第38話 13-3

 翌朝の早朝だがお菊は目を覚ましたのである。お菊だけでなく宿に居た客も多数が既に起床していた。織田の大軍が宿の前の街道を坂本に向けて続々と進んでいたのである。


「すごい大軍だな。織田は5万、延暦寺は4千以下だと」

「圧倒的じゃないか」

 宿の宿泊客は織田の大軍を見ながら話していた。

「延暦寺の所領が織田の配下になれば織田の拠点の尾張美濃から京まで問題なく移動できる。朝倉も浅井も終わったかな。次は三好三人衆と本願寺だな」

「……」

 男たちの会話をお菊は黙って聞いていた。


「お菊。湖岸で戦況を見よう」

 お菊は心眼と湖岸に移動したのである。ここから坂本まで4キロも無い。

 しばらくすると鉄砲の音が遠くから聞こえてきたのである。坂本の沖合に浮かぶ船からも鉄砲や大砲を撃っているようだった。

「始まったか」

 心眼は冷静に言った。やがて煙が坂本の数か所から上がり出した。

「う!」

(またあの昨日の嫌な感じがする!)

「大丈夫か?」

 お菊の嫌な声に心眼が案じたが

「大丈夫」

 お菊は平静を装ったが

(何だろう?でも明智殿と違う?すごく落ち着いている。誰?いろは?橘花殿?)

 1時間もすると坂本のあちこちから煙がもうもうと上がっていた。鉄砲の音は絶え間なく続いていた。

 住民たちも次第に湖岸に集まり遠巻きに不安そうに坂本の方を見ていた。

「あ」

 お菊は突然あの感じが失われたのに気付いたのである。

(誰か死んだのか。誰だろう。橘花殿?)

 よく分らないがそう思ったのである。


「見ろ!(比叡山の頂上の)本堂(根本中堂)や(比叡山の山中にある)毘沙門堂からも火の手だ!」

「なんまいだなんまいだ。安らかに往生してくれ」

 住民たちは比叡山が炎に包まれ落ちるのを確認したようにあの世に行く者たちに手を合わせたのである。


「織田の圧勝やな」

「本当に焼きおったわ」

「もう終わるかな」

 住民たちもため息交じりで話していた。


 その時であった。

「う!」

 思わずお菊は声を出した。 

「何これ!すごい気持ち悪い!」

 お菊は口を手で押さえたがあまりの気持ち悪さに立っていれず膝から崩れて四つん這いになったのである。

(いろはの力?嘘だ!人じゃない!何を呼んでるのさ!)

「お菊!大丈夫か!」

 心眼が慌てて駆け寄ったが

「大変や!見ろ!比叡山の方から変な雲が出て来た!」

 住民が騒ぎ出したのである。

 比叡山の山頂からもうもうと不気味な黒い雲がすごい早さで広がり始めたのである。雨や雷の音はしないかが何かが雲の間で光っていたのである。

「雲から何か出て来た!何か飛んでるわ!」

 誰かが叫んでいたが見える者と見えない者がいるようだったが見える者は悲鳴を上げながら逃げ始めたのである。

 

