第14話 見えない敵
平穏な日々に戻ったかと思いきや、しばらくして、また奇妙な出来事が起き始めた。
但し、明らかに、これまでとは異なっていた。
時雨と帆夏は、今朝も同じ電車の九号車に乗っていた。最近は、一緒に登校することが定着していた。一人より二人の方が楽しいし、安心できるからかもしれない。
最初は帆夏の要望でこうなったけど、むしろ良かったと思った。これまでのことを考えると、こうなるのは自然の流れだったのかもしれない。もう、二人は親友と言ってもいいくらい仲良くなっていた。
この日も、電車内は混んでいた。
幽馬は、さっきまではここにいたけど、またどこかへ行ってしまった。相変わらず自由奔放だなあと思っていたら、帆夏が耳の傍で話しかけてきた。
「ねえ、時雨。今、触った?」
「えっ、ううん。なんで?」
「何かに触られた気がするんだけど。」
「それって、痴漢?」
「どう思う?」
「どうって、うーん。どこ触られたの?」
「それがね。胸を揉まれた気がしたの。」
二人は、座席の正面で吊革に捕まっていた。時雨が左側、帆夏が右側にいて、隣同士で立っていた。だから、この位置だと正面には座席しかなく、そこに人が座っているだけで、目の前は窓ガラスになる。
皆、大人しく座っている。体の前側を触るような人は見受けられないし、当然触られれば直ぐに目につく。
時雨は不思議に思い、聞き返した。
「ええっ、胸を?」
「時雨。声が大きいって。」
「ゴメン。それ、ホントなの?」
「うーん、どうだろう。そう感じたの。変よね。時雨、何か気づいた?」
「いや、何も。」
帆夏に聞かれたけど、何も思いつかなかった。この状況なら、普通何かあれば気がつきそうなものである。ただ、安心し切っていたと言うのもあるかもしれない。
「そうよね。でも、触られたと言うより、揉まれたのよ。」
「揉まれた?」
時雨は、体の後ろ側ならありそうだけど、前を?と疑問を感じた。
「そうなの。でも、変よね。そんなの、あり得ないよね。」
帆夏が言ったこの瞬間、時雨は背筋がゾクゾクッとなった。何これ?
それで、背中をキュッと締めるようにした。そしたら、ブラのホックが外れてしまった。
「いやーん。どうしよう。」
「どうしたの?」
「ホックが…外れたの。」
「えっ、何だって?」
「だから、ブラのホックがね…。」
時雨はちょっと顔を赤らめて、小声で返した。これを聞いて、帆夏は真顔で聞き返した。
「ブラの?」
「そうなの。でもね、何かに引っ張られるようにして外されたような感じだったのよ。」
「ヤダーッ。怖いこと言わないでよ。時雨。」
「ゴメン、ゴメン。帆夏、吉祥寺に着いたら直したいんだけど。」
「いいよ。お手洗い、寄って行く?」
「うん。そうしたい。助かる。」
時雨は帆夏にお願いした。そして、心の中で思った。
こう言う時、幽馬がいてくれるといいんだけど。肝心な時にいないんだよなあと。
同じ頃、世里奈はいつもの三号車に乗っていた。こちらの電車内は、更に混雑していた。
それでも、このところ何も起きていないので、気持ちに余裕が生まれていた。
故に、吊革に捕まりながらスマホを見ていた。そうしたら、突然シャツの胸元のボタンが外れてしまった。
いつも、上から二つのボタンは外している。故に、三つ目のボタンが外れたのだ。
「あら、どうして?」
大きな胸が半分以上出てしまった。
隣の人や座っている人が声に反応したのか、チラッと見られた気がした。けれど、世里奈は慌てることはしなかった。
「もう、やんなっちゃう。」
とか言いながら、スマホをポケットに入れ、両手でシャツのボタンを留めた。そして、またポケットからスマホを取り出して画面を見始めた。
しばらくすると、また三つ目のボタンが外れた。そう。同じボタンである。
「変ね。胸が大きくなったのかしら。」
世里奈は不審に思いつつ、再度スマホをポケットにしまい、ボタンを留めた。その度に周囲から視線を感じたけど、気にしなかった。
その後も、不可思議なことが続いた。後ろ髪を触られた感覚があったり、首筋に鳥肌が立つほどの嫌悪感が走ったり。ただ、周りを見ても、誰かが動いた気配はない。
