第4話 終末のエクソシスト
──ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
『濃霧警報が発令されました。外出している人は、すみやかに自宅にお帰りください。繰り返します──濃霧警報が発令されました……』
濃霧――。一部で『カスケード』と呼ばれるその
音もなく迫る災厄。古くからこの地に伝わる伝説級の死の
すでに霧の先端は港からわずか50メートル。フェリーの甲板から悲鳴が沸き上がり、群衆の混乱が波となって広がっていた。
その時、美優の目に信じがたい光景が飛び込んだ。
海面が盛り上がり、轟音を立てて裂けたのだ。
滝のような音を上げながらぬらりと現れた巨大な背中。頭を抱えるようにして海から姿を現す巨影は、人の形をしていた。しかも……大きい!
「あれ……『ヒトガタ』……!? ウソでしょ!」
──『ヒトガタ』
それは、オカルト雑誌でよく見かける存在。
南極深海に棲むと言われ、都市伝説では有名な怪異=UMAだ。
それが今、この極東の島国、なかでも四国最果てと呼ばれるこの土地になぜか姿を現している。
(……これが、この街の“奇跡”だっていうの……!?)
そう。室町時代頃の書類……これらの災厄が“奇跡”と呼ばれていた。そんな時代もあったのだ。
『ヒトガタ』の顔はまるでのっぺらぼうだ。その虚ろな“顔面”は、海水が流れ落ちるたびに目や口のような穴が浮かんでは消えている。
海面からそそり立った上半身だけで10メートルを超える。
その異形が、観光フェリーの甲板へと片手をかけた。
途端に船体が軋み、乗客の悲鳴が雷鳴のように重なる。
あまりに恐ろしいその光景に、さしもの美優も足が震える。逃げたいのに動けない。
そんな緊迫した風景に影が差した。
美優の横をずいっと図々しい距離感で歩み出た者がいたのだ。
その人物が言う。
「お嬢さんの言う通り、あれは『ヒトガタ』だ。……まさか『カスケード』がこんなものまで呼ぶとはな。俺も初めて見たぜ」
驚愕した。
──この人、『カスケード』という言葉を使った──!?
それは一部の人間しか使っていない言葉。
これを使う者といえば……。
緊張が怯えを解き、自由を取り戻した美優は反射的に身を跳ね退いた。
そこにいたのは学生。
学ラン姿に眼鏡、背中に革製の筒を背負った少年だ。
その少年は言う。
「おいおい。そんなに焦るな。俺は怪異じゃない。逃げるってのも失礼な話だろ」
彼の眼鏡の奥の瞳は、こんな異常事態の真っ只中だというのに笑っていた。
「それに、今の飛び退いた動き……あんた、ただ者じゃないな。格闘技の経験でも?」
「あなた……誰よ!」
答えず美優は睨みつける。彼は彼女を頭から足先までじろじろと眺める。
「ふむ……」
「何よ!?」
思わせぶりな沈黙が数秒。
少年の眼鏡の奥で、やたら鋭い目つきの彼の瞳がギラッ! と光った。
「E……ってところか」
美優は一瞬、時間が止まった気がした。
──今なに言ったこの人……?
E……?
え? 何それ……。
「アンダー細めのE」
「はああああああああああああああああああッ!?」
叫びながらも美優の頬が熱を帯びる。
「な、な、なんの話よ!」
両腕で胸を抱きしめるように隠して美優は背を見せる。
少年は悪びれることなく肩をすくめ、木刀を軽く振ってみせる。
「観察眼はエリートの必須科目だ。悪魔祓いも女心もそして女体も、……神が創りし
──今、悪魔祓いって……?
