第9話 黒蔦の罠と、奪われた少年
——守りたいという願いより、帝国の罠の方が早かった。
黒い蔦が伸びた瞬間、二人の旅は残酷に『喪失の物語』へとねじ曲げられる。
——
何日後かの夜明け、ナナは地図に目を落とし、ぶつぶつと考えている。
「うん、おそらく今日中に、大湖が見えてくると思う」
「ほんとですか?」
弾むような声で、トキが笑顔になる。
「あとひと頑張りだよ。あそこにみえる丘を越えたら、おそらく見えてくると思う」
そういって、目の前に拡がる小高い丘陵を指し示す。二人はその向こうに見えるものに思いを馳せながら、準備を整えると、お互いの顔を見合わせた。
これまでの旅路が頭をかすめ、大切になったお互いを思う。
ナナは指にいまだに残るトキの唇の感触が胸をざわつかせ、トキは、ナナに抱きしめられたことを思い出し、自分がこの人の助けになれる喜びに胸を弾ませる。
二人の視線が絡み合い、どちらともなく笑顔で言い合う。
「一緒に行こう」
出発してしばらくして、丘陵の中腹に来た頃。
「あれ、なんでしょう?」
トキがそう言って、右後方を指さす。
そこには、凪いだ風の中、まっすぐ天に向かって、黒い煙が立ち上っていた。
「なんだろう?火事?」
そうナナが答えながら、とにかく進もうと丘の向こうを目指して行った。
しばらくして、今度は左後方にも同じような黒い煙が、ゆらりと青い空を引き裂くように立ち上っていくのが見える。
「まさか、あれは狼煙? 急ごう追っ手かもしれない。」
二人は手綱をしぼり、
手綱を握る手が強張り、汗で滑る。
晴れ渡った雲ひとつない空が寒々しく、二人のこころに染み入る。そしてまたひとつ、またひとつと立ち上る黒い煙が、追い立ててくるような圧迫感を与えてくる。
二人は息をのみ、胸がつまり、あがくように、走る。走る。
二人を囲むように、一本、また一本と黒い煙が増えていく。
「囲まれている」
そうトキが呟く。
「あっち側はまだよ、急ごう」
ナナはそう言って、煙のない方角を目指して、さらに速度をあげた。
「ナナさんと……絶対に一緒に、僕は行くんだ」
鞍上で、トキはそう呟いていた。
「ごめんね、あと少しだから……しょうがないか、お師匠さま、ごめん」
ナナは鞍上で片手を離して、その指先を見つめて集中する。柔らかい光がそこに灯り、ふたつに別れて、2匹の
その光が二頭をつつむと、
「魔法で、回復させたの。もう少し頑張ってくれると思う」
しかし、その魔法は、さらに遠距離の感知石にとどき、一斉に、何本もの黒い柱が、青い空の下、二人を捕らえる牢の柱のように、立ち上った。
そして、ついに視界に、何頭もの
「くそ、あと少しだと言うのに」
「二人で必ず逃げましょう」
二人は二つの丘の頂点の間にある窪地の林に向かって
二人を囲む罠は、追い込み猟のように、二人をそこに向かって誘導している。
だが、必死になって、走らせる二人に、その事に気付く余裕は、なかった。
窪地に脚を踏み入れ、その中程にたどり着いた時、突然足下の地面が揺れ、土を引き裂く音と共に、地面を割って、黒い蔦のようなものが、何本も飛び出してくる。
驚いた二頭は、脚をとられ、倒れてしまい、二人を地面に放り出した。
二頭と二人に絡みついてくる黒い蔦は、二頭とトキに対しては表面を撫でるだけで、興味をなくしたように、離れていく。
だが、その表面は冷たく生気を吸い取るようなぬめりを感じた。
「なんなんだ、これ? どうして、ナナさんばかりを……でもこれで動ける」
そう言って、ナナの方を見たトキは言葉を失う。
そこには、黒い蔦に全身に絡みつかれ、そこに埋もれていく、ナナの姿があった。
ナナの身体が、トキの瞳のような翠の魔力の光につつまれては、その光が黒い蔦に吸い取られ、薄れていく。
その度に、ナナの口からは、苦しそうな声が漏れる。
「わ、わたしの、魔力を、喰らっている?……これも古代の遺跡から?」
ナナの翠の魔力が吸い取られる度に、黒い蔦は力を増し増殖する。
魔力が吸われるたび、骨の芯がひび割れるような冷たさが体を走った。
「ナナさん! 今、助けるから」
トキはナイフを取り出すと、黒い蔦に必死に突き立てる。
しかし、トキが蔦を切る速さより、蔦が増える速度の方が早く、トキの行為は、徒労を重ねることになる。
「トキ、君は黒い蔦に狙われてないのよ。君だけでも逃げて」
ナナは苦しそうな顔でトキを見る。トキを守りたい、でも、もう触れられない、トキだけでも逃げて欲しい、そんな思いで、苦しい声を絞り出すように言う。