「何よ、これ。」
世里奈は、スマホを見るのを止めた。急に、不安に駆られてきた。なので、これ以降は吉祥寺駅に着くまで、チラチラと周囲を警戒して乗っていた。
放課後のオカ研は、いつものように和やかな雰囲気だった。
だから、時雨と帆夏は今朝の出来事を話題にはしなかった。奇妙なことだが、気のせいかもしれない。また、世里奈も同じく些細なことと思い、皆には話さなかった。
部活が終わり、その帰り道のことである。
帆夏には気になることはなさそうだったけど、時雨にはあった。学校から日野駅までは、二人一緒だった。その間、ずっと誰かに見られているような感覚があった。
気になったけど、誰もいないし、帆夏も気にしていない。不安をあおるようなことは止めようと思った。
また、帰りの電車に幽馬はいない。桜木先生はまだ、学校で仕事をしていたからである。それで仕方なく、今日感じたことを明日の朝、幽馬に話してみようと思った。
けれど、帆夏と別れてからも、それは続いた。
八王子駅で電車を降りてからの帰宅途中の道でも、誰かに着けられているような、見張られているような、そんな気がした。嫌な予感がして、何度も振り返ってみた。しかし、それらしき人はいなかった。
本当に、気味が悪かった。
自宅に着いてからも、この違和感は続いた。
ちなみに、時雨の家は一軒家で、一階は時雨の部屋と両親の部屋、それと洗面所とその奥に風呂場がある。二階には、キッチンとリビングと小部屋が一つある構造になっていた。
時雨の両親は仕事の関係で、平日はいつも帰りが遅い。そのため、夕食はキッチンにある冷蔵庫の中に作り置きのものが入っていた。
時雨はそれらを取り出して、電子レンジで温め、一人リビングで食べた。
その後は風呂に入ったり、テレビを見たり。そんなことをしてから、自分の部屋へ戻って勉強をする。両親は、その頃に帰って来ることが多い。
時雨は食事を終えたので、風呂に入ることにした。まず、風呂場へ行き、浴槽の栓をしてからお湯を貯めるスイッチを押した。
次に、自分の部屋へ戻り、着替えを持って脱衣所、つまり洗面所へ向かった。
洗面所に着くと、そこ置いてある自分用のバスタオルを取り出した。それから、棚の上にそのバスタオルと着替えを置き、服を脱いだ。脱いだ服は、洗濯カゴに入れた。
裸になったら、そのまま風呂場へ移動し、ドアを閉めた。時雨にとっては、この時間が好きだった。一人でのんびりできる、快適な時間だからである。
風呂場の鏡の前に座り、気分良く体を洗っていた時だった。
「カチャ。」
と言う音がした。でも、何の音かは分からなかった。
少しして、背中が寒いなと思って振り返ってみると、風呂場のドアが僅かに開いていた。
「あれ?ちゃんと閉めなかったかな…。」
時雨は不審に思ったが、変なところは見当たらなかった。それで、もう一度よく確認してからドアを閉めた。
体を洗い終わると、隣にある浴槽に浸かった。この瞬間が気持ち良い。腰まで浸かって半身浴にすると、正面にある鏡に自分の顔が映る。
最初は、自分の頭や顔をチェックしながら、半身浴で入るようにしている。少し温まってきたところで、肩まで浸かった。
「ハアーッ。」
あまりの気持ち良さに、つい声が漏れた。この瞬間がたまらなく、幸せだなあと感じるひと時だった。
湯船に浸かってから、今朝のことを思い返してみた。
ブラのホックって、突然外れるものなのだろうか?
今までなかったことだったので、どうにも納得がいかなかった。
「カチャ。」
また、音がした。ドアを見ると、僅かに開いていた。
おかしいな…。さっき、確認したのに…。このドア、壊れているのかな?
今、時雨以外、この家には誰もいないはずである。なのに、視線を感じた。誰かに見られているような気がした。
「ガラガラ、ゴットン。」
突然、洗い場の方で大きな音がした。
「キャア。」
思わず、悲鳴上げた。緊張が走った。心臓の鼓動が速まり、ドキドキ鳴っていた。
浴槽から体を持ち上げて洗い場の床を見てみた。すると、洗い場の台の上に置いてあったはずの桶が転がっていた。
これって、偶然?
