4-3. 壁の内側

この世界で最も素晴らしいことは、

自立の方法を知ることである。

哲学者 ミシェル・ド・モンテーニュ



 その日から、壮絶な拷問が始まった。殴られ、蹴られ、踏みつけられ、ナイフで皮膚を切られた。


 拷問の目的は、未だ逃走中という組織のボスに関する情報を吐かせることだった。狡猾な怪物のことだから、子分たちがしょっ引かれていくのを尻目に行方をくらましたのだ。


 だが、その目的よりも、拷問をする看守たちが率先して楽しんでいるようだった。人の心理とはこういうもので、痛めつけても構わない相手には容赦しない。ちょうど、黒人のエキシビションマッチで、白人たちが狂気を見せていたのと重なる。他人を劣等視して、個人的な怒りや不平、あるいは誇りなるもののための捌け口にするのだ。看守と囚人という権力の関係性からすれば当然のことだった。まして、ケイシーは凶悪な元マフィアなのだから、暴力を振るうことへの心理的なハードルはほとんどないも同然だ。


 しかし、ケイシーは口を割らなかった。マフィアには、オメルタ、あるいは血の掟と言われるような強力な約定があって、命令は絶対、仲間を売ったり秘密を漏らしたりするようなことは許されなかった。もちろん、ケイシーの組織は壊滅状態で、これから死刑になるというケイシーが組織に関わることはないのだから、オメルタの効力は失っているようなものだ。それでも、組織にはある種の所属意識、連帯意識、愛着のようなものがある。クーニーとフリンが言ったような、「家族」という感覚だ。


 第一、ケイシーは怪物に関する情報をほとんど持っていなかった。命令のほとんどは誰かを介して伝えられ、末端のケイシーが怪物と直接会う機会は数えるばかりであった。


 当初こそ看守たちは、口を割らせようと躍起になったが、次第に飽き、いつしかケイシーに見向きもしなくなった。別にケイシーでなくても、もっと面白い反応をしてくれる、拷問のしがいのある囚人はたくさんいるのだ。


 そうして結局、死刑は延期されたまま、十年近い月日が流れた。


 ケイシーに与えられる収監や強制労働という罰は、彼にとっては慣れたものだった。テネメントでの暮らしを浮かべて、むしろここが適正な居場所なのかもしれないとさえ思った。数えきれないほどの命を奪ってきたケイシーへの罰としては、いささか軽い。


 それは、他の囚人たちにとってもそうだった。多くの者たちが下層の貧民出身で、命が保証されている分だけ外の世界と比べてぬるかった。だから皆、自分の犯した罪ときちんと向き合おうとはしない。暴力を振るわれても、無表情でいなすのだ。


 暴力や過酷さよりも、彼らにとっての苦しみは、単調な生活の方だった。労働以外に狭い独房から出ることはほとんどなく、当然娯楽や自由は存在しない。音を立てることも許されない、完全な沈黙の下では、どうしても自分自身との対話が始まってしまう。自責、後悔、呵責。そうした苦しみと向き合うのは誰だって辛い。だから、何も考えないようにするのだ。何も望まず、ただ漫然と時が過ぎるのを眺めるだけ。これが囚人であることに慣れた者の末路だ。毎朝五時にラッパの音で起こされ、働き、寝る。そしてまた、朝が来る。


 この状況下で、何とかして楽しみを見出そうとする者もいた。これはまだ人間らしさを保っている証だ。酒を面会人に持ち込ませたり、手紙に薬を忍ばせてもらったり、挙句の果てには囚人同士で性行為に及んだ。当然ながら、この刑務所に女性はいない。女性には女性用の刑務所があるからだ。


 いずれにせよ、規律や秩序など、もはや存在しない。彼らが生きてきたベンドのような社会と、何も変わらないのだ。だから、刑期を終えて出所しても、彼らはまた罪を犯して戻ってくるしかない。壁の内側も外側も、とどのつまりアメリカだった。

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