第7話 夜の戦場。「理不尽に吹き飛ぶおばさん」と、ユキのスパチャ
時刻は深夜零時。僕は自宅の自室、秘密の戦場であるデスクに向かっている。昨夜、裸エプロン姿の花市委員長――ユキから受けた究極のファンサービスの記憶は、今日の集中力を極限まで高めていた。冷静を装ってはいるが、彼女の視線が僕の全てを支配しているような錯覚に陥っている。
ヘッドセットを装着し、マイクを口元に寄せる。今夜のターゲットは、新作アクションRPG『エンシェントロマン』の、巨大なボスモンスター「巨像アトラス」だ。
「さあ、みんな、こんばんはー! 『クロ』です。今日は昨日のリベンジ戦! 絶対に倒しますよ!」
配信開始の挨拶とともに、コメント欄が一気に流れ出す。その最上部には、もちろん『ユキ』の文字が固定されている。
ユキ:【スーパーチャット:¥50,000】クロさん、お疲れ様です。本日は委員長としてあなたの脳の活性化が最高レベルにあることを確認しています。全力を尽くし、あの意地を見せてください。
(ぐっ……開始五秒で五万円のスパチャと、「委員長として」という言葉の組み合わせ! この重圧が僕の集中力を高めていると知っていてやっているな……!)
私は、背筋がゾッとするのを感じながらも、内心でニヤリと笑った。彼女の愛情と独占欲は、僕の配信を盛り上げる最高の燃料だ。この狂気的なファンに応えるためにも、絶対に負けられない。
「はい、ユキさん、ありがとうございます! このスパチャで回復アイテムを買い込みます! 今日は必ず、皆の期待に応えるため、このボスを委員会指導の精神で打ち倒しますよ!」
私は声を最大限に弾ませ、ゲーム画面に意識を集中させた。
『エンシェントロマン』のボス「巨像アトラス」は、巨大な岩石を操る厄介な相手だ。僕は、昨日の敗北から徹底的に分析した攻略ルートを完璧になぞっていく。
「ここで一気に攻勢をかける! 委員長が用意してくれた勝利のスムージーの力を借りて……行くぞ!」
ボスが怯み、コアが露出した瞬間。私は最強の魔法を連打する。体力ゲージがみるみる減っていく。勝利は目の前だ。
「よし、あと一撃!もらった!」
勝利を確信し、ヘッドセット越しに思わず「ガッツポーズ」をした、その瞬間。
ゲームは、誰も予測不能な理不尽な反撃を見せた。
ボスが地面を踏みしめた衝撃で、ステージの外周にあった岩石の建造物が、唐突に超巨大な爆発を起こしたのだ。これは、攻略情報にもなかった、ゲーム側の悪質な隠しギミックだ。
「ええっ!?何だこの爆発!即死か!?」
大爆発は、画面全体を白い光で覆い尽くし、爆風は僕のキャラクターを容赦なく巻き込んだ。
「うわあああ! 終わった! 理不尽だ、理不尽すぎる!」
そして、その大爆発の激しいエフェクトの端で、信じられないものが画面に映った。それは、ボスの攻撃とは全く関係のない、マップの隅っこに立っていたNPCの老女だ。彼女は、爆風に巻き込まれ、両手を広げたまま、コマのように回転しながら、悲鳴一つ上げずに画面外へとビューンと吹き飛んでいったのだ。
「……」
私は思わず言葉を失い、マイクの前で固まった。
視聴者A:wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 視聴者B:今の、爆風でおばさん飛んだぞwwww 視聴者C:何が理不尽って、アトラスよりおばさんが一番理不尽だろwwwww 視聴者D:クロさん、今の理不尽おばさんの顔最高でしたwww
コメント欄は完全に「理不尽に吹き飛ぶおばさん」の話題で埋め尽くされる中、僕のキャラクターは力尽き、ゲームオーバーとなった。
「うーん……まさか、あんな理不尽なNPCの犠牲者が出るとは思いませんでした。アトラスより、あのおばさんが強敵だったのかもしれませんね」
私はなんとか笑いをこらえながら、配信を続ける。この伝説的な迷シーンで、僕のチャンネルのアーカイブはまた伸びるだろう。
その時、コメント欄にユキの文字が流れた。彼女のスパチャはいつも、僕の心臓を直撃する。
ユキ:【スーパーチャット:¥100,000】「理不尽に吹き飛ぶおばさん」……! 素晴らしいわ、クロさん。あなたの配信に新しい迷シーンが誕生した。今日の敗北は、あの理不尽なNPCのせいよ。あなたの集中力は完璧だった。
ユキ:【スーパーチャット:¥100,000】あなたの完璧な操作ミスではない。これは、ゲーム側の致命的な欠陥です。明日の再戦に向けて、あなたの脳の栄養補給と集中力維持を、委員長として改めて徹底します。放課後、理科準備室で待っています。
私はヘッドセットを握りしめ、思わず息を飲んだ。
(二度目の十万円スパチャ!そして、僕の操作は完璧だったと断言する、この盲目的な擁護……!)
彼女の言葉一つ一つが、僕の地味な生徒としての自己評価と、人気実況者クロとしての自信を、同時に満たしていく。彼女は、僕の弱さも強さも、すべてを肯定し、守り抜こうとしている。
そして、極めつけは「委員長として」「放課後、理科準備室で待っています」という、公私混同を極めたメッセージだ。これは、「誰にも邪魔されない私だけの空間で、あなたを独占する」という、彼女の甘い宣戦布告か?
「は、はい、ユキさん! ありがとうございます! 委員長の厳しい指導に、明日も応えられるよう頑張ります!」
私は、配信のコメントに返事をするフリをして、画面の向こうの彼女に、個人的な感謝と緊張を込めて答えた。
理不尽に吹き飛んだおばさんのシーンは、僕の配信に新たな伝説を作ったが、それ以上に、僕と花市委員長との秘密の契約を、さらに強固なものにしたのだった。そして、明日の放課後、理科準備室で彼女の「指導」を受けることへのドキドキが、僕の疲れた身体を支配した。
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