽くメイクすると既に11時過ぎ。ソファーに寝転がった私は、なんとなくスマホをいじって登録してる配信ドラマの更新をチェックした。ちょうど、人気絶頂の読モの桜羽薫子[さくらば かおるこ]──ルコちゃんの新作ドラマが来てたんで、さっそく視聴。お、このシナリオ、ルコちゃんの魅力を上手く引き出せてて悪くない。よし、「いいね!」押しとこうっと。


それにしてもルコちゃんって、年齢以上に大人っぽくていつも凛々しくて、ホントに素敵な娘だよね。大切な幼馴染がいるとかラジオで言ってたけど、その娘のことを語る時だけ口調がデレデレで面白かったっけ。超絶美人でなんでも完璧だっていうそのルコちゃんの幼馴染、一回でいいから会ってみたいもんだ。





ドラマを観終わった私が昼ごはん用に鍋でパスタを茹で始めた途端、スマホがぶるぶる震え出した。


横目でスマホを見ると、画面表示は「ウォーター」――すなわち、ピュアウォーターこと青祈芽皐ちゃん。


時計を見ると12:11。


あれ?

そういえば、芽皐ちゃんは今日はお出かけじゃなかったっけ?  


芽皐ちゃんとは、咲良ちゃんから電話が来たその金曜日に、待ち合わせて一緒にお茶を飲んでいる。『花梨ちゃんを焚き付けたでしょ?』って叱ったら、澄ました顔で『わたしは、きっかけをあげただけです』だってさ。苦笑いしつつ、花梨ちゃんとえっちしたこと、咲良ちゃんとデートすることになったことなんかを話した。頬を染めてもじもじした芽皐ちゃんは『花梨とどんなことしたんですか?』ってなんか百合えっちに興味津々。綺麗で凛とした芽皐ちゃんの身体から桃色のオーラ。この娘がこういう表情すると、凄く官能的で困る。


『さすがにそれは話せないわ』とピシャリと断ると、芽皐ちゃんは『ケチです!』っと可愛く口を尖らす。だってさ、花梨ちゃんの両手を拘束してローション使ったぬるぬるえっちで虐めまくったなんて言えないじゃん!


このティータイムの会話の中で、今日の芽皐ちゃんはお母さんとお洒落してお出かけだって聞いていた。お母さん大好きな芽皐ちゃんは『久し振りになんで、本当に楽しみです』って言ってたっけ。そんな芽皐ちゃんからの突然の電話に、なんとなく意外な気分でパスタを茹でてたレンジの火を消す。タオルで手を拭いてから、バイブレーションを続けているスマホを持ち上げて、画面をさっとスライド。


「もしもし、芽皐ちゃん?」


こないだよりは早く出たつもりだけど、電話の向こうは無言。


あれ?

電波障害か何かかな?


私はスマホに耳を押し付けて、もう一度


「もしもし、芽皐ちゃん?」


と大きめの声、だけど反応なし。不意に、学生時代のことを思い出して、心臓がどくんと大きく跳ね上がった。まさか!? とは思うけども。


何人もの女の子と付き合って修羅場の連続だった日々、よくこういう電話を受けたことを思い出す。わざと無言の時間を作って、電話の向こうに耳を澄ました。小さな息遣い、これは鼻を啜っている音。


「芽皐ちゃん? 泣いてるよね、今?」


スマホを握り締めた私はストレートに尋ねる。対面と違って、会話以外じゃ情報収集が出来ないし。案の定、電話の向こうで息を呑んだ気配。1分ほどの無言の後で、芽皐ちゃんの声が聞こえる。


《泣いてません》


ちょっと聞いただけで、泣いてたのがモロバレの声。いつものキリッとした芽阜ちゃんの声じゃない。


《そ、それに、もうそんなことは、どうでもいいんです》


ぐすっと鼻を啜った後で、芽皐ちゃんが投げやりに呻いた。どことなく、暗くせつなそうな声色だ。ああもう、やたらとドッ、ドッ、ってどこかのドラムの音が五月蝿いな、と思ったら私の心臓の鼓動だった。


「どうしたの、何かあったの? そこに行こうか!?」


電話の向こうから反応がない。


ええい! 

30年近く生きてるってのに、本当に私は無能っ!

いつも、お姉さんお姉さんとチヤホヤされてやがる癖に、こんな時に出来ることがただ叫ぶだけなんて!


不意に、電話の向こうからいつもの芽皐ちゃんとは似ても似つかない気弱な声が聞こえてきた。


《最後に、お別れが言いたかったんです。お姉さんには色々お世話になりましたから》


私の呼吸が止まる。

似たセリフは何度も聞いたことあるけど、この口調はかなりマズいレベルだ。


慌てて「芽皐ちゃんっ!!」と叫ぶ私のセリフを遮るように、芽皐ちゃんは明るく言った。


《わたしなんて、誰からも好かれてないから……死んじゃった方がいいんです。わたしなんて……》


そこで通話が終わる。《ツーツー》という機械的な音が、なんとも腹立たしくて、もどかしい。すぐに折り返したけど芽皐ちゃんのスマホは電源が切られてる。一応、伝言は入れたけどきっと無意味。慌てて最低限の身繕いをした私は、財布とスマホだけバッグに突っ込んで家を飛び出す。




マンションのドアを開けると、ざぁーって冷たい雨の音が一気に押し寄せてきて、ちょっと鳥肌が立った。




芽皐ちゃんは、自分がどこにいるかは言わなかった。

普通なら探しようがないかもしれない。


けど、私は知っている。

本当に今すぐ死のうと思ってる人は、こうやって電話をかけてきたりは、しないってことを。


賭けてもいいけど、芽皐ちゃんは私が知ってる(もしくは、知ってると芽皐ちゃんが思ってる)場所で、私を待ってる。ダテに学生時代に三角関係の修羅場を数多く経験してない──って自慢すんな、そんなこと!!


後から考えれば、ここで桃原咲良ちゃんか黄許花梨ちゃんに電話を入れるべきだったのかも。でも、この時の私はそんなことに考えが回らなかった。落ち着いてるようで、やっぱりパニくってたんだろう。


急いでエレベーターでマンションの1階まで降りて、傘をさしてマンションの周りをぐるり廻った。残念。どうやら第一候補の「私のマンションの敷地内」は違ったようだ。ちょっと隠れるような場所もない。


さっきの会話の中でわざと作った無言の時間で、私は芽皐ちゃんの背後の音を聞いていた。


雨の音の大きさからして、芽皐ちゃんがいるのは「屋外」だ。あの音は、スマホに雨が当たってる音。しかも、人の話し声が聞こえなかったから、街中とかじゃない。だから、候補は「3つ」に絞っている。第一候補が『電話の相手の私のマンション』。それが外れたんでスマホでタクシー呼んで行き先を指定。


「あれ? 今日は“ここ”、お休みで閉まってるんじゃないですか」


初老の運転手さんが指摘してくれるけど、そんなことは百も承知なので「でも、お願いします」と頼む。しばらく雨の中を走って、第三候補の『芽皐ちゃんの通う中高大一貫のお嬢様学園』に到着。


案の定、タクシーで外周を廻って貰っても、日曜日で門も閉まってるし、人影も見当たらない。もともと可能性は低かったし、第二候補へ行く通り道だから念の為に寄ってみただけなんだけどね。


「ごめんなさい、もう1箇所だけ廻ってもらっていいですか?」


両手を合わせてお詫びをしながら頼むと、気の良さそうな運転手さんが心配そうな顔で言う。


「ひょっとして、家出か何かですか?」


ズバリ聞かれてしまった。私が気まずそうに微笑むと「じゃあ、急ぎましょう」とアクセルを踏んでくれる。タクシーは制限速度めいっぱいで走ってくれたんだけど、それでも雨の休日の都内は、信号と渋滞ばかり。自分の足で走ってるわけじゃない分、なんか焦れる~! タクシーは失敗だったかなぁ!? ふと、茹でた後そのまま放置してきたパスタを思い出す。うーん、アレはもう食べられないよな、ぴえん。


ようやく目的地に着いた頃には、最初の芽皐ちゃんの電話から1時間半経ってしまっていた。


入口が見えたところでタクシーを止めて貰う。エンジンの音に気付かれて、逃げられちゃったら困るし。電子マネーで料金を払って「助かりました!」と運転手さんに御礼を言ってから車を降りた。運転手さんは何か言いたそうだったけど、敢えて無視しつつ傘をさして雨の中を静かに目的地へ。



最後の候補は、雨に包まれている無人の児童公園



そう、『素顔の芽皐ちゃんと初めて会った場所』だった。

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