第14話 勤務最終日

 違和感や疑問など、林にぶつけたいものは幾つでもあった。

 けれど、もやもやと胸にわだかまる思いに深が言葉をあてはめていくより先。

 スタッフ控室で口を開いたのは、苦い顔で2人を待ち構えていた永野だった。


「『ノラッテくん』は引退だけどな」


 胸から下はいまだ黄色い毛皮に包まれたままの「ノラッテくんの中身」から腕の時計に目線を落とし、そしてまた永野は、一言も喋らない深を見た。


「繰り返すけど、お前らの働きが悪かったからじゃねぇからな! そこんとこ勘違いすんなよ?」


 イベントの撤収作業のため、こなさなければならない仕事が山積みなのだろう。どうしても2人の顔を見て言っておきたかったらしい言葉を残して、「局のマスコットキャラクター交代」の報せを持ってきた永野は、慌ただしくスタッフ控室を後にした。

 交代は、社長だかの意向で、急遽決まった話らしい。

 商品展開しやすくより親しみやすいキャラクターを、秋のイベントでお披露目することまで決定したと言う。

 つまり、例年通りのスケジュールであれば、ノラッテくんの出番は今日が最後だったことになる。

 流れる汗を拭うことも忘れて、様子のおかしい林を問いただすことも忘れて、深は永野の言葉をゆっくりと咀嚼する。


 咀嚼して、まず真っ先に思ったことは、

 永野は面倒見が良いな、ということだった。

 たかが日雇いのバイトに急いで知らせるような話ではない。

 忙しい合間、こちらの顔色を見守りながら誤解を与えないように心を砕く必要など無かったはずだ。

 肌から滲む汗が集まり玉になり、深の頬を伝う。

 その感触にようやく、汗だくになっていた体のことを思い出した。

 「ノラッテくん」の汚れを最小限にとどめたい、という気配りは、4年の間に無意識の域に至った。

 汗で湿らせてしまう前に、ズボンを脱ぎたい。いつものように、吊りベルトに手をかける。ノラッテくんの部分を納める袋を探して巡らせていた視線はしかし、右横まで来て動きを止めた。


「おい」


 低い声が耳に届くのと、熱のこもった指先がベルトを離れ色の悪い頬に届くのは、どちらが先だったのだろうか。


「!」


 熱い掌に頬を押さえられた林が、飲んだ息の分だけびくりと震えた。

 長いまつ毛の下の瞳が、行き着く先を探すように、ただし深を避けて泳いだ。

 目線は合わない。控室の中に、声はない。

 深を蔑むような言葉ばかり紡いでいた唇は、色を失いすっかり固まってしまっていた。

 馴染みが無いわけではないその表情は、深が嫌うものだった。

 薄い眉の根元が寄った。


「あ、っ」


 まるで、親を見失った子どものような顔だ。

 ナリはこんなデケぇくせに、と吐いた嘆息は、今更ながら漏れた林の声に紛れてしまう。

 「補助」が「中身」を差し置いて、こんなにも衝撃を受けるとは深でさえ予想していなかった。


「……、……」


 深は、「可哀そうな子ども」にかける言葉さえ持ったことが無い。

 開きかけた口を閉じ、先ほどまで白い羽に収まっていた腕で、林の頭を抱き寄せた。

 「中身」は、少しつま先立ちにならなければならなかった。

 「補助」は、腰を曲げなければならなかった。

 それでも深は、情けない顔を隠すことも出来なかった林を抱き寄せたし、林も、胸から上は既に「ノラッテくん」では無い汗にまみれた男の抱擁を甘んじて受け入れた。


 こんなツラ見てらんねぇと「お友達」を抱き締め慰めるのも、きっとこれが最後だな、と思いながら。


 深は、寂しさが淡々と吹き寄せ始めた胸に、「ノラッテくん」が好きだと公言してはばかってこなかった相棒を抱え込んだ。

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