いつか君に還る

中村ハル

Day1 身の上

 ハロウィンの翌朝、マンションのゴミ捨て場に、首がうち捨てられていた。

 緑色のカラス避けネットを捲って、及川は固まった。

「びっくりした、なんだよ、マネキンかよ。誰だよ」

 びびってしまった気恥ずかしさからぼそりと呟いて、持っていたゴミ袋から放るように手を放す。

「危ないな」

「うお」

 取り落としたネットがばさんと落ちると、呻くような声があがる。

「おい、ちょっと、気をつけてくれ。というか、助けてくれ」

 声はネットの下からしているし、ごそごそと何かが蠢いてゴミ袋と擦れる音がする。

「一旦落ち着け。それからネットを捲ってくれるとありがたい」

「いや、いやいやいや」

 後退った肩に何かがぶつかり、飛びすさるように振り返って、今度こそ及川は悲鳴を上げた。粗大ゴミ置き場に、首なしのマネキンが粗大ゴミ回収シールを貼られて置いてある。

「なんだよ、驚かすなよ。いやいやいやいや」

 ぐらりと傾いだマネキンの胸を掌で押し返すと温かく、弾力があった。

「マネキンじゃねえし」

 呟いたのはネットの下だ。

「いいから、一旦落ち着こう」

「落ち着けるか!」

 咄嗟に突っ込んでしまったのは、そうしないとどうにかなりそうだったからだ。

「あまり大きな声を出すな。人に見られると困るだろう」

 逃げだそうとした及川の服の裾を、そっと首無しボディが掴む。

「どうみても、現状はバラバラの人体だぞ。誰かに見られたらマズくないか」

「え」

「首と胴体が切り離されてゴミ捨て場に置かれていて、お前は今、それに触ってしまった。指紋が出るだろうな」

「は」

「このまま放置したら、後で防犯カメラを確認したら、どうしてお前はばらばらの首や胴体を見て通報しなかったのかと言われるだろうな」

「そうだ、通報」

「通報は止めてくれ、面倒なことになる」

「いやいや」

「いいことを教えてやろう。そっちにある身体は俺の身体じゃない」

「は?」

「バラバラ死体がふたつだぞ。通報して警察に絞られてくたくたのぼろ雑巾にされるよりも、一旦俺の話を聞く方がよくはないか」

「え」

「ほら、早くしろ、人が来る」

 どこかで、玄関扉が閉じる音が聞こえた。

「でも、いや、だって」

「狼狽えるな。とりあえず、俺の首をそれの身体に乗っけろ」

「は、触るの? いや、無理だし」

「留置所とどっちがいい」

「えええ」

「いいから早くしろって」

 かしゃん、と外の自転車置き場から物音が聞こえる。

 及川はぐるぐるとする頭で、緑のネットをひっつかんだ。ごろりと首がこちらを向く。ひ、っと喉の奥が鳴って、ネットを放そうとする。首無しボディがそっと背中に寄り添う。

「首を乗せれば、そいつの制御も効くはずだ。逃げるにしたってそいつを引きずっていくつもりか」

「ううあ」

 呻きながら両手を伸ばす。わなわなと震える手で首の両頬を掴んで、そのざらついた膚の手触りに、ぬお、っと叫んで放り投げた。

「おい、投げるな」

 首はぼすっとゴミ袋の上で撥ねて、憤慨している。背後から、首無しボディがもたれかかってくる。どこかから、近所の奥様方の陽気な声が近づいてくる。

「急げ、くるぞ」

「判ってる、判ってるって」

 ざらりとした男の膚にぶるぶると震える手を添えて、及川はううとか、わあとか声にならない声を出して身体を捩った。腰に縋り付いている身体に頭を押しつける。頭頂部をぐいぐいと下に押し込むと、首がもういい、と呻き、ボディがそっと手首を掴んだ。

