歩くことを極めたら、生きる意味が消えたので、ピュンと再発見した

@_sync

第1話 歩き始めの静寂

山の空気は、ひんやりと肺を洗った。

一歩踏み出すたびに、足首の奥が軋む。

ふくらはぎが、まだ自分の重さに戸惑っている。


舗装された道とは違う。

湿った土がわずかに沈み、体がその分だけ沈黙を取り戻していく。

呼吸と心拍が、ぎこちなく噛み合わない。


歩く。

ただ、それだけを繰り返す。


考えようとするたび、頭の奥で何かが「今はいらない」とささやく。

呼吸の音、鳥の声、遠くの沢の水音。

それらが同じリズムで胸の中に入ってきて、

知らないうちに思考が薄くなる。


筋肉が、目覚めとともに調整を始めている。

皮膚の下で、生き物のように震えるそれが、

なぜか自分の意思よりも確かに「生」を感じさせた。


あとで知った。

歩くとき、脳は足の動きと地面の感触を比較して、

次の一歩をどう出すかを予測しているらしい。

その予測が少しでも外れると、小さな電気信号が走り、修正が入る。

意識しないところで絶えず脳が働いている。


呼吸を一つ深く吸う。

体の奥で重心がわずかに前へ滑る。

その瞬間、足が軽くなった。

考えるより先に、体が勝手にバランスを取る。

世界が、ほんの少し、こちらに合わせて動いた気がした。


山の光が木漏れ日を落とす。

それを見上げると、思考の残りかすが溶けていった。

「歩く」だけで、これほど世界が静まるなんて、

今まで知らなかった。

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