銀と血のダンピール 〜吸血鬼殺しの怪物になった、家畜神父の物語〜

岫住胡乱

第一章 ゾーネンの殺人

①おかしな神父

 首からどくどくと血が流れ出る。


「ゼヒュ……、ごふ……」


 何十年もこの町で、皆のことを思って仕事をしていたのに、こんな最期を迎えることになるとは。


 いや、これは天罰だ。

すべて自分のせいで起きたことだ。


「可哀想に」


 自分を見下ろす影がひとつ。


「安心して。あなたのせいじゃないよ」


 見知った顔が微笑む。


「だからそんなに嘆かないで」


 知っている声が宥めるように言いながら、首に食らいついてきた。


「ぐあっ……、ああっ!」


 少しずつ血と共に身体の力が抜けていく。


 自分のせいでないのなら、どうして今、殺されそうになっているのだろう。


 そんな疑問を抱えたまま、彼は意識を失った。





 いつもと変わらぬ昼下がり。


 波の音が聞こえる。

 カモメの声が聞こえる。


 エメラルドの海で生きる男たち。

 たくさんの魚が入った網。

 その魚を狙う野良猫。


 そんな日常の中、今日は少しだけ非日常が侵食してきている。


「これはこれは初めまして。ようこそお越しくださいました神父様」


 聖職者の制服ともいえる黒いカソックに、大きなトランクを手に持った背の高い、うねる茶色の髪を持つ、整った顔の青年。

 年齢は二十代前半から半ば程だろうか。副町長から恭しく挨拶されている。


 男はチェーンが付いた丸い眼鏡を掛けているが、それだけでは通りすがる人々がつい振り返ってしまうような美貌を隠せていない。


 緑色の妖しげな瞳。右側の口角付近と、左目の下辺りにあるふたつのホクロ。

 それらも彼が持つ独特の艶っぽさを演出する装飾品の一部のようだ。



 この美しき司祭が、ジルヴァ教本部のある第一教区から数人の修道士を引き連れて港町ゾーネンにやって来た理由は、長年町長を務めてきたフリーデル氏の葬儀を行うためだという。


「こんにちは。この度フリーデルさんを女神――、ジルヴァライン様の元へお送りするお手伝いを致します。バルー・ディートバルトです。よろしくお願いします」


 バルーと名乗る司祭は、その妖艶な容姿からは想像がつかないほど穏やかにそう名乗る。


 このギャップは、夫を亡くしたばかりの未亡人にも確実に効いた。


 フリーデルのふくよかで老齢な妻は、自分よりも半分以下の年齢の男を前に顔を赤くしたまま、他の修道士も含めた全員を、夫が眠る奥の部屋へと通す。


 この町でずっと町長夫妻が仲良く暮らしていたのを見てきた少女ミオは、そんな光景を見て少し複雑な気持ちだ。


 しかし、それでも十歳の若い好奇心に抗えず、教会関係者たちが入っていった町長宅の玄関の外から、他の野次馬たちと共に屋内を、その檸檬色の瞳でじっと覗いている。



 ミオはこの近所に住む女の子だ。


 普段から女の子よりも男の子と一緒にあちこち駆け回ったり、泳いだりして遊ぶのが日常だからか、肌はすっかり日焼けしているし、黒い髪もあちこちハネていて、服装も白いノースリーブの上衣に短いズボンを履いている。

