第10話 オヤジさんの正体と焼き鮭の奇跡!?(下)
最終試練の舞台は――皮パリ神殿。
神殿の奥に鎮座する炎の祭壇で、鮭の皮をパリッと焼けるかどうかが問われるという。
だが、ここでの「パリッ」はただの食感ではなかった。
伝説によると、この神殿で理想の焼きを成し遂げた者は、失われた魂を呼び戻すことができるという。
「皮を焦がさず、でもしっかりパリッと……。これ、家庭科の授業より難易度高くない?」
瑠散が額の汗をぬぐいながら火加減を調整する。
パチパチと、油が跳ねた。
炎の色が微妙に赤から橙へ変わり――まるで神殿そのものが、呼吸しているかのようだった。
「ワン!」
横でオヤジさんが吠える。
いつもより真剣な眼差しだった。
まるで、今がその時だと伝えているように。
「なに? 火が強いって? それとも……」
瑠散が火の前にしゃがみ焼き続ける。
炎を見ようとオヤジさんが一歩前に出た。
炎の熱がオヤジさんを包み込む。
その瞬間――。
光が、走った。
「オヤジさん!?」
小さな体が震え、まるで体の内側から何かがあふれ出すように淡い光が立ちのぼる。
それはゆっくりと形を変え、輪郭が――人の姿を、描き始めた。
優しげな目。
日に焼けた手。
植木職人らしい穏やかな顔つき。
「……とーちゃん?」
風に乗って、遠くから千田さんの声が聞こえた。
光はさらに強くなり、神殿の炎をも包み込むほどに広がる。
眩い光が弾けた次の瞬間
そこに立っていたのは、もう犬ではなかった。
人間の姿に戻ったオヤジさん
いや、とーちゃん。
「……オレ、帰ってこれたのか」
かすれた声が、神殿の静寂を震わせた。
とーちゃんはゆっくりと自分の手を見つめ、信じられないように微笑んだ。
「十年前……八木節の練習中に、魔法を混ぜてしまって……犬の姿に……。
でも、瑠散くんの焼いた鮭の“完璧なパリッ”が、呪いを溶かしてくれたみたいだ」
瑠散は驚きで口を開けたまま、手に持つ鮭を見た。
皮は香ばしく、指でつまむとパリッと音を立てる。
中はふっくら、湯気の香りはどこか甘い。
「オヤジさん……焼き加減、完璧だったよ!」
瑠散が笑うと、とーちゃんは深く頷いた。
そこへ、神殿の入口から駆けてくる影があった。
千田さんだ。
目には涙をいっぱいに浮かべて。
「とーちゃん……ほんとに……!」
二人は言葉もなく抱き合った。
十年という時間が、まるで一瞬に溶けていく。
「とーちゃん……。おかえりなさい……」
「ただいまかーちゃん。八木節に情熱を注ぎすぎた結果がこれだもんな」
二人は見つめ合い、そして笑った。
その笑顔に、瑠散の胸が熱くなる。
「おかげで、庭の植木は十年間ずっと綺麗だったわ。犬の姿でも、ちゃんと手入れしてくれてたんでしょ?」
「そりゃあ、職人魂は消えなかったからな」
その夜、は千田邸では、盛大な宴が開かれた。
焼き鮭は主役としてテーブルの中央に鎮座し、精霊たちが酒を酌み交わす。
とーちゃんは剪定ばさみを片手に、十年間の植木事情を得意げに語っていた。
五十嵐さん、荻野さん、そして周東さんまでもが駆けつけ、久しぶりの再会を祝った。
「ねぇとーちゃん、また八木節やる?」
「今度は魔法なしでな」
「約束ね!」
笑い声が夜空に溶け、千田界にやさしい風が吹いた。
瑠散は空を見上げながら思った。
(鮭を焼くだけの修行が、こんな奇跡を起こすなんて)
鮭が人をつなぎ、愛を取り戻す。
それが、この千田界の不思議で、
そして――
何よりも温かい魔法なのだろう。
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