第25話 野崎くんの創作秘話
1ヶ月前――
あの日男子校である音光学園に、一人の美少女が転校してきた。
「吉野月美です。よろしくお願いします」
清楚で上品な少女が教壇に立った瞬間、教室中がざわめいた。男子校に慣れ親しんだ生徒たちにとって、それは衝撃的な出来事だった。
しかし、野崎だけは違った。この状況を冷静に分析していた。
(これはドラマだ)
冷静に観察する野崎の脳内では、既に創作者としての本能が動き始めていた。
(男子校に女子が一人……)
無限にアイディアが湧いてくる。キャラクター設定、世界観、ストーリー展開。野崎の手は無意識にノートに向かい、設定を書き殴り始めた。
『転校生ヒロインを巡る恋愛シミュレーション』
『その一人を巡って男子同士が争い合う』
『学園もの、恋愛もの、逆ハーレム系...』
そこまで書いて、野崎は慌ててノートを閉じた。
(なんて……それ女性向け逆ハーレムものじゃないか)
大きく息を吐く。そして、再びノートを開く。降りてくる無限のアイディアを一つも撮り逃したくない。
野崎は降りてきたアイディアを言語化して書き下していく。
その中で徐々に月美をモデルにしたキャラクターができあがっていく。
そのキャラクターは、今連載中の『よし恋!』のゆるふわヒロイン、佳子とは大きく異なる清楚な少女像が出来上がっていた。
男子校という特殊な環境に突如現れた一人の少女。これほど創作意欲をかき立てる状況はない。
彼女は野崎にインスピーレーションをくれる。
(しっかり観察しよう)
こうして野崎の密かな観察が始まった。
◆
「実際の女子高生ってこんな感じなのか」
野崎は月美の自然な振る舞いを観察し続けた。クラスメイトとの何気ない会話、休み時間の過ごし方、昼食の食べ方。すべてが新鮮で、創作の参考になった。
しかし、予想外の現実が待っていた。
(あれ?誰も月美を巡って争わない)
野崎が想像していた逆ハーレム展開は起こらず、むしろクラス全体が月美を自然に受け入れている。
(逆ハーレム設定と全然違う……)
でも、その自然さがかえって興味深かった。
(机上の設定より、現実の方が面白い)
『よし恋!』では、佳子をとりまくいろいろなイケメンが佳子を巡って駆け引きが起こる展開なのだが、そうはなっていない。みんな月美を高嶺の花のように扱い、みんな大事にしているのが見て取れる。
観察ノートはどんどん厚くなっていく。
『女子生徒の歩き方について――足音の違いと歩幅の特徴』
『化粧直しのタイミング――昼休みと放課後の行動パターン』
『女性らしい仕草の分析――髪をかき上げる動作の自然さについて』
野崎の几帳面な文字で、詳細な観察記録が綴られていった。
(これは新しいタイプの作品になりそうだ)
◆
そして1ヶ月が経った、あの放課後。
野崎は偶然、月美の正体を目撃した。
「え……桜井君?」
一瞬、信じられずに目をこすった。1ヶ月間観察し続けていた美しい少女が、実はクラスメイトの美月だった。
第一のショック――自分の観察眼への絶望。
(1ヶ月間気づかなかった俺の観察眼って……漫画家として致命的じゃないか)
なぜ気づかなかった?
骨格はよく見るとたしかに男性のそれだ。
野崎は普段外を歩いていると職業柄色々な人を観察する曲がついている。その人をみて、性別はもちろん、年齢、職業、どんな生活を普段しているのか、などを妄想して設定する。
当然おなじことを月美にもしていた。しかも漫画のモデルとして描くべく通常より深く深く分析していた。
それにもかかわらず気付けなかった。
月美の、いや美月の「男子校に女子が転校」「その女性らしい立ち振舞」これにすっかりだまされてしまった。
──漫画家としてやっていけるのだろうか。
第二のショック――状況の特殊性への気づき。
(待て……これってもっと凄い状況じゃないか。男子が女装して男子校に……)
これは逆ハーレム設定を遥かに超えた現実だった。
つまり、蓋を開けてみたら、男子が男子校に転校してきた(ように見せかけた)という、実はごく普通のなんともない状況なのだ。要するに、女子が男子校に転校してきたなんていう事実はなく、男子がもとからいる学校に別人としてきただけという話なのだ。
それなのに女子が男子校に転校してきて以上に想像の斜め上に感じるのが不思議だ。
第三のショック――創作意欲の大爆発。
こんな面白いことが起こりうるだろうか?いやおきえない。
これを作品にしなければ人生の損失だ。
観察ノートを握りしめる手が震えた。
(ああ、今すぐ家に帰って描きたい)
野崎は震えるのであった。
◆
その夜、野崎は一睡もせずに制作を開始した。
(『よし恋!』の佳子とは正反対のヒロイン)
(読者も最初から真実を知っている共犯者構造)
(「バレちゃダメ!」のハラハラ感)
現実観察ノートの内容を全てつぎ込んで、リアルな細部描写を心がけた。
主人公の名前決定も、野崎らしく直球だった。
月美……
そのままじゃだめだ。月、星、太陽──
星美(ほしみ)──
そのまんまじゃないか。でも逆に、そのストレートさが良いと思った。
(読者にも覚えやすいし、隠しすぎない方がいい)
月(つき)から星(ほし)への天体繋がりも自然で気に入った。
タイトルは──
ほしみのひみつ
ひらがなで7文字。読みにくいのが逆に味になると思う。すごく気に入った。
気がついたら1週間で3話分が完成していた。
(ご飯?睡眠?そんなの後でいい)
3話分完成後、野崎は即座に企画書30ページの制作を開始。午前3時まで一睡もせずに作業した。
(完璧な提案資料が必要だ)
そして、連載決定――
翌日の打ち合わせで、担当編集から「春野先生、連載決定です」の知らせを受けた時。
野崎は表情を変えることなく「ありがとうございます」と答えたが、内心では静かな達成感が広がっていた。
(やはりそうなるだろうな)
冷静な分析だった。これほど面白い素材を連載しないなんて、出版社側も損失だ。ビジネス的に考えても当然の判断だろう。
でも、何より嬉しかったのは別のことだった。
(桜井君に、お礼を言える)
美月が意図せず提供してくれた「最高の素材」。あの1ヶ月間の観察記録、そして衝撃的な真実の発覚。すべてが『ほしみのひみつ』という作品に結実した。
野崎は帰宅すると、机の上に広げられた原稿を見つめた。ペン入れが完了したばかりの原稿用紙。トーンが美しく貼られたコマ割り。キャラクターの表情一つ一つに、あの時の観察記録が活かされている。
(これで良い作品が描けた)
普段、野崎は自分の作品に対して冷静だ。客観視して、改善点を見つけることの方が多い。
しかし今回だけは違った。心からの手応えを感じている。
(『よし恋!』とは全く違うタイプの作品になった)
『よし恋!』は王道の恋愛コメディー。読者の期待に応える、安定した面白さがある。
対して『ほしみのひみつ』は……
(読者も共犯者になる構造)
最初から真実を知っている読者が、主人公と一緒にハラハラドキドキする。バレそうになる度に「大丈夫か!?」と心配になる。
そんな新しいタイプの作品に仕上がった。
野崎は新しいケント紙を取り出すと、Gペンのペン先を確認した。
(桜井君、ありがとう)
声には出さないが、心の中で静かに感謝を込めた。
(君のおかげで、最高の作品が生まれた)
明日からまた新しい話を描こう。『ほしみのひみつ』の続きを。そして美月の新しい日常も、きっとまた観察させてもらおう。
創作者として、そして一人のクラスメイトとして。
野崎は今日も、静かにペンを握るのであった。
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