蒼銀の花は逆風に咲く
猫撫子
王国を追放された聖女、真実をもって“世界”にざまぁする
王都アストリアの大聖堂。
天井の高い白亜のホールに、今にも降り注ぐような聖光が満ちていた。
聖女リリア・グレイスは、両手を縛られたまま、壇上に立たされていた。
金の髪、蒼の瞳。清廉で、慈愛深き聖女として民から愛された彼女。
だが今、その美しい面影には影が差していた。
「リリア・グレイス、貴様を――“偽りの聖女”として断罪する!」
叫んだのは王太子アラン・ヴァルフォード。
彼は冷たく彼女を見下ろし、隣には新しい“聖女”を名乗る少女、ミラが立っていた。
リリアの後任。
――いや、奪われた者。
群衆がざわつく。
「聖女が裏切った」「王太子殿下を呪ったそうだ」「魔族と通じていた」
そんな噂が飛び交っている。
リリアは黙っていた。反論すればするほど、彼らは聞かない。
――経験でわかっていた。真実よりも「物語」のほうが人は信じる。
「リリア、君の力は危険だ。だからこそ、封じなければならない」
アランが冷たく言い放つ。
その声には、かつての優しさの欠片もなかった。
「……危険、ですか。では、殿下。わたくしが命を賭してこの国を守ったあの日の祈りも、危険と?」
「魔族を呼び寄せたのもお前だろう!」
「証拠は?」
「証拠など――ミラが見たと言っている!」
ミラは震えるようにアランの袖を掴み、涙を浮かべる。
「リリア様が……わたくしの聖力を奪おうとしたんです……!」
民衆が息を呑む。
――完璧な芝居。
リリアは静かに目を閉じた。
(……そう。これが、あなたたちの“真実”なのね)
聖印官が前に出る。
「偽りの聖女リリア・グレイス。汝をこの王国より追放する。再び祈りを捧げしことあらば、その身、灰と化すだろう」
聖印が輝き、彼女の額に刻まれた聖痕が焼けた。
焦げるような痛み。
だが、彼女は声を上げなかった。
(痛みなど、もう慣れていますわ……)
こうして、聖女リリア・グレイスは国を追われた。
王都を離れて三日。
リリアは草原の上に座り込み、ひとり風に髪をなびかせていた。
腰にかけた古びた聖印が、かすかに光る。
焼印の痛みは引かない。けれど、あの時、見た。
――ミラの背後に黒い影。
あれは、魔族の印。
つまり、彼らはすでに魔族に操られていたのだ。
王国そのものが、ゆっくりと腐っていく。
「笑わせますわね……。真実を見抜けない王子様が“正義”を名乗るなんて」
リリアはかすかに笑った。
けれどその笑みの奥は、冷たい。
彼女はかつて、戦場で祈った。千の命を救った。
その力を恐れられ、利用され、そして今――切り捨てられた。
だが、彼女にはまだ“光”がある。
それは王国に属するものではない。彼女自身の中にある“本物の聖”だ。
リリアは立ち上がる。
「いいでしょう。ならば、あなたたちが滅ぶとき――“真実”の光で照らして差し上げますわ」
そのころ、王都では婚儀の準備が進んでいた。
アランと“新聖女”ミラの盛大な結婚式。
民は熱狂し、国中が祝福の光に包まれた。
だがその夜、聖堂の地下では――異形の影がうごめいていた。
ミラの聖印が黒く染まる。
アランは知らない。彼が抱きしめている花嫁の中に、魔族の眷属が潜んでいることを。
「……リリア、あなたが邪魔だったのよ」
ミラは鏡の前で笑う。
その目は金ではなく、深紅。
“偽りの聖女”は、誰なのか。
北の辺境――“灰の森”と呼ばれる土地。
かつて魔王が討たれ、いまも瘴気が残る場所。
リリアはそこで、小さな廃教会を見つけた。
崩れかけたステンドグラスから、淡い光が差し込む。
そこに、彼女は身を落ち着けた。
夜ごと、祈りの声が響く。
誰のためでもなく、ただ己の心を保つために。
数日後、彼女はひとりの青年と出会った。
銀髪に漆黒の外套。目には深い翡翠の光。
「……君が、リリア・グレイスか?」
「そうですけれど。あなたは?」
「俺はレオン。かつて、君に命を救われた兵士だ」
リリアは一瞬、目を瞬かせた。
思い出す。戦場の光景。崩れ落ちた青年の身体を抱え、祈りを捧げた日のことを。
「……あの時の」
「ああ。君がいなければ、俺は死んでいた。だが、君は追放されたと聞いた」
「王家の正義に反した罰、だそうですわ」
「正義、ね。あの王子が?」
レオンは苦笑した。
「王都は腐っている。今や“聖女”を名乗る女が魔族と通じているという噂まである」
リリアは目を細めた。
――やはり、真実は滲み始めている。
「……ならば、動くときですわね」
「動く?」
「この世界の“嘘”を、正すために」
