「悪意アプリ」ユーザーの僕、ダークヒーローになる〜世直し系インフルエンサー活動で大炎上した過去の贖罪〜
山田四季
第1話 悪意スコア①
『オマエ、
どこかから、聞きなれない声がした。
夕方の、JR巣鴨駅。
他の駅で人身事故があったようで、山手線は今、運転を見合わせている。
そのせいで、駅の周囲は買い物帰りの老人や、仕事帰りのサラリーマンでごった返していた。
自分と同じ高校の制服を着た、学生の姿もちらほら見かける。
――誰かに呼ばれた気がしたけど。
湿ったアスファルトの匂いと、電車のブレーキ音が混じったような空気。
ビルのガラスに夕陽が滲んで、街全体が赤く曇って見えた。
頭上では、カラスが1羽、やけにけたたましく鳴いていた。
騒音や人ごみに疲れた僕は、騒ぎの中心から少しだけ離れて、スマホを取り出した。
音楽でも聴いて時間を潰そうと、Bluetooth接続のイヤホンを耳につける。
【山手線 運転再開見込み:未定】
電光掲示板の文字が、やけに冷たく見えた。
ざわめき、ため息、遠くの駅員の声。それらが次第に混じり合って、ひとつのノイズみたいに聞こえてくる。
イヤホンの電源を入れた瞬間、奇妙なことが起きた。
世界の雑音が、すっと引いていく。まるで、自分だけが真空の中に取り残されたような感覚。
その静寂の中で、声がした。
『こっちだ、朝日悠』
僕はびくりと肩を震わせ、イヤホンを外しかけた。
でも、辺りを見回しても、誰とも視線が合わない。何人かのクラスメイトも目に入ったけれど、誰も喋っていない。
「……誰?」
返事はない。
かわりに、スマホ画面の片隅に、見慣れないアイコンが光っているのが目に入った。
――MALICE?
たしか、「悪意」って意味じゃなかったっけ?
そんなアプリ、入れた覚えないけど。更新のときに、勝手に入った?
普段は、そんなことはしない。
けれど疲れていたせいもあり、僕は深く考えず、そのアイコンをタップした。
瞬間、イヤホンの奥でざらついたノイズが走り、再び声が響く。
『上を見ろ』
――上?
見上げた空に、黒い影があった。
さっきまであんなにうるさく鳴いていたのに、今はただ静かに、こちらをじっと見つめている。
「――カラス?」
黒い瞳が、真っすぐ僕を射抜く。
『そう。やっと見つけたぜ』
その声は、少年のようにも、大人のようにも聞こえた。
ノイズの奥に、かすかに「温度」がある。まるでスピーカー越しに、呼吸の音が混じっているような……
『オレはヤマト。カッコつけた名前だろ? でも気に入ってるんだ』
その軽い調子に、なぜか鳥肌が立った。
――カラスって、人の言葉いけるんだっけ?
知能が高い、というのはよく聞くけど――
もしかして、このMALICEというアプリ、カラスの言葉が翻訳できるすごいソフトだとか?
それとも、誰かのいたずら?
頭の中で、あり得そうな理由をいくつも並べてみる。
けれど、どれもピンとこなかった。
『聞け。オマエ、「JUSTICE::ECHO」だな?』
――っ!
「ど、どうしてそれを!?」
心臓が、跳ねる。そのコードネームは、中学のころ使っていたものだ。
とある「世直し系インフルエンサー」の右腕として、彼を支えていたときの、裏アカウント名。
最終的に、僕たちは大炎上した。「正義」を掲げて晒した相手が、無実だったのだ。
事件の真相が明らかになるころには、僕らはすっかり「加害者」として扱われていた。
また、その話を掘り返されるのか。
頭の中が、真っ白になる。
『オマエと、相棒の「JUSTICE::NULL」は、過去に大失態をやらかした。世間に大迷惑をかけた。そうだな?』
唇を、ぎゅっと噛む。
「……もう、1年も前のことだよ」
『まだ1年、だろ?』
その言葉に、胸の奥がざわついた。
目の前の人波が一瞬、遠くに霞んで見える。
JUSTICE::NULL。兄貴分みたいに慕っていた彼。
正義を掲げ、声を上げることが「良いこと」だと信じていた。
彼を手伝って、僕は動画の編集をし、現場にも同行した。
スマホを片手に、私人逮捕狙いの突撃取材をして、警察に止められたことも一度や二度じゃない。
それが、どれほど危ういことか。
気づいたのは、ずっと後だった。
「……わかってる。二度としないよ。だからもう、僕たちのことは放っておいてほしい」
『それで話が済むと思ってんのか?』
ヤマトの声が、急に低くなった。
その言葉で、僕の頭にかっと血がのぼる。
「――うるさいな!」
思わず、声を上げていた。まわりの人たちが、驚いたように振り向く。
僕は慌てて顔を伏せ、震える声で続けた。
「もう十分だろ! 僕だって後悔してる!
今も、毎日あのころのことを思い出して、全然眠れないんだよ……」
視界が、にじんだ。
人ごみの中にいるはずなのに、急にひとりぼっちになり、世界から置き去りにされたような気持ちになる。
「僕はもう、普通に生きるんだ。正義とか悪意とか、そんなの関係ない」
『……普通に生きる、ね』
ヤマトの声が、少しだけ笑った気がした。
けれど、その笑いに温度は感じられない。
『JUSTICE::ECHOの罪は、まだ終わっちゃいない。
オマエたちのせいで、東京の「悪意レベル」は飛躍的に高まった』
――悪意レベル?
耳慣れない言葉に、眉をひそめた。
『この街は、まだ怒ってるぜ。オマエたちのこと』
「意味がわからない。僕にどうしろっていうの?」
頭上のカラスが、大きく翼を広げた。
『オレに、協力しろ』
ざわめく群衆の頭上を、真っ黒な影が大きく弧を描いて、舞い上がっていく。
「……協力?」
その問いに、返事はなかった。
人ごみの喧騒が戻り、電光掲示板には新しいアナウンスが流れている。
【山手線 運転再開見込み:20時30分】
僕はスマホを握りしめたまま、ただ立ち尽くしていた。
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