第2話 1-2

 さちだがすぐに頑強にこの件を相談したのである。頑強も石山本願寺と相談し明智光秀が足利義昭の奉公衆でありながら今、日の出の勢いの織田信長の若手の重臣で今回は久秀の目付として派遣されている事実を確認すると光秀との交渉を開始するのである。


 その日の晩だが三宅秀満と言う光秀配下の筋肉隆々とした武将が米俵を2俵を両手に抱えてさちとお菊の茶屋に置いて行ったのである。溝尾茂朝からさちへの礼である。

 ただ三宅秀満とやらは溝尾茂朝と違い不愛想で一言も発せず米俵を置いて行くと黙って出て行ったが。


 光福寺はさほど大きくない寺だが本堂、講堂、書院、坊を備え周囲に武者走りのある土塀を巡らせ簡易な櫓もあるまるで砦のような石山本願寺の末寺らしい寺である。光福寺を中心に小さな堂島の門前町が形成されていた。

 光福寺の住職は頑強である。光福寺は石山本願寺と野田福島城を結ぶ街道のやや野田福島城寄りに建っていた。

 織田信長だが当初は三好三人衆が本国の阿波に撤退すればそれで終わりにするつもりであった。朝廷や信長に味方した三好一族をも使い降伏を呼び掛けていた。頑強もその使者として動いたのである。

 しかし三好三人衆は阿波本国に居た三好家の有力者、篠原長房の援軍に望みを託し応じなかったのである。


 数日後、光福寺の門前町はちょっとした騒ぎになっていた。野田福島城や光福寺の南北を流れる川の水位が下がり出したのである。

 ちょうどその頃、再度明智光秀が家臣を連れて光福寺にやって来たのである。光秀は頑強と1時間ほど話し合ってから再度陣に戻って行った。


 頑強はその日の夕方だがすべての住民に光福寺に至急集まるよう達しを出したのである。そして今の交渉の経緯を説明したのである。

「野田福島城への開城交渉は残念ながらうまく行かんかった。すまん。信長公は交渉を諦めて援軍の(紀伊、和歌山の傭兵集団の)雑賀衆と根来衆が到着次第、野田福島城に総攻撃をかけるらしい。川の水位が低下しているのは織田軍が上流で川の水を堰き止め野田福島城を丸腰にするためだ。信長公から住民を戦闘に巻き込みたくないとの事で至急全員明日の夕暮れまでに家財道具をまとめてここに避難して欲しい」

 町のみんなそれを聞くとやれやれと溜息をつきながら命は惜しいので従ったのである。


 お菊も義姉のさちと光福寺に入ったのである。

 住民が避難して翌日だが川の向こうから時々鉄砲の音も聞こえて来たのである。

 先に頑強が光福寺の土塀の武者走りに登り外の様子を見ていた。

「既に堂島の対岸の島に雑賀衆や根来衆が入って野田福島城に鉄砲を浴びせているらしい」

「水が引いて川底の土が固まればすぐに接近できるので戦力が倍以上の織田が確かに有利ですが」

 頑強だが他の僧と話をしていた。

 さちも川太郎と山兵衛と一緒に武者走りに登り戦いの様子を見ていた。

「さち姉。戦になるの?」

 お菊も武者走りに登り様子を見るとさちに心配そうに聞いた。

「ウチらは関係ないね。大丈夫だね」

 さちはお菊を安心させるように言った。

「我々(一向宗、門徒衆)には三好も織田も絡まんさ」

「菊ちゃんらは安心せい」

 川太郎と山兵衛も続いた。


 住民の避難が始まってから数日、明智光秀たちが光福寺にまたやって来たのである。

「わ!」

「すげぇ量だ!」

 住民たちが驚いたのでは複数の荷車に大量の米を積んでやって来たのである。予想外の騒ぎで驚いた頑強は

「明智殿!これは一体?」

「頑強僧正。突然で申し訳ありません。住民のみなさんが我々の希望通りに光福寺に速やかに避難して頂いた事に我が主君、織田信長は大変歓心いたしましてこれはそのお返しの気持ちであります。これでうまい飯でも食べながらくつろいで戦が終わるのをやり過ごして頂ければと」

 光秀はにこやかに返したのである。

 頑強は何かあるかと躊躇したが光秀は立て続けに

「そうだ。あと野田福島城の界隈にある20軒ほどの家は買い取りさせて頂きたく。我が軍の陣地の資材として使いたく。また光福寺の櫓もお借りしたく。秀満!御礼を!」

 光秀は一方的に喋ると配下の三宅秀満を呼び、秀満は背負っていた重そうな箱を下したのである。

「こちらには5百貫あります。これで如何でしょうか」

 光秀はにこやかに言った。

 中は銭であった。頑強は複雑な顔で配下の僧と顔を合わせた。普通の武将だと住民の要望など無視で戦の邪魔であれば勝手に奪うだけである。今回の信長の対応は非常に丁重であった。実は信長だが前年に矢銭(軍資金の提供依頼)を石山本願寺や堺の商人に行ったがこの時は本願寺は5千貫、堺は2万貫を信長に支払っていた。そのため信長と石山本願寺や堺の商人との間にちょっとした しこり が残り今回信長だがその時と違いここが門徒衆が多い地域なのと石山本願寺への相応の気遣いをしたのである。

 頑強も家を失う住民への補償を配慮して結局妥結したのである。


 本陣に戻った明智光秀だが松永久秀配下の衆に買い取った家を素材にすぐに陣屋を作らせたのである。

「光福寺の連中をうまく丸め込んだかな?で、これを建てるからには長期戦かな?」

 久秀が問うと

「いや、あなたと茶会をするためだけに造ったのですよ」

 光秀は笑いながらよく分らない返事をしたのである。

 松永久秀だが元は三好長慶の重臣である。三好長慶だが織田信長以前の天下人と言われ畿内で強大な力を持ちその勢いは室町将軍や管領家を凌ぐ程であった。しかし長慶の息子の義興、長慶の弟の三好実休や十河一存、安宅冬康らが相次ぎ亡くなると三好家は急激に力を失ったのである。やがて長慶も病に倒れるも後継に縁戚の若い義継を据え三好三人衆の三好宗渭、三好長免、岩成友通と重臣衆の松永久秀、阿波衆の篠原長房に三好家を託し亡くなったのである。しかし久秀と義継は三好三人衆と仲違いし信長に鞍替えしたのである。だから今回新しい主君、織田信長のため久秀が三好三人衆の籠る野田福島城の攻略を任されたのである。

 なお久秀は光秀とは意外と付き合いが長い。光秀だが信長に仕える前に主君だった美濃の斎藤義龍が亡くなると後継の竜興には仕官せず実父の縁で足利義輝の奉公衆になったのである。その頃より長慶配下の久秀と幕府側の光秀との間で色々と付き合いがあったのである。その頃は久秀が圧倒的に上の立ち位置だったが今は逆転し光秀が信長の命で久秀の目付である。それだけである。

 そんな久秀の光秀の評は悪人ではないが 腹の中が読めない であった。

 それでも光秀の奉行としての実力は認めまた逆に久秀も信長のお気に入りの光秀をうまく使ってやろうと内心企んでいるだけである。

「ま、こいつが完成すればいつまでも野田福島城を包囲したると圧を三人衆に掛けられるな」

「(石山本願寺が味方になり)後方の憂いが無くなったので兵には盛大に飯を食べてもらいましょう。こちらの飯炊きの煙の量で(包囲されてる野田福島城は)兵糧不足を恐れて内応に応じる者も増えるでしょう。後は篠原長房公次第かな」

 光秀は先を読むように言ったのである。

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