森の夜は静かで、風がざわめくたびに木々の影が生き物のように揺れた。
リリアとレオンは、焚き火のそばで地図を広げていた。
「王都に戻るつもりか?」
「ええ。魔族の気配が王都に満ちている。あのまま放置すれば、国が呑まれます」
「だが、王子とあの偽聖女が……」
「その二人も、もうすぐ“終わり”ですわ」
リリアの瞳が、月光に反射して淡く光る。
焼かれた聖痕が、皮膚の下で再び輝き始めていた。
封印されたはずの力――だが、これは“王国の聖力”ではない。
「これは……?」とレオンが息を呑む。
「“神”の加護などではありません。
これは、わたくし自身の祈り。
誰のものでもない、わたくしが信じてきた“光”ですわ」
静かに手をかざすと、焚き火の炎が蒼銀に染まる。
空気が震え、枯れた草が息を吹き返した。
「……これが、あなたの本当の力か」
「そう。王都の連中はそれを恐れ、封じた。でも――もう遠慮はしません」
リリアはゆっくり立ち上がる。
風が彼女の金髪を持ち上げ、光を反射する。
その姿はまるで、夜明けの前の星のように凛としていた。
王都アストリア――祝宴の夜。
アラン王太子とミラの婚儀が、王城で盛大に行われていた。
シャンデリアが輝き、花弁が舞う。
王子は満足げに杯を掲げ、ミラは偽りの微笑みを浮かべていた。
だが――城の下層。
古い聖堂の封印が、軋みながら砕ける。
白い光が天へ伸びた。
音もなく広がるその波動は、王城全体を包み込む。
「な、なんだ!?」
兵士たちが慌てふためく。
次の瞬間、祭壇の中央に立つ一人の女性を見て息を呑んだ。
「聖女……リリア!?」
群衆がざわめく。
ミラが振り返り、顔を青ざめさせた。
「……あなた……死んだはずじゃ……!」
「いいえ。まだ終わっていませんの。
あなたの“芝居”に付き合うのも、これで最後です」
リリアの周囲に、蒼銀の花弁が舞い散る。
それは祈りの結晶。
彼女が長年積み上げてきた慈愛と痛みの象徴。
「民よ、見なさい!」とリリアは声を放った。
「真実の“聖女”は誰か――いま、その目で確かめなさい!」
ミラが悲鳴を上げる。
その身体から、黒い煙のような魔力が噴き出した。
尖った指、裂ける瞳。
「くっ……な、なんで……!?」
魔族の印が露わになる。
アランがたじろぎ、剣を抜いた。
「ミラ!? な、なぜそんな姿に――!」
「うるさいわね、アラン! あなたの愚かさが、私を呼んだのよ!」
魔族の声が重なる。
ミラの身体は完全に魔の器と化していた。
「あなたの盲信が国を滅ぼすのです、殿下」
リリアの声は静かだった。
アランは剣を構えながらも震えていた。
「お前が、もっと早く言ってくれれば……!」
「聞く耳をお持ちでしたか?」
彼女の冷たい一言に、アランの顔が歪む。
「わたくしはもう、誰のためにも祈りません。
でも――この国の民のためなら、最後まで光を灯してみせましょう」
リリアの両手が蒼く光った。
放たれた蒼銀の波動が、魔族を包む。
ミラが絶叫する。
「こんな……聖力、あるわけ……!」
「“与えられた”力ではありません。“選んだ”力ですわ」
光が爆ぜた。
闇が砕け、天井のステンドグラスが吹き飛ぶ。
そして、“正義”が笑った
戦いが終わったあと。
王都の空には、蒼銀の光が漂っていた。
リリアは崩れた聖堂の中で、静かに祈っていた。
ミラは光に還り、魔族の瘴気も消えた。
だが、その代償として、王家の聖印はすべて消滅した。
“王の血筋”に宿る神聖が途絶えたのだ。
民衆がひざまずき、涙を流す。
「聖女さま……どうか、お許しを……!」
アランもまた、地に伏していた。
「……すまなかった。
俺は、真実を見ることができなかった」
リリアは彼を見下ろした。
その表情に、怒りも憎しみもなかった。
ただ、静かな決別の色。
「許しなど、要りませんわ。
ただ、二度と“嘘”を神と呼ばぬように」
彼女は踵を返す。
外は夜明け。
光が城壁を照らし、瓦礫の中に蒼銀の花が一輪、咲いていた。
レオンが駆け寄る。
「……終わったのか」
「ええ。ようやく、終わりました」
「これからどうする?」
「どこかの村で、静かに過ごしますわ。
それに――」
リリアは笑みを浮かべる。
「世界は、ざまぁを見届けたはずです。
“正義”は、思い込みの中にあるものじゃないって」
風が吹く。
蒼銀の花弁が空へと舞い上がった。
それは、ひとりの女が勝ち取った“自由”の証。
そして、世界が新しく息を吹き返した瞬間だった。
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