外見に関してはほとんど男の子だ。



 今日も男友だちと泳ぎに行く約束をしていたのだが、知り合いの町長が亡くなってしまった為、約束をキャンセルしてこちらの方に来たのだ。


 ミオがここまで『町長の死』に関心を寄せるのには、哀悼以外にも理由があった。


「これは……」


 バルーと修道士たちがフリーデル氏の遺体を見ている。

修道士のうちの一人が少しだけ声を上げたが、他の者たちは至って冷静そうだ。


 ミオは『神父様はを見ても驚かないのか』と感心した。


 自分はあの遺体を見た時にかなり驚いたのに。


「神父様……見慣れていらっしゃいますね……?」


「ええ……。新聞やラジオで聞いたかもしれませんが、こういった失血死が最近続けて――」


「あまりそういった話はしない方が良いかと」


 修道士の一人が説明中のバルーに対して注意した。

しかし、美しき司祭はそれに対し、首を横に振る。


「このご遺体を見て、みんな不安になったはずだよ。お兄さ……、僕が説明すれば少しは安心してくれると思うけどな」


 そう言うバルーの隣には、身体中の水分が抜けて干物のようになってしまった奇妙な遺体が、静かに寝かされている。


「ディートバルト神父」


「……うーん、わかったよ。もう黙るね」


 部下の修道士に咎められた司祭は、にっこりと微笑んで軽くお腹をさすった。


「そんなことより、お昼ごはんがまだだったな」


「あなたという人は……」


「あ! はい! はい!」


 ミオは離れた位置から、ここぞとばかりに手を挙げる。

町長の身に何が起きたのか知りたくて、詳しそうな彼と話がしたかったのだ。


「あたし、おいしいパスタ屋さん知ってるよ!」


「本当?では、こちらの素敵なお嬢さんに案内してもらおうかな」


 ミオは『お嬢さん』と呼ばれて真っ赤になる。

バルーが何の迷いもなく自分の性別を言い当てたことに驚いたのだ。


「神父様!」


 司祭は修道士たちに対して片手を挙げて制止し、大きなトランクの持ち手を掴み直した。


「じゃあ行ってくるね。後の説明はお願いね」


 残された修道士たちは渋々、フリーデルの妻と副町長に、明日の葬式の段取りについて説明を始めた。



 彼らを置いてけぼりにして、バルーとミオは二人きりでパスタ屋へ向かう。


「ねえ。そのトランクには何が入ってるの?」


 少女が無邪気に質問した。

男は軽くトランクに目を向けてから、人さし指を口元へ持っていく。


「うーん。それはヒミツ」


 この司祭は、自分の美しさに自覚がないのかもしれない。

 ミオはその所作にあてられて、耳まで真っ赤になるほど照れてしまった。





 先程うっかり魅了されてしまったのが嘘のように、ミオはテーブルの上に呆れた視線を投げている。


 この様子では、町長の死について詳しく聞けないかもしれないと、不安になってきた。


 テーブルの上には魚介類たっぷりの、種類の違う大盛りパスタが五皿乗っていて、目の前の男が吸い込むような勢いで全てのパスタを食している。


「ミオさん。本当に食べないの?バルーお兄さんと一緒に食べよう!」


 町長の家を離れて以降、バルーはまるで幼児に話しかけるような態度で接してくる。

 馬鹿にされているように感じたミオは、少しずつ苛立ってきていた。


「食欲ないからいらない」


「なんだって! どこかイタイ? お兄さんがお医者さんまでつれていこうか!」


「そうじゃなくて……」


 この男。もしかしてかなり変な人なのではないだろうか。

 少女の口から、大きなため息が漏れる。


「神父様。あたしもう十歳なんだけど」


「ん?」


「だから……」


 二人で話しているところに、綺麗な女店員がやってきた。

 かなり自然な形で、テーブルにメモを置き去っていく。


 顔に関してはどの角度から見ても本当に完璧な男だ。

 メモに書かれているのは恐らく彼女の連絡先だろう。


 ジルヴァ教は特に恋愛や結婚に関する制限は無い。

こうやって異性から好意を示されることは、よくあることなのかもしれない。


「あらっ!これはいけない!」


 バルーはメモを持ったまま女性を追っていく。


「素敵なお嬢さん! これをバルーお兄さんのテーブルに落としていったよ! 悪い人にとられてしまったらいけないから、大事にもっておこうね!」


「え……?」


「はい。どうぞ」


 ミオは唖然とした。

バルーが本気で、女性が『メモを落とした』と思い込んでいるように見えたからだ。


「あ……すみません」


 ミオの方が子どもなのに、連絡先を返されて泣きそうな女性の気持ちが理解出来てしまって、何だか居た堪れなくなる。


 それと同時に、このバルーという司祭はミオだけでなく、誰に対してもこういう変わった態度を取る人なのだと、この一件をもって理解出来た。


「それで、何の話だったかな?」


「えっと……、いいや」

 

 自分だけが子ども扱いされているわけではないと分かり、少しだけ苛立ちは収まった。


「デザートなら食べられそう?」


「いらない」


「そっかあ」


 バルーは開いていたメニューを閉じ、お会計の為に店員を呼んだ。


 結局聞きたかったことを何も聞けなかったミオは、何も食べていないにも関わらず、胃が重くなったような気がした。





 町長の家へと戻る帰り道は、既に夕陽に照らされていた。


 オレンジ色に染まる海と空を眺めながら、司祭は潮風の香りを楽しんでいる。


 バルーは遅い昼ご飯に満足したらしく、パスタの美味しさや、盛り付けの良さを熱く語っているが、当の案内役は適当にそれを受け流していた。


「……ところでミオさん? お兄さんにお店を教えてくれたのには何か理由があるんじゃないのかな?」


 ぼんやりしていたタイミングで、突然真意を突かれたミオは、目を大きく見開いて質問者の方を見る。


「懺悔? それとも悩み? バルーお兄さんで良ければ何でも聞くよ」


 変な人ではあるが、面倒見のいい人でもあるのだろう。

どんなことでも、誠実に答えてくれそうな予感がする。


 しかし、ミオは土壇場になって急に不安になってきた。


 何故なら『町長の死』について聞くことは、今後のミオのを、大きく変えてしまうかもしれないからだ。


 価値観の変化という話ではない。

ミオは、町長の死に関して、多少なりとも知っていることがある。


「どうして……町長は……ミイラみたいになってたの?」


 恐る恐る口を開く。

あの状態が何なのか、聞かなければならない。


「……身体の中から、血が全部出てしまったんだよ」


「それって、刺したり、絞ったりした……ってこと?」


 それを聞いたバルーは、少しだけ微笑んだ。


「そっか、そうだよね……。あの姿、驚いてしまうよね」


「うん……。あたし……その……」


 ミオは躊躇った。

続きを言うのに罪悪感が邪魔し、同じく勇気も必要だった。


「何か、知っていることがあるんだね?」


「その……、あの……、何ていうか……」


 バルーは何も言わずに待っている。

全てを見透かすような不思議な緑色の瞳が、ミオを捉えて離さない。


 数秒経って、少女はやっと震える口を開いた。


「……お父さんとお母さんが、あたしのことで町長さんと喧嘩してたのを、見ちゃって……。すごく怒ってて……。あんなの見たことなくて……」


 その言葉に、司祭は静かに目を閉じた。


「違うよね? ……お父さんとお母さん……町長さんを……殺してない……、よね……?」


「……犯人は、お兄さんが必ず見つけるよ」


 バルーのカソックの襟元にある銀色のピンに、黄昏の赤が反射し、金色に見えた。


 そのピンは、人間の目のような形をしている。

ミオはその目がこちらを見透かしているように思えて、とても怖かった。

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