「トキ、お願い……私のことはいいから……」
声が震えて、言葉の形さえ保てなくなっていた。
「いやだ、ナナさんと一緒に、二人で行こうって言ったじゃないですか」
そう言うトキの背後に、帝国兵の影が、近づくのをナナは見た。
「ダメ、トキ……あなただけでも……」
胸の奥が凍るように痛み、ナナの心から希望が消えていくのに併せるように、ナナの魔力も吸い取られ意識すら刈り取られそうになる。
ナナは必死に気持ちを繋いで、トキを見ていた。
しかし、そのナナの目には、トキにつかみかかる黒い手が映り。ナナの耳には、トキが自分を呼ぶ声しか届かない。
「はなせ、ナナさんが、ナナさんが、ナナさーん!」
たくさんの黒い手に捕まって、男達が、トキを連れていく。
——ばりん、と何かが割れる音が、ナナの内側で確かにした。ナナの世界が、音を立てて崩れ落ちようとしていた。
絶望の中、ナナの心の中で何かが弾ける。
翠の魔力が強く光り、ナナの身体が、翠の鎧のようなものに覆われていく。そしてその光が、トキのもとに届けと言わんばかりに、するすると男達とトキの方へ伸びていく。
「ま、魔女の光だ。あの森の時の光に似ている。急げ、退け」
男達は、ナナに止めを刺す余裕もなく、トキを縛り付けると、
「トキー!」
そう叫ぶナナの伸ばした指先が、風だけを掴んでいた。
翠の光を更に貪欲に吸収して、黒い蔦が爆発的に広がり、その光を吸い尽くす頃、絶望というドス黒い蔦がナナの胸の奥まで絡みついて、侵蝕されていく。そして、翠の鎧が霧散して消えていく。
その時、ナナの身体を包んでいた黒い蔦は、力をうしなったように震えると、白い塩の柱のようなものに姿を変えていき、そして崩れる。
そこには、白い砂の中に横たわり、気を失ったナナの姿があった。
数千年の時を経て劣化していた魔力蔦は、自壊して消えた。だが、それを見るものは、青い空の下に、誰もいないように思える。
しかし、そこから少し離れた湖畔に、蒼い衣の人影がひとつ――静かに立っていた。
離れた場所に停泊している空船に、トキは運び込まれていく。
「ナナさん、ナナさん」
そう口走るトキの手足には、枷が取り付けられ、逃げることもできない。
そこに大佐が近づいてきて、トキを一瞥すると、「ふむ」と一言息をもらすと、トキの首のペンダントを握り、引きちぎった。
「こんな玩具で姿を隠していたとはな」
そこには、黒檀の肌と翡翠の瞳と銀糸で織った髪をもった少年の姿がある。
「ふははは、間違いなく古代人の血、『鍵』だ。これで戻れる。私は中央に返り咲ける。さぁ、出港せよ。帝都に向かうぞ」
そう大佐が、言うと、しばらくして、空船はトキを乗せたまま、北の空へむけて飛び立っていった。
白い砂の上に横たわるナナの指が、わずかに動いた。
空の彼方を、黒い影が遠ざかる――トキを乗せた空船が、虚空を遠ざかっていった。
その時、一人倒れて、眠るように横たわるナナに近づく影があった。その足下は蒼く光り、乾いた土地を歩いているはずなのに、足音はせず、ただ流れるような水音が微かにきこえる。乾いた大地に触れた足元だけが、淡く水鏡のように光っていた。
「まったく、無茶をして……」
そう、渓流に流れる水のように透き通る声で、蒼い服の女がつぶやく。
蒼の魔女が飛び去る影を見上げ、静かに囁く。
「まだ終わらないわ。この子たちの物語は、ここからだもの」
そして、その美女は、ナナを優しくだきあげて、呟いた。
「遅くなってごめん」
その瞬間、蒼い魔力が、憤るように、身体を渦巻いた。
そしてナナを抱いたまま、湖の方角へむけて、歩き出すのだった。
空には、遠ざかる空船の影。
そして、地に伏した少女を抱く、もう一人の魔女の姿があった。
——二人の運命は、同じ道を歩むのをやめ、別々に進み始めた。それが、再び交差するのか、今はまだ、誰も知らない。
第二章 完
——空は奪われ、地には倒れ、
二人の旅路は最悪の形で引き裂かれた。
それでも絆は、風のように消えたりはしない。
次章、蒼の魔女の湖にて——
ナナはついに『魔女としての覚醒』へ踏み出す。
——————————
♡や☆、感想、レビューなど何かリアクションいただけましたら、とても励みになります。もちろん読んでくださるその1PVだけでもとても励みになります。
ただ気に入っていただけた時には、もうひとつ何か応援していただけると嬉しいです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます