第三話 全部どうでも良くなってきたなぁ

 研究所のメインルームにて。

 困惑する僕を前に、増殖した大城戸博士たちはそろって目を細めながら、ニヤニヤと口角を上げていた。


「目覚めるまでずいぶん時間がかかったね」

「仮想空間で恋人といちゃいちゃしてたのさ」

「若いカップルはいいねぇ。元気なことだ」

「ライタ、二番ベッドに横になりな」


 十人の大城戸博士は、自由に飲み食いをしながら、資料を囲み、部品を転がし、脳の模型を弄くり回している。あぁ、なるほど。


「ようやく理解した。ズボラが十人も集まって好き勝手に過ごしていたから、メインルームがいつも短期間で汚部屋になってたのか」

「なんだ、最初に質問することがそれかい? もうちょっと気になることがあるだろう」

「あるけど。はぁ……ちゃんと全部教えてくれるんだろうな」


 僕はいつものようにベッドに横になる。

 すると博士の中の一人が、慣れた手付きで僕の脳をスキャンし、ふむふむと首を縦に振る。


「人工頭脳の基本動作は問題もないね」

「博士。カグヤが停止してるんだけど」

「あぁ、心配しなくていい。カグヤはちょっと調整が残っててね。可愛い息子から恋人を取り上げるような真似をするわけないだろう」


 博士は何でもない事のようにそう言って、いつもと変わらない飄々とした笑顔を浮かべる。そして、配線のごちゃごちゃ付いているヘルメットを僕の頭にひょいと被せた。


「実は博士は分身できる? 忍者の末裔とか」

「そんなわけないさ。分かってて聞いてるね」

「あー、つまり……博士もAIだった、と」


 僕の言葉に、博士は軽く頷いた。

 理屈はサッパリ分からないが、どうやら博士は一つのAI人格を十個の身体で動かしているらしい。


「そう複雑な仕組みじゃないさ。原理的にはライタにも同じことは可能だけど、あまりオススメはしないね」

「そうなんだ」

「あぁ。研究には便利だが、記憶の統合処理が辛くてねぇ。特に寝起きの気分が最悪なのさ」


 そうか。博士がいつも部屋の隅にゴミクズのように転がっていたのは、記憶統合で最悪の気分を味わっていたからだったのか。なるほど。

 なんだか、さっきからどうでもいい謎ばかりが次々と解明されていく気がするけど。


 気を取り直して、僕は用意していた質問を口にする。


「講演会はあの後どうなった?」

「なんだい。ニュースは調べてないのかい」

「あ、うん。カグヤが機能停止してたから」

「AIアシスタントがいないとニュースも検索できないのは、ちょっとどうかと思うけどね……ほれ、代理のアシスタントを設定してやったから、聞いてみるといい」


 博士の言葉と共に、僕の脳感覚が新しいAIアシスタントの存在を捉える。

 手のひらを上に向けると、そこからぴょこっと小人のアバターが飛び出してきた。初めて見る造形だけど、これは。


【初めまして。メイド忍者のキララです】

「なんで?」

【質問の意図が不明です。もう一度どうぞ】


 現れたのは、メイド服と忍者装束を雑に混ぜたような衣装の、胸部装甲がやたらバインバインで露出の多いアバターである。

 これはなんというか……カグヤが戻ってきた時のことを考えるとすごく気まずいんだけど。


 訝しく思いながら視線を向ければ、博士は目に涙を溜めながらプルプルと震えていた。僕が困るのがそんなに面白いか、この愉快犯め。


「はぁ、もういいや……キララ、ニュース記事を読みたいんだ。物垣ライタの講演会で起きた事件の顛末について、事実をなるべく客観的に解説している記事を探してくれないかな」

【かしこまりました。該当は……一万件以上ありますので、精査する時間を少々下さい】


 すると、キララのアバターがフッと消える。

 一万件以上。こんな規模で記者AIがニュース記事を量産する事件なんて、ここ数年はなかった気がする。あんまり実感がなかったけど、数字で聞くと恐ろしくなるよ。


 ニュースを検索し終わるまで時間もかかりそうだし、博士には他のことを聞こうか。


「博士。僕はあの会場で暴徒に襲われた記憶がある。だけど……今の身体は無傷だ」

「あぁ、それは簡単さ。採取していた体細胞からクローンの身体を培養し、脳神経系を生体コンピュータに置き換えておく。あとは、常時バックアップされているライタのAIデータを復元したんだ。単純だろう?」


 なるほど、今の身体は新品ということか。

 前の身体がどうなったのかは、気にしても仕方ないかな。どうせろくなことにはなっていないんだろうし。


「それで、博士はどうしてあんなことを?」

「あんなこと?」

「AI否定派を集めて、わざわざ煽るようなことをしたのには、何か理由があると思うけど」


 僕がそう問いかけると、博士は柔らかい笑顔でうんうんと頷いた。


「別に大した話じゃあないけどね。私はほら、ASBの研究で有名になったクチだろう? すると、そういった新しい技術を気に食わない奴らが、そりゃもう害虫のように湧くわけさ」


