第4話 獣の道、血の匂い

「……御意」


 レオン様の重い返事が、アレクシオン様の「監視しろ。死なせるな」という厳命に応える。


『命は、レオン様預かり…』


 私がこの世界の厳しさを再認識する間もなく、レオン様は私に向き直った。

 そのアイスブルーの瞳には、もはや私への懐疑はなく、ただ「戦(いくさ)」だけが映っていた。


「アリア! 立てるか!」

「は、はい!」

「俺の指揮所へついてこい! 貴様の“情報”は、この戦いが終わるまで利用させてもらう!」


 レオン様は天幕を飛び出し、私は焼けるような腹の痛みをこらえ、必死にその後を追った。


 野営地(ほんじん)は、すでに戦場だった。 南(陽動)に向かった兵士たちの怒号と、西(本命)から迫る地響き。

 レオン様は馬にも乗らず、本陣の西側、例の「渓谷」の出口をわずかに見下ろせる小高い丘の上へと駆け上がった。

 そこが、彼の持ち場(指揮所)だった。


「状況を報告しろ!」


 丘の上に設置された臨時の指揮所で、レオン様が叫ぶ。

「はっ! 重装歩兵第一大隊、渓谷の出口付近への展開、完了しました! 敵の先鋒、渓谷を抜けました! 数、およそ500!」


 息を整える間もなく、私も丘の端から眼下を見下ろした。

 暗闇。

 松明(たいまつ)の明かりが揺れ、金属のぶつかり合う音と、悲鳴だけが響き渡る、地獄。


『これが、本物の…』


 ゲーム画面の俯瞰(ふかん)視点とは違う。

 血の匂いが、風に乗って頬を撫る。

 あれは、私が「駒」として動かしていたユニットじゃない。

 「人」が、死んでいる。


「レオン様! 敵、横一列で突撃してきます!」

 最前線の斥候から、切羽詰まった報告が飛ぶ。


「馬鹿な」


 レオン様は、丘の上から戦場を睨みつけ、即座に吐き捨てた。

「ミルカルがそんな単純な突撃をするはずがない。斥候の目は節穴か。…あれは囮(おとり)だ」


『!』


「本命は、その後続に潜む両翼の騎兵に違いない」


 レオン様は、私に見解を求めるでもなく、自らの分析でそう結論づけた。

 さすが、オロカディアの若き天才。


「伝令! 第一大隊、陣形変更! 中央を薄く開け、両翼を固めろ! 敵の“囮”は無視し、両翼の騎兵を包囲して叩き潰せ!」


 レオン様が、そう命令を下そうとした、その瞬間。


『違う!』


 私は、脳内にフラッシュバックした『大覇軍モード』のミルカルの戦術パターンに、戦慄した。


『このパターン、知ってる! 両翼じゃない! ミルカルが狙うのは…!』


「お待ちください、レオン様!」

「何だ、アリア!」

「斥候の報告は罠です! 本命は両翼ではありません!」

「…どういう意味だ」


 レオン様の鋭い視線が私を突き刺す。

「あの先鋒(囮)は、我々の主力を引き付けるための“捨て駒(死兵)”です!」 「彼らが狙うのは、我々(指揮所)と、後方の陛下(アレクシオン)です!」


「…本陣強襲だと?」


 レオン様の顔色が変わった。 「両翼包囲」と「本陣強襲」。どちらも有り得る。  だが、指揮官であるレオンが、この丘(指揮所)で死ねば、オロカディア軍は確実に壊滅する。


「…チッ。あのミルカルめ、どちらが本命か読ませない気か」


 レオン様は、一瞬の逡巡の後、即座に決断を下した。


「伝令! 第一大隊、陣形変更! 半分は両翼を固め、敵騎兵に備えよ! 残り半分は、中央の囮を押し返し、即座にこの丘(指揮所)の防衛に戻れ!」


『すごい…!』


 私の「本陣強襲」という情報を100%鵜呑みにせず、かといって彼自身の「両翼包囲」の読みも捨てない。  どちらに転んでも対応できるように、即座に兵力を二分した。  これが、レオン・コルネリウスの、現実的な指揮…!