思いがけない言葉に振り返る。美優の凛とした表情が少しだけ曇る。
「……あなた何者? それに。いつからここに?」
警戒する。美優のその声には威嚇も含まれていた。
だが、そんな美優の荒げた声もどこ吹く風……
彼はフェリーを揺らす巨影を一瞥しながら冷静にあの、名前を口にした。
「国際魔術会議──『ユニマコン』」
「『ユニマコン』……!?」
美優が驚くのも無理はない。
それは美優の父が所属する秘密結社。
あまりもの多くの陰謀論の中で現れ、普通の人なら口にすることすらためらう国際的組織だ。
「そう。国際魔術会議──通称・ユニマコン。多くの魔術師を束ね、あらゆる怪異の謎を解き、国家すら動かしかねないといわれる影の世界的評議会。俺はその中のエリート中のエリート。その名も──
歌舞伎のように見栄を切るこの少年──
美優にとっては身近であり、今の世界に必要不可欠な組織だと思っている。
だが、それは表向きは世界中の怪異の謎を解き明かし、人類を救うための学者たちが集う国際的学会。
裏では巨大な権力を持ち、ゆえに悪い噂にまみれた政府要人さえも恐れる存在。
そんな強大な組織。そこに属している、
(悪魔祓い師……だっていうの!?)
エクソシスト。すなわち悪魔祓い師。
父から聞かされたことがある。エクソシストはある種のエリートたちの特別部隊に与えられる称号。
そんな人物がこの地へと訪れたというのだ。
それは、今目の前で起こっているこれが、想像以上にただ事ではない事態に陥っているというも意味する。
──でも、こんなに早く? 前もって知っていた? 予測? どうやって?
しかも彼は、自分とほぼ年齢も変わらない少年だ。
こんな男子が、
「う~んそれにしても……いいねえ。お嬢さん、かわいこちゃんだな」
「はあああ!?」
再び美優が呆れた声を出した。怒鳴りたい気持ち、脱力感がないまぜになり、自身を失う。妙に慌ててしまう。
「い、い、今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ! っていうか、かわいこちゃんて、
「そ、そんなに言うことねえだろ! 普通に使うよ、普通に。“かわいこちゃん”。だ、だって、場を和ませるのもエリートの務めだ、そ、そうじゃないのか!?」
取り繕うように応答する、みっともない言い訳。。これが自称“エリート中のエリート”。そんな優秀なはずの彼は、この胸をえぐるような美優のツッコミで受けた痛みを必死で隠そうとしているように見える。
「はあ……」
美優は深いため息をついた。
だがそれは確かに緊迫感から美優を解き放ってくれる。
結果オーライ。
……と、いっても良いのだろうか。
と、肩の力が抜けたおかげで思い出した。
そうだ! 二番桟橋!
「お、おい。どうした?」
「翔太くんッ……!?」
美優は慌てて屋上の欄干に身を乗り出している。
視線を落としている。探す。その二つの人影を。
そして。
──いた!
ターミナル前。
混乱の中、幼い子を庇いながらも必死に手を引いて走らせている少年がいる。
あれは翔太だ。
その姿は昔から変わらない。誰かを守ろうとする姿勢。利他的行動。自己犠牲精神。
変わらない。
あの頃と。
だが懐かしさにふけっている暇はない。
美優の直感が、脳に強い警戒アラームを鳴らした。
(そうだ。翔太くん……あの子は知らないはずだ。この一ヶ月前に何があったか……『カスケード』の
みるみるうちに群衆の波に飲まれる翔太。
一ヶ月前の惨劇──。
その瞬間、美優の胸に焼き付いていた幼かったあの頃の想いが再び蘇った。
──『守らなきゃ』
そう。美優は今、ハッキリと思い出した。
(私が……私が、あの子を守らなきゃ!)
一気にその想いが肉体を突き動かす。
気づけば、矢のごとく猛烈な速さで走り出している。
屋上のドア。そこから伸びる階段。
それを何段も飛ばし、踏み込む一歩ごとに固い床を震わす。
しなやかに伸びた脚の一歩一歩が弾丸のように地を撃つ。
スカートの裾が風を巻き、鍛え上げられた細く白い脚があらわになった。
だが、それを気にしている暇はない。
なぜなら、美優の目的は、ただ一点のみ。
(翔太くん……!)
──彼を、守ること!
一人の少女の小さな想いが突如、覚醒された。
脳内で炎が湧き上がるような不思議な感覚。
(翔太くんは、私がッ、守るッ──!)
世界を喰らう“霧”が迫りつつある今、美優は魂の奥から心の声で叫ぶ。
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