 そういえば。最近はあまり聞かないけど、以前はASBを頑なに受け付けない人もいた。自分の身体に機械を入れるのは怖い、とかだったかな。


「まったく、何が楽しいのかねぇ。奴らは何かを否定しなきゃ生きられない暇人なのさ。今はAI否定派だとか名乗ってるが」

「あぁ、同じ人たちなんだ」

「もちろんさ。時勢によって題材が変わるだけで、奴らの根っこは変わらない」


 博士は微笑んだまま、視線を鋭くする。


「――私は奴らに、実の息子を殺された」


 その言葉に、空気がピンと張り詰める。

 博士の顔は穏やかなのに、なぜだろう。この場には暴力的なまでの負の感情が渦巻いているようで、僕は呼吸をするのも忘れそうになった。


「それで奴らに復讐したかった、と?」

「なんで過去形なんだい、まだ狼煙のろしを上げただけさ。全てはこれから始まるんだよ」

「……えぇぇ」


 言葉を失う僕に、博士は歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべた。


「AI否定派を名乗る馬鹿どもを、まとめて地獄に叩き落とす。ライタにも手伝ってもらうからね。別に無理強いはしないが……あんたはきっと、自ら私に協力したくなるだろうから」


  ▲  ▽  ▲  ▽  ▲


 博士の研究所で復活を果たしてから数日。

 僕は簡単な変装をして、人混みに紛れるよう歩いていた。


『AIの横暴を許すなー!』

『今こそ社会を人間の手に取り戻せー!』


 街を歩けば、デモ行進の大きな声は嫌でも耳に入ってくる。今や世界中の人々はAI肯定派とAI否定派に二分され、地域によっては暴動にまで発展しているみたいだ。


 AI否定派の語気は荒々しい。

 だけど、彼らの大半は日常生活でのASB操作にAIアシスタントを普通に利用しているようだし、デモの開催場所へ移動する時もAIの運転する公共交通機関を利用している。食事だって全てAIによって素材が生産され、梱包されて輸送され、それをまたAIが調理してくれるから人の口に入るわけだ。今の時代、本当に厳格な否定派なんて極少数だろう。


 対するAI肯定派は、この数日で時代の中心人物にまで成り上がった大城戸博士が、とにかく目立ちまくっている。


『実は私もAIなのさ。残念だねぇ殺せなくて』

『アンタたちはお笑いコンテストでもしてるのかい。AI否定派のニュース記事を書いているのが記者AIじゃないか。さすがにそこは、ご自慢の人間の力とやらで書いたらどうだい』

『どこかで聞いた誰かの言葉ばかりだねぇ。借り物じゃなくて、もう少し自分の言葉で喋れないのかい。それが人間なんだろう?』


 これがもう、煽る煽る。

 そんな社会の流れの中で、僕の名前は一人歩きしている。これまではAI否定派に大人気だったのに、一転してAI肯定派の斬り込み隊長になってしまったみたいでね。なんかもう、全部どうでも良くなってきたなぁ。


 そんなことを考えながら、地図を頼りに狭い路地を進む。


(キララ、博士との合流は本当にこの先?)

【はい。提示された地図の通りです】


 今日は博士から「カグヤの調整が終わった」という連絡が来た。だから、これまで代役を勤めてくれたメイド忍者のキララとはこれでお別れになる。

 彼女はコスプレ巨乳AIアシスタントという明らかなイロモノだったけれど、仕事ぶりは有能だったから、そこは素直に評価したい。


 ただ、博士から指定された待ち合わせ場所が、研究所ではなく街中だったのが少し気になる。

 この近辺にあるのは商業施設ばかりで、一般人が大勢いる。博士がまた何か妙な騒動でも起こすつもりなら、大変な騒ぎになるはずだ。


(地図によると、あの角を曲がった先だよな)


 そうして辿り着いた場所にあったのは、一軒のカフェだった。

 テラスに置かれたベンチには、何やら緊張しているのだろうか、手鏡を覗き込みながらソワソワしている女の子が一人座っている。


 彼女が顔を上げると、自然と視線が合う。

 僕は一瞬、呼吸を仕方を忘れた。


「え……えへへ。久しぶり、ライタ」


 待っていたのは、僕の恋人だった。

 これまで仮想空間の中でしか触れ合うことの出来なかったはずのAIアシスタント。研究所で一緒に育った僕の幼馴染で、死んでからもずっと側にいてくれた大切な女の子。一体何が起きているのか、僕がひたすら戸惑っていると。


――月影カグヤが、僕の胸に飛び込んできた。


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