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だから、私は……大好きなカイルを、自由にしてあげた方がいいのかもしれない――そう、考え始めていた。
それに、私だって心から愛してくれる人と結婚したい……。
そんなことを考えていた矢先だった。
お父様とお母様が事故で亡くなったのだ。
それは本当に突然で――。
その日、私たちは久しぶりに家族そろって郊外へ出かけていた。 馬車の中には、お父様とお母様、それに私とカイル。街道を抜けたところで、前を走っていた荷馬車の馬が暴れ、避けようとした瞬間、車輪が大きく跳ねて馬車が横転した。
気づいたとき、私はカイルの腕の中にいた。彼が身を挺して庇ってくれたおかげで、私はかすり傷ひとつない。
けれど、お父様とお母様は……血まみれの中で……もう動かない。
カイルも一時は意識を失い、かなりの重傷だった。私は王都でも名の知れた医師たちを呼び寄せ、昼夜を問わず看病を続けた。彼は命を繋ぎとめたものの、右腕には後遺症が残った。
神経を損傷したらしく、指先に力が入らず、しっかりと剣を握ることができないとのこと。日常生活に支障はないが、騎士としては致命的――医師たちはそう静かに告げた。
それでもカイルは、いつもの穏やかな微笑みで「これくらい、なんてことはないですよ……リリア様が無事なら、それが一番のご褒美です」と笑った。
でも、私にはその笑顔が辛かった。
私のために、彼の誇りである剣を奪ってしまったのだから。
私は、残り少ない学園生活を送るために、再び学園へ通い始めた。
友人たちは口々に私を慰めてくれる。
「両親を失って、さぞ辛かったでしょう」と。
その中で、レオン様は何度も私に愛を囁いた。昼休みになると必ず寄ってきて、食欲のない私でも口にできるようにと、食べやすいものを手渡してくれる。
「僕の領地は田舎だから、こんなものがおやつなんだよ。子どもの頃、母と一緒に作ったのを思い出してね。自分でも作ってみたんだ」
差し出された柔らかいパンは、どこか懐かしいような優しい味がした――けれど、後になって知ったことだが、それは彼が作ったものではなかった。王都の下町で、子どもたちのおやつとして安く売られている蒸しパンを、ただ買ってきただけだった。
校舎の廊下ですれ違うことも多かった。両親を亡くして以来、私は何かにつけてぼんやりしてしまい、よく足元も見ずに歩いていた。
そんなとき、決まってレオン様にぶつかる。そのたびに、彼は驚いたように微笑み、そっと私の肩を支えてくれた。
「怪我はない? あれから元気がないから心配なんだ。 よく眠れてるの? ご両親のことは本当にお気の毒だったと思うよ。リリアは、たくさんの思い出がある王都から出た方がいいんじゃないかな? 卒業したら、僕は田舎の領地に帰る予定なんだ。これでも跡継ぎだからね」
そうしてレオン様は、自分の領地がいかに空気の澄んだ、静かな場所なのかを語ってくれる。
「自然の中に身を置けば、きっと君の心の傷も癒えるよ」――そう、穏やかに、けれどどこか誘うような声で。
今思えば、あんなによくすれ違っていたことも、何度もぶつかったことも……あれは偶然なんかじゃなかったのだろう――きっと彼は、私を見つけるために、廊下のどこかで待っていたのよ。
けれど、あの頃の私は、そんなことなど思いもしなかった。
授業が終わり帰る準備をし、カイルを待っている間にも、レオン様が私に近づき囁いた。
「カイルは王太子付き近衛騎士の中でも、選りすぐりのエリートだったんだろう? 二度と剣を握れないなんて、彼にとっては……死ぬよりも辛いことかもしれないね。
たとえ君を守るためだったとしても、これから夫として君のそばにいるうちに――きっと、自分の“失われた力”を思い出すたびに苦しむと思う。……そうなったら、二人とも、幸せにはなれないよ」
そう言いながら、レオン様はまっすぐに私を見つめた。
「君を愛している」と言うレオン様のその眼差しが、信じられるものに――真実の愛に見えてしまう。
「そうよね……彼には、取り返しのつかないことをしてしまったわ。だとしたら、私はどうすればいいんだろう……」
ふと漏れた私の独り言に、レオン様が満面の笑みで答えを出してくれた。
「僕の領地においでよ。結婚して、穏やかに――二人で幸せに暮らすんだ」
「そんなこと、できないわ。私にはアルマード商会を継ぐという務めがあるし……カイルとはまだ婚約しているのよ」
カイルを自由にしてあげたいという気持ちはある。けれど、婚約破棄という大きな決断を下す勇気は、まだ持てずにいた。
「……ねぇ、リリア。カイルのことはもう、いいんじゃないか? 騎士としての道を失わせてしまったこと、そして婚約破棄の慰謝料として――相応のお金を渡してあげれば、それで十分じゃないか。君には、ご両親が遺した遺産もある。商会の権利なんて無理して背負う必要はない。売ってしまえばいいんだよ。その分、自由になれる。ここにいれば、亡くなったご両親を思い出して、悲しみはいつまでも消えないよ。全てを整理して、僕の領地で穏やかに暮らそうよ。僕は決して君を一人にしないから」
レオン様の言葉は、運命の声のように私の胸に響いた。
ああ、これがきっと“正しい選択”なのだと――そう、信じてしまったのよ。
そして、卒業式を控えた前日のこと。アルマード男爵家のサロンにカイルを呼んで、 私は婚約破棄を突きつけた。
「私、リリア・ アルマードは、カイル・グランベルに婚約破棄を宣言します。ごめんなさい。他に好きな人ができてしまったの。 婚約破棄の慰謝料と、カイルの右腕が剣を握れなくなってしまったお詫びとして、この商会の権利をあなたに譲るわ」
私は震える指先で書面を差し出した。
「……他に好きな人だって? それは……本当なのかい?……だとしても、この商会の権利をもらうなんてできないよ」
「だって、お父様が一代で築き上げたこの大事な商会を、見ず知らずの他人に売るなんてできないわ。だからカイルに引き継いで欲しいの。でも、もう私はここにいたくないのよ。お父様やお母様を思い出してしまうから。私、好きな人と彼の領地に行くことにしたの。 幸い、遺産もたくさんあるし、そこで穏やかに暮らせると思うのよ。お願い。私の最後のわがままを聞いて!」
「……リリア、それが……本当に……君の望みなんだね?」
いつもは“リリア様”と呼ぶ彼が、初めて私の名をそのまま口にした。
一瞬、息が止まる。
その響きは、苦しげで、切なくて――深い悲しみに満ちていた。
「えぇ。そうよ。これが私の心からの望みよ。ここには幸せだった家族の思い出が、あふれすぎているわ。この屋敷も処分してほしい。私はお父様の残した遺産で十分暮らしていけるし……夫になる方は、学園を卒業したら領地に戻って伯爵位を継ぐのよ。私は田舎でのんびり、穏やかに暮らしたい……」
「……リリアが心からそう望むなら……止める権利は私にはないよ……わかった」
そうして私は、すべてを処分し――莫大な遺産という持参金を持って、レオン様に嫁いだのだった。
ところが――。
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