第28話 巫女様は実は男の娘!?今日も狩りに出ます!

 千田界の西端にそびえる山がある。

 その名も武ノ山たけのやま

 麓には「入ったら出られない」と噂される千田樹海が広がっている。


 そして、そのふもとには、一つの小さな社があった。

 そこに住むのは、一人の美しい巫女。

 黒髪は瀧のように流れ、瞳は澄んだ夜のよう。

 見る者は皆、ため息をもらす。

 地元では「巫様かんなぎさま」と呼ばれていた。


 ……が。


 彼(そう、彼)は、男である。

 正体は山に棲む天狗族の末裔、乱獅子剛太らんじしごうた

 本人曰く「巫女は演技、天狗は秘密、性別はファンタジー」らしい。


 ただしこの巫女様、弱点が一つあった。


 筋肉に弱い。


 特に日焼けした逞しい腕や、背中の広い男を見ると、

 心臓が勝手に舞い始めるのだ。


「今日も誰も来ませんねえ……」


 社の縁側で、巫女装束のまま伸びをした巫女様が、

 ため息とともに空を仰ぐ。


「退屈すぎて筋トレしそう……」


 その瞬間、ふわりと熱気をまとった気配が現れた。


「お〜いー!巫女や〜い、生きておるか?」


 現れたのは、千田界炎の塔の守護者にして、

 エロトーク界の女帝こと、ゾクヤケシャ様。


 赤い衣装に炎のような髪、明るい笑顔と口の悪さがトレードマークである。


「ゾクヤケシャ様、また突然……今日は何の用ですか?」


「エロ話に決まってるのじゃ!」

「やっぱりですか……」


 二人は心の友、ズッ友である。

 温泉で何度も一緒に語り明かしている。

 その内容の半分以上が恋バナと筋肉談義なのだが。


「この前の温泉で見たあのガタイのいい男性、覚えててるかのう?」

「ええ、覚えてますとも。肩の盛り上がりが芸術的でした」

「そうなのじゃ!あの筋肉、反則なのじゃ!」

「わかります!」


 社の奥で、二人の声が楽しげに響く。

 巫女と炎の女神が、神聖な社で筋肉談義。

 罰当たりにも程がある。


 そんな中、唐突に声が響いた。


「すみません! どなたか、いらっしゃいますか!」


 二人が同時にピタリと動きを止める。


 巫女様が入口へ出てみると

 そこには、陽に焼けた屈強な男が立っていた。

 肩幅が広く、腕には生きたような筋肉の流れ。

 眉は真っ直ぐ、声は低く響く。


「お告げをいただきたいのですが……」


 その瞬間。

 巫女様の脳内で鐘が鳴った。


(あ、好き……!)


 表情には出さず、即座に笑顔モードを起動する。


「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ!」


 普段の冷静な態度が一瞬で消え、愛想の良い接客巫女へ変貌した。

 背後でゾクヤケシャ様が呆れている。


「ちょ、さっきまで死んだ魚みたいな目してたのじゃ!?」

「ゾクヤケシャ様、今は神聖な儀式の最中です。お引き取りを」

「出たな、恋のスイッチ!」

「お帰りください!!」


 押し問答の末、ゾクヤケシャ様は柱にしがみついた。


「いやじゃ!面白そうだから見るわい!」

「見学料取りますよ!」


 結局、炎の女神付きの神託となった。


「それで、ご相談とは?」


 巫女様は上目遣いで尋ねた。

 内心はドキドキである。


「仕事のことで……。上司と合わず、転職を考えてます。

 でも、俺みたいな体力バカが、他の仕事できるか不安で」


 真剣なまなざし。

 巫女様は一瞬、息を飲んだ。

 その眉間の皺、腕の血管、汗に濡れた襟元。


(尊い……筋肉に感情が宿ってる……!)


「な、なるほど……それは神の導きを仰ぐ時ですね!」


 慌てて正座し、鈴を取り出す。

 鈴が鳴った瞬間、空気が変わった。


 先ほどまでの軽薄な雰囲気は消え、

 社全体が静かな緊張に包まれる。


 巫女様が舞を始めた。


 長い袖が風のように揺れ、鈴の音が空へ溶ける。

 その動きは優雅で神々しく、神を降ろす儀式そのものだった。


 男性は言葉を失い、ただ見つめていた。


「……すごい。まるで本物の神様みたいだ」


「一応、本物の天——いや、巫女ですから」


 巫女様が慌ててごまかす。

 ゾクヤケシャ様がニヤリと笑う。


「今、天って言いかけたのじゃ?」

「気のせいです!」


 再び鈴を鳴らし、巫女様が神の言葉を口にする。


「神意を伝えます――『炎と踊りと植木と犬』を極めし者が現れる」


 ピタリと舞いが止む。


「ん?」


 男性客が首をかしげた。


「あ、間違えました」


 巫女様が急に普通のトーンに戻る。


「これはゾクヤケシャ様のお告げでしたね。近くにいるから間違えちゃったじゃないの」

「そういうことあるのか!?」ゾクヤケシャ様が驚く。

「たまにあるんですよ。もう一度やります」


 再挑戦


 巫女様が再び舞い始める。


「神意を伝えます――

 『巫女と愛と筋肉と因果』を求めし者、ここに導かれん」


「……え?」


 男性が首をかしげた。


「ちょっと詩的すぎて意味が……」

「つまりですね、あなたの道は愛と筋肉で開かれる、ということです!」


 巫女様がドヤ顔で言うと、ゾクヤケシャ様が吹き出した。


「愛と筋肉!? なんじゃ新ジャンルか!」

「静粛に!」


 だが、その瞬間。

 巫女様の足元がふらりと揺れた。


「きゃっ……!」


 舞い疲れたふりをして、見事に男性の腕の中へ。

 その胸板の硬さに、内心天まで昇りそうになる。


「だ、大丈夫ですか!?」

「ええ……少し力を使いすぎて……」


 上目遣い。潤んだ瞳。

 演技ではあるが、心臓は本気でバクバクだった。


「無理しないでください」


 男の優しい声が落ちてきた。


(やだ……惚れる……!)


 後ろではゾクヤケシャ様が小声でつぶやく。


「愛の狩人、今回も命中じゃな」

「うるさいです!!」



 それから数日後。


 例の男性は、社の修繕を手伝うことになった。


「巫女様一人じゃ大変でしょうから」と言う彼に、

 巫女様は満面の笑みでうなずいた。


 もちろん本音は「毎日筋肉を拝める!」である。


「今日もお疲れさま」

「巫女様こそ、お告げお疲れです」

「おかげさまで、神も喜んでおられます」


 夕暮れの社。

 二人が並んで座る。

 沈む陽が山を紅に染め、風が木々を鳴らす。


(このまま時間が止まればいいのに……)


 そんな巫女様の心を見透かしたように、ゾクヤケシャ様がふらりと現れた。


「で、どうじゃった? 愛と筋肉の進展は?」

「ゾクヤケシャ様、タイミング悪すぎです!」

「いいではないか、進捗報告じゃ!」


 篠原が真っ赤になって両手を振る。


「や、やめてください!俺が照れるじゃないですか!」

「なんとまあ、可愛いやつじゃ!」

「可愛いのは私の方です!!」


 三人の声が山に響いた。


 こうして、武ノ山のふもとの社には、

 新たな筋肉信仰の風が吹き始めたのである。


 そして今日も、巫女様は祈る。


 どうかこの恋が、神にバレませんように。

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