第16話 帝都狂騒曲③
城の側面に広がる林の中で群衆のどよめきを聞いたリオは、手のひらに握っていた3つの小石のうちの1つを、迷うことなく城壁の中へと投げ込んだ。
放物線を描いて飛んだ小石が、城壁を越えた瞬間、リオの瞳が鋭く光る。
次の瞬間、彼の姿は消え、代わりに小石が地面に落ちた。リオと小石の位置が、瞬時に入れ替わったのだ。
まんまとリオは帝城の敷地内へと侵入した。そのまま、誰にも見つからないようにと祈りながら、セキレイがいるはずの部屋の下まで息を殺して走る。
(いた!)
窓辺に立つ、セキレイの姿が見えた。リオは素早く、2つ目の小石を足元の地面に置く。瞬間、セキレイの姿が窓辺から消え、リオの目の前の芝生の上に音もなく現れた。
「隊長!」
「リオ、よくやった」
セキレイは、リオの頭を優しく撫で、微笑んだ。が、次の瞬間にはその表情が険しくなる。
「正面玄関まで少し距離があるな。それに、玄関には衛兵が立っている。このままでは、自然な形で城門から出るのは難しい」
「あ、あの衛兵⋯⋯」
リオが、おずおずと口を開いた。
「なんだ?」
「あの衛兵と、隊長を入れ替える」
「この距離でも可能なのか?」
「なんだかわからないけど、今できると思ってるから、できると思う」
「だが、私と入れ替えたら、お前の目の前に衛兵が現れることになるぞ。お前はどうする?」
「やったことないけど、連続で使ってみる」
そう言うとリオは、自分の背後――城壁の外に向けて、3つ目の小石を、ふんわりと大きな弧を描くように放り投げた。
「いくよ!」
リオが叫んだ次の瞬間、セキレイは自分が正面玄関と城門の間の、石畳の上に立っていることに気づいた。ほとんど同時に、城壁を越えた小石は、壁の向こうでリオと入れ替わった。
サンクト・カール城からの脱出は、完璧に成功した。
(なんという能力だ。これを無制限に使えるというのか――)
セキレイは、リオが連発して見せた能力の精度と範囲の広さに戦慄した。しかし今は、この帝都を無事に抜けることが先決だ。彼女は、意識的に堂々と、悠然とした足取りで、城門から出た。
セキレイの姿を認めた群衆から、割れんばかりの歓声が上がった。
広場の中央では、偽エティエンヌが待っている。
(仕上げだ)
セキレイがそう思った、その時だった。
「待たれよ、セキレイ殿!」
背後から、鋭い声がかけられた。脚本にあったエティエンヌではない。帝城の衛兵だった。
「まだ、ローゼンブルクへのご帰還命令は、正式には出ておりません。現在、手続き中でございます」
「左様ですか。私は、帰ってよいと伺ったのですが。早とちりした衛兵がいたようですな」
「面目次第もございません。近頃は、帝城守護の任にある者と言えども、人材の質の低下が著しく⋯⋯。さ、今一度、城内へお戻り願います」
予期せぬトラブル。その様子を見ていた偽エティエンヌの顔に、この日初めて、本物の動揺の色が浮かんだ。彼は、群衆の中に紛れているモニカを見つけ、目で合図を送る。
モニカは、誰にも気づかれぬよう、小さなジェスチャーで「行け」と指示を出した。
それを受け、偽エティエンヌが動いた。
「お待ちを」
偽エティエンヌの声が、セキレイと衛兵の間に割って入った。彼は、動揺した衛兵を一瞥すると、有無を言わせぬ口調で告げた。
「私は、セキレイ殿に話がある。その間に、手続きとやらを済まされよ。これ以上、このエティエンヌを帝都に長居させたくないのであれば、手続きが少々前後しようとも、セキレイ殿をこのまま帰らせた方が賢明というもの。城内に戻り、宰相閣下の了承を得て来られるがよろしかろう」
その気迫に完全に気圧され、衛兵は「は、はっ!」と返事をすると、逃げるように城内へと戻っていった。
「さて、セキレイ殿」
邪魔者がいなくなり、偽エティエンヌは改めてセキレイに向き直る。
「こうして城から出てこられたということは、貴女の活動が、皇帝陛下に認められたということですかな」
