身売り先がホワイトすぎた件

てつ

第1話 借金から始まるホワイトライフ

あたしの人生、正直言って終わったと思った。

朝起きたら両親がいなくなっていて、

テーブルの上には「ごめん」と書かれたメモと、ピカピカの名刺が置かれていた。


「娘さん、残念だが……この借金、払ってもらわなきゃ困るんだよ」


スーツの中年男はため息をつきながらそう言った。

借金額は五百万。高校生のあたしが返せるわけがない。

家の中には通帳も貯金箱も空っぽで、冷蔵庫の中身といえば水とケチャップだけ。

……完全に詰んだ。


「あの……どうすればいいんですか?」

声が震える。

男は名刺を差し出す。

「うちの顧問先が妙な申し出をしてきてな、“若い子をひとり家に住まわせたい”と」


“妙な申し出”? いや、まさかの身売り話?

現代にそんな話、本当にあるの?

でも、他に選択肢がない以上、渋々了承するしかなかった。


こうしてあたしは、地域一番の大富豪、神園財閥の屋敷に連れて行かれることになった。


***


屋敷に着いた瞬間、あたしの目は点になった。

白い壁に噴水、庭には孔雀。玄関ホールにはグランドピアノ。

執事とメイドが整列して出迎える。


「ようこそ神園家へ」


頭が真っ白になった。いや、これ某テーマパークのホテルじゃないの?


「君が佐藤美月さんだね」


振り向くと、三十代前半くらいの男性が立っていた。

背が高く、スーツは多分一着であたしの借金が消えるくらい高そうだ。


「私が神園宗一郎だ」


笑顔が眩しすぎる。けど、そんなことより――


「あの……あたし、これから何をすれば……?」


宗一郎さんは不思議そうに首を傾げた。

「何を? ああ、君の“仕事”のことか。簡単だよ」


手渡されたのは一枚の勤務表。


勤務時間:午後5時〜6時(1時間)

仕事内容:当主の身の回りの世話(紅茶を淹れるなど)

休日:週休二日制(希望制)

有給休暇:年間20日

長期休暇:夏・冬にそれぞれ10日

給与:月20万円+ボーナスあり


「あの……これ、身売りっていうより、普通に神待遇のバイトじゃないですか?」


「バイト?」宗一郎さんは首を傾げる。「いや、正式な雇用契約だよ」


「学校は……?」


「もちろん行きなさい。学生が勉強を疎かにしてどうするんだ」


マジで? 勉強サボると怒られるパターン?


「ただし、宿題を怠けたらボーナスカットだ」


……ホワイトすぎて意味がわからない。


***


こうして始まった屋敷生活。

朝は専属シェフの作る朝食、昼は学校、夜は紅茶一杯。

家には最新家電と巨大ベッド。給料は口座に自動振込。


「お嬢様、本日の業務はお散歩でございます」


「え? お散歩が仕事なの?」


「はい。当主様が『健康第一』と」


あたしよりあなたたちの方が働いてるんじゃ……


メイド長の木之下さんはニコリと笑った。

「お気になさらず。我々には残業代が出ますので」


屋敷の庭は公園みたいに広く、犬の散歩をしていると迷子になりかける。

宗一郎さんは出張中でもお土産話をしてくれる。


「今日は京都で茶葉の仕入れをしてきた。美月くん、今夜は新しい紅茶を試そう」


「紅茶会、週三回ペースですよね……」


「健康的だろ?」


「カフェイン摂りすぎです!」


でも、なぜか楽しかった。学校では庶民の日常、屋敷では異次元のホワイト生活。

あたし、どっちが本当の自分なのかよくわからないけど

……少なくとも、今は安全で、少し幸せだ。


***


ある夜、宗一郎さんが珍しく真面目な顔をした。


「美月さん、この生活は……嫌ではないか?」


「え、いや……ありがたすぎて怖いくらいです」


宗一郎さんは静かに紅茶を置いた。「私はね、昔、家を継ぐために全部を諦めた。友達も恋も、学校の思い出も。だから、君には普通の青春を送ってほしいんだ」


その言葉を聞いた瞬間、胸がじんわり熱くなった。

この人は、“買った”んじゃなく、“救って”くれたんだ。


***


そしてある日、木之下さんが封筒を手渡した。


「美月お嬢様、おめでとうございます。ご家族の借金、全額返済されました」


「えっ!?」


「当主様が個人で立て替えられたようです」


思わず宗一郎さんの執務室に駆け込んだ。


「どうして……こんなことまで……?」


宗一郎さんはいつもの穏やかな笑みで紅茶を飲みながら言った。


「契約期間が終わっただけさ。君はもう自由だよ」


自由。

その言葉が胸に刺さった。

――あたしは、これからどうすればいいんだろう。


元の生活に戻るか、この屋敷に残るか。

迷いながらも、あたしは思わず笑った。


「……でも、ブラックなバイトに戻るより、こっちの方が絶対いい!」


宗一郎さんも吹き出す。「採用だ。給料、上げておこう」


屋敷に笑い声が響く。

借金のかたに売られたはずのあたしは、

いつの間にか、いちばん幸福な“労働者”になっていた。

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