 お菊だが自分の体が言う事を聞かなくなって四つん這いで固まっていた。

「う、う、誰かがあたしに入ろうとしてる!あたしに!」

 お菊は震えながら言った。

「一体何が起きてるんだ!南無阿弥陀仏」

 心眼は訳が分からず急いで念仏を唱え始めたのである。その時である。

「お菊!何をする!やめんか!」

 お菊だが突然心眼の首を両手で絞めたのである。

「なんて力だ。折れる!」

 心眼は必死にお菊の両手を振り払おうとしたが心眼の剛腕を持っても全びくともせず心眼はうめいていた。

「ははは!ようやく地獄から解放されこの世に戻れたわ!まずは坊主!貴様から殺してやる!」

 お菊は男の声で言ったのである。

 異変に気付いた近くの住民が慌てて心眼の救助に加担してようやくお菊の手を心眼の首から放して大の男3人掛かりでお菊を取り押さえたのである。

「憑依されたか!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」

 心眼はひたすら念仏を唱えていた。

 お菊はその後も男の声で放せ!と騒いでいた。

「きゃああ!」

 心眼の近くでも奇声を上げた男が知らない女を押し倒して服をはだこうとしていた。近くにいた者が男を女から引き離し大人4人で羽交い絞めにして何とか対応していたが。

 しばらくして前線に居るはずの織田兵が悲鳴を上げながら前線から逃げ出して来たある。

「何が起きてるんだ!何が!」

 心眼が怪しい雲を睨むとお菊だが突然

「心眼殿!あたしはあたしじゃない!殺して!鬼だ!鬼が入って来た」

 お菊は泣き叫ぶとまた男の声に戻り

「貴様ら!放せ!この世を破壊して貴様らを殺してやる!殺してやる!」

 お菊とは違う声を出したのである。

 そして抑えていた男たちを逆に殴り出して暴れ出したのである。

「分かった!お菊!すまん!」

 心眼は渾身の力でお菊の腹を殴ったのである。

 お菊は気を失い倒れたのである。


「お菊。良い加減起きたらどうだ?」

 お菊は心眼の声で目を覚ました。お菊は宿で寝てたのである。もう翌朝になっているようだった。

「あたし生きてる?」

 お菊はぼうっと言ったが

「一昨日は大変だったぞ。まったく」

 心眼が膨れ気味に言った。翌日ではなく翌々日になっていたのである。

「そうだ。鬼か妖怪みたいなのがあたしの中に入ってきたんだよ。うう」

 お菊は思い出したように震え出した。

「分かった。もう良い。無事で何よりだ。気にするな」

 心眼はそう言うと立ち上がり

「坂本の復興奉行になった明智殿か緊急のお達しだ。ここの犠牲者の大規模な供養をするらしい。住民も全員出ろと。宿の客もだと。行くぞ」

「明智殿が坂本の復興奉行?」

 お菊はぽかんと返した。


 心眼とお菊は他の客と一緒に坂本に向かったのである。今日はあの怪しい気配は完全に消えていた。坂本は一面焼け野原であった。比叡山の山頂の根本中堂からはまだうっすらと煙が上がっていた。

 織田の兵や織田に雇われたと思しき人々が黙々と遺骸の収集をしていた。巨大な穴がいくつも掘られ簡易な卒塔婆が立ち、名も無き兵たちの遺骸は身元が分かるものがあれば外されるもほとんどはそのまま穴に放り込まれて行った。

「名も無き兵は死んだらこうなっちゃうんだ」

お菊は呟いた。


 遠くの石垣のある門跡の跡地だけ綺麗に整地されそこに火葬の大きな檀が用意されおそらく光秀の重臣か関係者の遺骸がこれから荼毘に伏されようとしていた。

(あの亡骸の中にあたしと同じくらいの子がいる?何で分かるんだろう?彼女は死んでいるはずなのに何かを感じる)

 お菊は何かをうっすら感じたのである。

しばらくすると

「これより亡き者たちをあの世に送る!祈りを捧げよ!言葉で唱えよ!」

 明智兵が騎馬でやって来て作業を中断させ祈るように命じたのである。両軍の戦死者を合わせて送るのである。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 みんな手を合わせて祈ったのである。

 巨大な檀に火が放たれ巨大な炎が上がり天に昇って行った。30分ほどで供養は終わり光秀が外に出て来た。


「あ」

 お菊は思わず呟いてしまった。光秀だが正室と幼い娘2人を連れて来ていたのである。

「あの人、家族が居たんだ。家族が居ても命令のためなら自分の奥さんや娘さんくらいの人でも撫で斬り出来るんだ」

 お菊は複雑な顔をしてしまった。

 光秀は妻や娘たち4人で何か話していたが正室が少し泣き出したのを光秀は抱擁した後、娘たちも抱擁すると護衛の三宅秀満、藤田伝五、溝尾茂朝、そして怪し気なぼろをまとった僧と一緒に円城寺の方へ向かって行ったのである。

「なんか嫌な物を見たかも」

「彼だって家族はいるさ。他の武将と同じだ」

 お菊が言うと心眼が返したが

「違うよ。あの人だって好き好んでやってるんじゃないのが分かってしまったから嫌なんだ」

「それはそうだろうよ」

「あれを見たらあたしなんで戦ってるんだろうってさ」

 お菊が言うと

「君は阿弥陀如来様の巫女だ。それだけだ。深く考えるな。志村砦に寄った後に石部城か伊賀に戻るかどうするか考えよう」

 心眼とお菊はこの後、光秀の用意してくれた手形のおかげで大津を出て無事に本願寺の影響下の志村砦に向かえたのである。

 

 しかし志村砦が見えてくると強烈な吐き気のする腐った臭いが漂って来たのである。

「う!」

 お菊は思わず口と鼻に手を当てた。足を止めそして身震いしたのである。

(気持ち悪い!たくさんの人がなんか意味もなくあたしの中に入ろうとしている!)

 心眼も険しい顔になった。近くで農作業をしていた農夫が2人に気付き、

「お坊様。あそこに行くのはやめなされ。あそこは織田に撫で斬りにされたんだ」

「何だって?」

 心眼は志村砦が撫で斬りされたと聞き驚いたが

「佐久間様が比叡山を焼く前の日に成敗された。志村砦の6百人が皆殺しにされたんで小川砦も近江の門徒宗もみな降伏した。あそこには見せしめで死骸がそのまま大量に放置されている。呪われておる。なんまいだなんまいだ」

 農夫はそう言うと手を合わせた。

「お菊。これ以上あの城に近付くのはやめよう」

「行き場のない怨念と魂が漂っているよ。気持ち悪い」

 お菊は蒼い顔で言った。

「でもひとつ、はっきりした。こんな事を平然とできる織田信長公はあたしの敵だ!」

 お菊は恨めし気に呟いたのである。


 志村砦だが信長に叛旗を翻したが佐久間信盛に襲われ見せしめとして籠城していた6百名が惨殺されたのである。遺骸はそのまま見せしめとして山積みにされていた。カラスが宙を舞い時々それを突いているようだった。 

 小川砦、金森御坊もそれを見て怖れをなし信長に降伏しようやく赦されたのである。近江の一向宗は信長に完全に従ったのである。


 石部城も柴田勝家に襲われ六角義賢と杉浦玄任もいずこへ落ち延びたとの知らせが入ったのは石部城に向かう途中であった。

 心眼とお菊は伊賀に向かい伊賀から大和経由で大阪に戻ったのである。


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