第2話 生存報告
チクチクとした寝台の感触と、消毒薬のツンとした匂いで意識が浮上した。
(…私、生きてる?)
恐る恐る目を開けると、そこは薄暗い天幕の中だった。 ぼんやりとしたランプの灯りが、簡素な野営用のベッドと、無造作に置かれた医療器具を照らしている。
夢ではない。 腹部に走る鈍い、しかし確実な痛みが、あの戦場が現実だったと告げていた。 慌てて体を起こそうとして、腹の傷が引きつれる激痛に息をのむ。
「いっ…つぅ…!」
見れば、腹部には包帯が固く巻かれている。 あの銀髪の…アレクシオン様に声をかけられた後、誰かが私を手当てしてくれたらしい。
(アレクシオン様…)
推しが、生きていた。 ゲーム画面の向こう側ではなく、私と同じ空気を吸う、圧倒的な「実在」として。
そして、私は『大覇軍』の世界に、アリアという名の斥候として転生してしまった。
脳裏に、意識が途切れる直前に聞いた声が蘇る。
『どうか、陛下をお救いください』
アリア。 この体の、元の持ち主の最後の願い。 彼女はアレクシオン様を救いたかったのだ。
何を今さら、と自嘲しそうになる。 私はただのオタクだ。経理部の地味なOLだった私が、この血と鉄の匂いが染み付いた世界で、何を救えるというのか。
いや、違う。 アリアは私を選んだ。 私には、この世界の誰にもない武器がある。
(『大覇軍』の知識…!)
そうだ。 アリアが救いたかった「陛下」の危機とは、数ヶ月後に迫る「毒殺」だけではない。 今、この瞬間だ。 あの「嘆きの丘」の戦いは、まだ終わっていない。 私は斥候として生き残った。ならば、斥候としての任務を果たさなければ。
(報告だ…!)
あの戦いで得た情報…いや、私が「知っている」情報を、司令部に報告しなければならない。 それが、アリアの無念に応えることであり、何より、推しの覇道を邪魔させないための第一歩だ。
私は痛む体に鞭打ち、ベッドから這い出ようとした。 その時。
「——動くな。傷が開く」
低く、冷静な声が天幕に響いた。 入り口に立っていたのは、屈強な体躯に精悍な顔立ちの青年騎士。 オロカディア王国の青い軍服を隙なく着こなし、腰には指揮官を示す長剣を佩いている。 ランプの灯りが、そのアイスブルーの瞳を冷ややかに光らせていた。
息が詰まる。 この顔を、私は知っている。 『大覇軍』のアレクシオン様ルートにおいて、最も有能で、最も信頼できる若き軍団長。
「レオン・コルネリウス…様」
「意識が戻ったか。軍医を呼ぼう」
レオン様は淡々と告げ、踵を返そうとする。 その無関心な背中に、私は必死に声を振り絞った。
「待ってください!」
「…何だ」
「報告が、あります!」
彼は足を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。 そのアイスブルーの瞳が、値踏みするように私を射抜く。
「…報告だと? 貴様は斥候で、部隊唯一の生き残りだ。何を報告するという」
試されている。 ただの斥候が生き延び、何を言うのかと。 私はベッドの上で背筋を伸ばした。
「『嘆きの丘』で交戦した、タザールの部隊について、です」
「…続けろ」
「敵部隊の総数は約500。うち騎馬弓兵が300。軽装騎兵が200」
レオン様の眉がピクリと動いた。 一介の斥候が瞬時に把握できる数ではない。だが、私は『大覇軍』であのマップで戦う場合に配置できる戦力を知っている。そこから計算しておおよその数は合っているはずだ。
彼の視線が、単なる「負傷兵を見る目」から、「値踏みする目」に変わる。
「…ほう。一介の斥候が、敵の総数どころか兵科の内訳まで把握していたか」
「崖上の伏兵は、タザールの主力ではなく、陽動を兼ねた別動隊です。彼らの目的は、本隊を崖下におびき出し、時間を稼ぐこと」
「…何のために、と貴様は考える?」
レオン様の声が、わずかに鋭くなった。
「本命は、別ルートから進軍している『輜重隊』です」
「!?」
レオン様の冷静な仮面が、わずかに崩れた。
「タザールの狙いは、国境付近の『第三食糧庫』。彼らにとって、冬を越すための略奪は必須です。今回の伏兵は、我々の目を『嘆きの丘』に引きつけ、その隙に本命の輜重隊が食糧庫を襲撃するための時間稼ぎ…そう分析しました」
実際、『大覇軍モード』でタザール連合をプレイした時、序盤の最適ムーブはこれだった。 食糧庫を叩けば、オロカディア軍は国境線を維持できなくなる。
レオン様は、驚愕に目を見開いたまま、私を凝視している。
「…貴様、なぜそれを」
「斥候ですから。敵の動きを見て、予測しました」
私は、必死に「兵士アリア」の仮面を被る。
「…信じられん」
彼は唸るように言った。
「その情報は、陛下が伏兵を追撃した結果、捕らえた捕虜の証言と完全に一致している」
(しまった、そういえばそれで情報を入手するんだった!)
ゲームのイベントスチルが脳裏をよぎる。 そうだ、ストーリーモードでは、アレクシオン様が捕虜を尋問して「敵の狙いは食糧庫だ!」と気づくシーンがあった。 私は、その「結果」だけを先に言ってしまったんだ。
レオン様の視線が、単なる「懐疑」から「不可解」なものへと変わっていく。 マズイ。ただの斥候が、王様より先に結論を知っているなんて。
「そ…、それだけではありません!」
私は慌てて畳みかける。
「冬前の略奪行為は毎年のようにありましたが、今回のそれは動きが妙です。…きっと頭の切れる指揮官を迎え入れたのではないでしょうか。その…例えば、あの傭兵とか!」
レオン様の視線が、再び鋭さを取り戻した。
「…あの傭兵。まさか、“戦術の鬼”と恐れられる、ミルカルか」
「はい。通常のタザール連合の動きにしては、伏兵と陽動の連携が巧みすぎます。そして、もし指揮官がミルカルなら、彼は必ず『次の一手』を打ってきます」
「次の一手…?」
「はい」
私はアリアとして、そして「大覇軍」プレイヤーとして、この世界での最初の「献策」をした。
「彼らは、我々が食糧庫の防衛に兵を割くと読み、今度は手薄になった『嘆きの丘』の隠し通路を通り、本陣を奇襲するでしょう」
「!?」
「レオン様。陛下は今、伏兵を追って前線に出られています。この野営地は、今が最も手薄です」
レオン様の顔色が変わった。 彼もまた、ゲーム内で「天才」と称された将軍だ。私の言葉が何を意味するか、瞬時に理解した。
「…貴様、名は」
「アリア、です」
「アリア…」
レオン様は私の名を呼び、そして天幕の外に向かって、先ほどとは比べ物にならないほど切迫した声で叫んだ。
「全軍に通達! 防御態勢に移行! 敵の奇襲に備えよ!」
「陛下には私から伝令を出す!」
「…アリアは軍医の治療を受け次第、私の天幕へ来い! 詳細な地図を描かせる!」
バタバタと慌ただしくなる野営地。 私は深い息をつきながら、ベッドに倒れ込んだ。
(やった…)
(第一関門、突破…!)
私はまだ、ただの斥候NPCかもしれない。 でも、私の脳内には、『大覇軍』の膨大な戦略がある。
(アリアさんの想い、確かに受け取った)
「推しの死、認めません」
この愛で、必ずアレクシオン様を… いや、「陛下」を、覇者にしてみせる!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます