ゴキブリだったわたしは人間様に転生したので、絶対みんなに可愛がられる天使になるのだ

家路 人外

人間様に転生

 ある朝、胡季ごきウリこと、わたしは、なにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分が寝床の中で一匹、いえ、の可愛らしげな少女に変わっているのを発見した。


 体が半分に折られて、直角のまま、すらりと長い二本脚に目を丸くしてゆっくり、それをゆらゆらと小さく動かしてみた。何気なく持ち上げた右手に不意打ちを喰らい、白くて柔らかい皮膚を何度も左手でつまんだりもんだりした。

 さっきから鬱陶しく胴体全体をまとっている淡いクリーム色の垂れ幕のようなそれは、いくつもの焦げ茶の斑点が浮上し、中に容易く空気を送りこんだ。

 不思議なことに見惚れてしまい、お母さんの呼ぶ声に今さら気づいた。

「ウリちゃーん! はやく! 朝ごはんなくなるよ!!」

 ウリちゃん。その名前にハッとした。

 ふかふかのベッドにおしりを一旦沈ませて、宙を蹴って、硬いカーペットに着地する。両足の裏をザラザラと不快な感触が突き刺さるけど、スルーして、急いでドアノブを回した。

 一個一個の段をおりるのがもどかしく、漂う香ばしい匂いに刺激された腹の虫が、「早くしろ」とうったえてくる。

 もちろん最後の段だけ跨いだ。

 すでに、食卓にはハヤトがいてトーストにかじりつている。

「お姉ちゃん、寝ぐせすごいよ」

 もぐもぐとほっぺを膨らませるハヤトの文句を意に返さず、自分の椅子を引く。

 光沢のある白いお皿に一枚のトーストが用意されていた。

「着替えてからにしなさいよー」

 お母さんはわたしに見もせず、卓上の中央のお皿に、ほどよく焼けたトーストを重ねていく。

「だって早くしないとなくなるじゃん!」

「せめて着替えてからにして。ねぇ、寝ぐせすごいよ」

 頭部をじろりとみられる。

「水で濡らしたけどなおらなかった。きっと寝ぐせじゃないし、くせ毛だから」

 鏡で見たときは、頭上に虫の触角みたいなのが生えていることに気づき、弾性のあるそれを、くしいても、水で濡らしても、温風をあてても、しつこくて寝かせられなかった。いよいよ断念して、よくみてみるとアホ毛みたいで、これはこれで可愛いかもと思った。

 大きな一口でトーストにかぶりつく。サクッと良い音がした。

 麦の甘い風味が舌を夢中にさせてくれた。

 食べ終えたハヤトがもう一枚トーストをおかわりしようと、中央のお皿に手を伸ばした。

「何枚目?」

「まださん」

 口の中のものを咀嚼しながらハヤトが言った。

「もう三枚目食べたの?」

「ふふん、早い者もの勝ちだもんね」

「わたしの分ちゃんと残してよ」

「わかった」

 トーストが残り三枚になる。

 わたしはこれ以上ハヤトがおかわりしようならその伸ばしかけた手を叩いてやる。

 ようやく一枚目を食べ終えたわたしも中央に向かって手を伸ばす。

「たくさんあるんだからゆっくり食べてね」

 お母さんはそう言うけど、ハヤトはがつがつと食べるし、わたしはまだ一枚目なのに、ハヤトの食べ具合をみるにもう一枚おかわりしそうで、優雅になんて食べてられない。

「ちゃんと噛まないと吐くよハヤト」

「お姉ちゃん食べるのはやいもん」

「たくさんあるしゆっくり食べろ」

「わかったー」

 わたしは四枚食べることができて、グラスに入った冷水で一息つくと、ぎりぎりの時間まで朝の番組をみようと、ちょうどエンタメコーナーが終わったところだった。

 ハヤトはとっくに準備していて、台所の上に冷ました自分のお弁当箱をランドセルに詰め込んだ。

 すると、パジャマ姿のままのわたしを見て、

「準備しないの? ちこくするよ」

 と、本気で心配し焦っているようすだった。

「高校生だしそれくらいわかってるわ!」

 テレビの時計を確認して、わたしは早めに出かけようと思った。

 お天気コーナーにうつり、バックの桜の並木が、どこか新しいことを予感させた。

 すると漠然としたなにかにドキドキし、焦るが、どこかわくわくもしていた。

 「快晴」という気持ちの良い言葉を胸中に抱え、二階の自分の部屋に駆け上がった。


 百七〇センチもある大きな姿見にうつるわたしは小さくみえた。実際、身長は平均より低い。

―――小学生のころとあまり変わってないね、ウリちゃん。

 新学期早々にやらされた身体検査で、記録用紙に書かれた数字を三年ぶりに再開した旧友のヒロコと見せ合いっこしていたときに、そう言われたことをふと思い出した。

 あれは、わたしの人格も含めていった感想よね。たしかにわたしは小学生のころのままで、いつもなにかに恐れていた。

 姿見が百七〇センチもあるのは、お母さんがわたしの成長を見込んだものだ。

 

 赤銅色のブレザーがほっそりと小柄なわたしの体型を綺麗になぞった。スカートの位置は高く、スタイルは良い方なのであると自負している。

 なにより、今朝できた(昨日までなかったはず)寝ぐせ、いえ、くせ毛が尼そぎのわたしの近寄りがたい雰囲気をやわらかくした。あらためて見てみると、可愛くさせる何かの魔法なのか、冷めた目つきが優しくなっていて、表情を穏やかにした。

 意外と似合っていた。

 なんだか今日、調子が良いかも。

 今朝みた夢の余韻がずっと胸の中でくすぶっていて、なんだか生まれ変わったかのような、安心して家の中を土足で駆け回っても大丈夫というなぞの自信に搔き立てられている。ヒロちゃんやアリサちゃんたちとはやく会いたい。

 アリサちゃんはリーダーシップのある人で、自己紹介のときに、一人一人に興味深々で相づちを打っていたのが好印象だった。そのおかげでどこか堅い雰囲気が漂う教室に、いつの間にか、みんなをリラックスさせていた。みんなが気軽におしゃべりしていた。

 学校が始まって、まだ1か月も経ってないのに、わたしは彼女をすでに信頼している。彼女にグループができるのは当然で、完全にグループが出来上がる前に入りたいのだ。

 わたしは二本のひもを口の部分に垂らしているナップサックみたいなリュック(可愛くて、数人のクラスメートに褒められた)を背負って、ちょうど、お母さんと会話を切り上げた弟が「いってきまーす」と玄関から出ていったので、わたしも「いってきます!」とお母さんに顔だけ振り向いて、弟を追いかけた。

「あ、ウリちゃん」

 お母さんが食卓の方に行くと、藍色にピンクの花びら模様のバンダナをぶら下げてもってきた。

「お弁当忘れてるよー」

 わたしは「ありがとう」と言って、リュックをおろし、お母さんがそれを中につっこんだ。

「いってきます!」

「はーい、いってらっしゃーい」

 その声や表情は、慈愛に満ちた聖母にみえた。

 お母さんだ。

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