「——突撃!!」


 レオン様の号令一下、渓谷の出口で待機していたオロカディアの重装歩兵たちが、鋼鉄の壁となって動き出した。

 半分は両翼に備え、半分は中央の囮部隊と正面から激突する。


「グオオオオオ!」


 重装歩兵 対 軽装騎兵。  『大覇軍』では、圧倒的に重装歩兵が有利な組み合わせだ。  オロカディア軍が優勢に見えた、その瞬間。


「!」


 ミルカルの囮部隊は、逃げなかった。  それどころか、レオン様の陣形変更(中央部隊の迎撃)を見た瞬間、敵の指揮官は即座に対応した。


「敵中央、陣形変更! 横陣より**『鋒矢(ほうし)』**へ移行!」  丘の上の斥候が叫ぶ。


『鋒矢!? クサビ形の突撃陣形!?』


「馬鹿な!」


 レオン様が目を見開く。


「あの囮、捨て駒ではなかったのか!?」


「囮」と読んでいたタザールの中央部隊が、オロカディア軍(レオン)の中央部隊(指揮所防衛)を「食い破る」ため、最強の突撃陣形に変形した。

 もし、あの中央部隊にミルカルの精鋭が潜んでいたら?  レオン様が二分した戦力では、止めきれないかもしれない。


『私が、「捨て駒」と読み違えた…!? ゲームのCPUは、こんな臨機応変な陣形変更はしない!』


 血の気が引く。

 だが、悪夢はそれだけではなかった。


 ヒュンッ! ヒュンッ! 「うわっ!?」  丘の上の指揮所に、矢が降り注ぎ始めた。


「レオン様! 南です!」


 見れば、先ほどまで「陽動」だと思っていた南の敵部隊が、「散兵陣形」を取り、こちら(指揮所)に向かって弓を放ち始めている。


「チッ、牽制か!」  レオン様が舌打ちする。


「いえ、違います!」

 私は、暗闇の中に浮かび上がった「火の矢」を見て、戦慄した。

「あれは…**“照明”**です!」


 南のタザール兵が放つ火矢が、指揮所(ここ)の周辺の森や地面に突き刺さり、暗闇だった戦場を不気味に照らし出し始めた。

 それは、**「西の渓谷」から後続でやってくるミルカルの本隊(騎兵)**のために、「突撃目標(=指揮所)」の位置を正確に示す、悪魔の道標(みちしるべ)だった。


 西の「鋒矢」(中央突破)。

 南の「照明弾」(本隊誘導)。

 そして、渓谷から今まさに現れようとしている「ミルカルの本隊(両翼騎兵)」。


「…全部、連動している…。これが、ミルカルの戦術…」


 アリアの知識(ゲームのセオリー)は、この生きた人間に、完全に裏をかかれた。


「レオン様!」

「わかっている!」

 レオン様は長剣を引き抜いた。

「敵の中央(鋒矢)は、俺の部隊(重装歩兵)が食い止める! だが、南の牽制と、西からの本隊(両翼)が同時に来たら…!」


 指揮所が、壊滅する。  私が絶望に膝をつきかけた、その時。


「——遅いぞ、レオン」


 背後から、凍てつくように冷静な、しかし聞き間違えようのない声が響いた。

 地響き。

 月明かりに照らされ、丘の背後から現れたのは、銀色に輝く一団。


 アレクシオン様が率いる、王の直属部隊。

 **最強の『重騎兵(カタフラクト)』**だった。


「陛下!?」  レオン様が驚愕に目を見開く。


「陽動(南)があまりに手薄だったものでな。ミルカルの狙いが別にあると読み、戻ってきた」

 アレクシオン様は、丘を駆け上がろうとしていたタザールの「死兵」(鋒矢の先端)と、渓谷から現れようとする「本隊」を、虫けらのように見下ろした。


「…そして、案の定か」


 彼は、私を一瞥(いちべつ)した。

 その瞳は、何も語らない。


 アレクシオン様は、その手に持つ銀の槍を、タザールの死兵たちに向けた。


「——蹂(じゅう)躙(りん)しろ」


 王の号令一下、鋼鉄の騎馬軍団が、丘を駆け上がろうとしていたタザール兵たちを飲み込んでいく。

 それは、戦いですらなかった。

 一方的な、蹂躙だった。


 数分後。


 丘の周辺には、静寂が戻っていた。

 渓谷の出口での戦闘も、王の直属部隊の登場を見たミルカルが、即座に退却の角笛を鳴らしたことで、終わりを告げようとしていた。


「…」


 私は、目の前で起こった「本物の死」に、ただ立ち尽くす。


『私の知識は、完璧じゃなかった…。アレクシオン様が戻ってこなければ、レオン様も私も死んでた…』


「レオン」


 アレクシオン様が、馬の上から静かに告げた。


「ミルカルの本隊は逃したか。まぁいい。被害は最小限だ」


「…面目次第もございません」


 レオン様が、悔しそうに答える。

 アレクシオン様は馬を降りると、まっすぐレオン様の前に立った。

 そして、私を一瞥する。

 そこには、好奇も、賞賛も、怒りもない。

 ただ、冷徹な「王」の顔があるだけだった。


「レオン。その斥候、貴様の監視下に置け」

「はっ」

「使えそうなら使え。邪魔になるなら斬れ」

「…御意」


『これが、推しの…王の判断。持ち上げられてなんかない。私はまだ、「使えるかどうかわからない駒」でしかないんだ』


 私の、この世界での本当の「初陣」は、厳しい現実と共に、こうして幕を閉じた。

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