「くっついた、とりあえず行くぞ」

 首がはっと視線を投げる。吊られて及川も首を振り向けるより早くに、二件隣の奥様の声が元気に響いて絶望した。

「あらあ、及川さん、どうしたの、喧嘩?」

「は、え、いや、ちょっと」

「いやあ、すみません。昨日飲み過ぎて足元が。及川、悪いな、肩貸してくれ」

「お、ああ、うん」

「一旦、お前の部屋に戻っていいか。吐きそう」

「あらあら、大変。早く連れて行ってあげて」

 にこにこと笑う奥様の目は、ここを汚したらわかってるんでしょうね、と言外に圧をかけてくる。

 及川は相変わらずもたれかかったままの身体の腕を取って、肩を貸す。泣きたい。

「ほら、行くぞ」

 首が偉そうに言った。

「仲良しねえ」

 にこにこと奥様が見送ってくれる。

「ちゃんと歩いてくれよ」

「仕方が無いだろ、聞こえてないんだから。何歩か歩けば歩いてることに気がつくからそのまま歩け」

 小声で首が叱咤する。

「くっついたんじゃないのかよ」

「くっついたけど、俺とこいつは別物なんだよ、言っただろ。一時的に断面同士がくっついてるだけで、そんなに長くは持たないぞ。ここで俺が落ちてみろ、大パニックだからな」

「騙された」

「騙してない」

 よたよたと引きずられていた身体は、エレベータに乗る頃にはしゃんと自立して、もだもだと及川の手を探して握った。

「なに、なになに」

「お礼を言ってるんじゃないのか」

「そうなのか」

「わからんが、握手だろ、それ」

「そうなのか」

「俺にもわからんよ、なんせ、どこの誰だかわからないんだから」

「そうなのか!」

「煩いな、及川。ほら、そろそろ落ちるから早く部屋に入れろよ」

 及川は慌てて首の頭頂部を抑える。ボディの両手がすっと首を支えた。

「お、ありがとう」

 そのまま持ち上げて、小脇に抱える。

 及川は慌てて廊下を見渡し、これ以上無い速度でスムーズに解錠すると首を抱えたボディを部屋に押し込んだ。

「首を、外すんじゃない」

「無駄だよ、聞こえてないから」

「じゃあどうしたら」

「何度か教えないと駄目なんじゃないか。お前の身体には首がないから代わりに乗っけておかないと、ってことを」

「どうやって」

 言われるがままに及川は、何度か首無しボディに首を持たせて、首をげるという動作を繰り返させた。しかる後に、首無しは親指を立ててみせる。了解したらしい。

「さて、やはりいいな、身体の上は。見晴らしがいい」

 満足げに頷く首を前に、及川は頭を掻きむしった。

「まあ、茶でも飲んで落ち着けよ」

「さっきからえらそうなんだよ、お前は」

「仕方が無いだろう、及川がわちゃわちゃするから」

「生首見て落ち着いてられるわけないだろ」

「いや、適応能力はかなり高いと思ったぞ。普通なら生首を見た時点で逃げるだろ」

 わかっているのかいないのか、ボディも腕組みをしている。地団駄を踏む及川に、首がすまんと小さく謝った。

「巻き込んで悪かった。だが、あのままでは俺もこいつも元には戻れないだろ」

「戻れる、のか?」

「判らんが、戻れるはずだ。元はちゃんとくっついてたんだからな、こっちもたぶん」

 視線だけで身体を見下ろす。身体は手持ち無沙汰に、指先をもじもじと動かしている。

「なんであんなところに、ていうかどうしてこんなことに」

「わからない。目が覚めたら俺はゴミ置き場にうち捨てられていて、あいつが粗大ゴミ置き場に立っていた。俺は身体を探さなくてはならない。及川、一生のお願いだ。手伝ってくれないか」

「手伝うって、なにを」

「俺の身体と、ついでにそいつの首を探したい。厭だというなら、俺は及川に捨てられたと云うしかあるまい」

 残念そうに眉を下げる首に、及川は今度こそ地団駄を踏んだ。

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