「そう理解している」
セキレイが短く答えると、偽エティエンヌはわざとらしく声を張り上げた。広場にいる全ての民衆に聞かせるために。
「しかし奇妙ですな! 城内の御歴々は、私にこう言いましたぞ! 貴女の身柄を貰い受けたくば、貴女がローゼンブルクに戻ってからにしろ、と!」
群衆から、大きなどよめきが起こる。
「要は、帝国軍は我々ユイナフと、もはや剣を交えたくないのです! 我が王国が、かの怪鳥グライフの群れを従えていると知るやいなや、彼らはすぐに貴女を帰還させるという判断をしましたぞ! ⋯⋯ついては、先ほども申した通り、後日、必ずや貴女をお迎えにあがりたい!」
神聖マール帝国が、戦わずしてユイナフ王国の脅しに屈服した。その決定的な瞬間が、帝都の民衆の前で暴露されたのだ。群衆は、帝国への失望と、自国の不甲斐なさへの怒りに、激しくざわめいている。
「――帰還に関しては、そなたに礼を言ったほうがよいのかな」
セキレイは静かに言った。
「して、そなたは、その怪鳥の群れとやらを率いて、ローゼンブルクに来るつもりか」
「なにせ、帝国の承諾を得ておりますからな。アイゼンブルク上空以外は、どこを飛んでもよい、と」
その答えを聞いた瞬間、それまで冷静さを保っていたセキレイが感情を爆発させた。
「帝国軍が恐れおののいたからと言って、我がローゼンブルクに同じ手が通用すると思わないことだ!」
その声は、広場全体を震わせるほどの怒気に満ちていた。
「我々はその程度の戦力、全く問題にしない!」
そして、セキレイはユイナフの騎士を、冷笑まじりに見下ろして言い放った。
「グライフの群れなど、鳩の群れと何ら変わりはない。私の部下――ほんの数人だけで、全て叩き落としてみせよう。怪鳥だけではない。地上軍がいくら押し寄せようとも、言うまでもないが、この私がいる限り全滅だ。そこにそなたがいてもな。誇張と思うか?」
その凄まじい気迫に、偽エティエンヌは完全に気圧され、言葉もなく立ち尽くしている。ヴァルは、エティエンヌとして気圧されたよう振る舞うべき場面だとわかっていたが、それとは無関係に、目の前のセキレイが心の底から恐ろしかった。
セキレイは、さらに追い討ちをかけた。
「そなたが乗ってきたグライフは、城の裏手にでも隠れているのだろう。ならば、手始めにその一頭、減らしておこうか」
「それは困りますな」
偽エティエンヌは、焦りを滲ませた苦笑いを浮かべ、「いずれ、また」と言い残すと、逃げるようにその場を立ち去っていった。
帝国も、そしてユイナフすらも、遥かに上回る器を見せつけたセキレイに、広場の群衆は熱狂した。「セキレイ様!」「ローゼンブルク万歳!」という歓声が、嵐のように巻き起こる。
その時だった。
「セキレイ様ぁー!」
人垣の中から、街娘に扮したモニカが、甲高い声を張り上げながら、セキレイに駆け寄ってきた。衛兵たちがセキレイに近づけないようにするための、計算された行動だ。
広場に戻ってきていたリオも、ほとんど同時にセキレイに向かって走った。さらに、その2人に釣られるように、群衆の中から何人かがセキレイに駆け寄ってくる。遠巻きにしていた群衆の輪も、みるみる小さくなった。
と、その輪の中心で、モニカが突然、空を指差して叫んだ。
「あ、あれ!!」
群衆の視線が、一斉に空へと向けられる。
そこには、巨大な怪鳥グライフが、悠然と翼を広げ、ユイナフの方角に向かって飛んでいく姿があった。
あの騎士が言っていたことは、本当だったのだ――!
誰もが、その神話的な光景に、一瞬、心を奪われた。
再び視線を広場に戻した時、人々は気づいた。
つい今まで、熱狂の中心にいたはずのセキレイの姿が、どこにもなかった。
誰も気づいてはいないが、最初にセキレイに駆け寄った快活な街娘と男の子の姿もまた、煙のように消え失せていた。
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