外窓は閉まっていた。
さっき、僅かに開いたドアから風でも吹いてきたのかしら。
でも、それだけではない気がした。どこかから、覗かれているような気配がした。
寒気がして、鳥肌が立ってきた。それで、身震いをした。
時雨は怖くなり、早々に風呂から上がり、洗面所へ出た。そして、体を拭くために、棚に置いていたバスタオルを取ろうと手を伸ばした。
「あれ?」
あるはずのバスタオルが、そこになかった。下を見ると、床に落ちていた。時雨はそれを拾い上げ、軽く体を拭いてから髪の毛の方を拭き始めた。
ある程度拭き終わると、体全体にバスタオルを巻きつけて棚を見た。変わったところはないか、確認するためである。
着替えとして持ってきた服は、きちんと揃えた状態で置いてあった。
どうして、バスタオルだけ落ちたんだろう。やっぱり、何かおかしい。
でも、その理由は解らなかった。
「今日は、変な日だな。早めに寝よう。」
独り言を呟きながら、パジャマに着替えた。
着替えを終えて洗面所を出たところで、喉が渇いていたことに気がついた。それで、キッチンへ行くことにした。
二階へ行き、冷蔵庫から麦茶のポットを取り出してコップに注ぎ、一気に飲んだ。
一息ついた。いくらか落ち着いてきた。
気を取り直して、再び洗面所へ戻ることにした。それから、ドライヤーで髪の毛を乾かし、歯を磨いて、自分の部屋へ行った。
まだ、眠くはなかった。少し興奮気味だったからかもしれない。
だからと言って、これから机に向かって勉強する気にはなれなかった。故に、明日の時間割のものを用意して、電気を消してからベッドに入った。
暗くなった部屋の中で、目をつぶった。一度、深呼吸をした。そして、今日の出来事を整理してみることにした。
すると、考えている内に、幽馬に言われたことを思い出した。
どうして、私にだけ幽馬が見えるんだろうか。話もできる。これって、本当に霊感が強いからなの?
そうは言っても、幽馬しか見えない。この謎は、まだ解明できてないわ。
そして、桜木先生のこと。朝の電車で、必ず寝ているのよねえ。
これは、幽馬と会うから間違いないと思うけど、桜木先生は生真面目で論理的に物事を考える人だと思う。幽馬と違って取っつき難いけど、いい先生だと思う。どうして、幽体分離しているのかしら?
桜木先生が、知らないって言うのも不思議よね。気づかないものなのかな。
あっ、そうだ。トイレに行くの、忘れていたわ。
時雨は考え事をしていたら、急に尿意を催した。それで、起き上がろうとした。
あれっ、体が動かない。なんで?
金縛りにあったようだ。それに、なんか重たい。布団の上から、何かで押さえつけられているような圧力を感じた。
真っ暗でよく見えないけど、何かいる。何なの、これ。うっ、苦しい。喉を締めつけられているみたいだ。息ができない。マズイわ。どうしよう。
時雨は焦った。闇雲に、心の中で叫び続けた。
「幽馬、幽馬、幽馬。助けて!」
意識が朦朧としてきた。もう、ダメかもしれない。
「どうした、時雨。」
何故か、幽馬の声が聞こえた。電車の中ではないのに。
「ゆう…、幽馬?」
「ああ、そうだよ。時雨の声が聞こえた気がして、急いで来たよ。大丈夫か?」
「動けないの。喋り難いし、息も上手くできない。」
時雨が答えると、幽馬は打って変わって声色を使った。
「なんだ、お前。」
「えっ?」
ビクッとなった。いつも話す声とは違う、強い口調だった。
「何やっているんだ。この手を退けろ!」
また、幽馬が怒鳴った。なんでこんなことを喋っているのか分からなかった。まるで、自分以外の誰かに話しかけているみたいだった。
けれど、急に喉元が緩み、息ができるようになった。しかし、まだ体は動かない。
「時雨から離れろ!」
「誰かいるの?」
幽馬が叫んだので、聞き返してみた。暗くて姿は見えないけど、声は聞こえている。
「おわーっ。」
幽馬とは違う、別の誰かが大声で叫んだ。同時に、体が軽くなった。
「お前、誰だ。コラッ、逃げるな!」
「幽馬、どうしたの?」
「時雨、大丈夫か?」
幽馬が、今度は自分に声をかけてきた。
「うん。なんとかね。」
少ししわがれた声になっていて、自分ではないみたいだった。
体を動かしてみると、動いた。なので、一度体を横に向けてベッドから起き上がった。
目を擦ってみた。やはり、暗くて何も見えない。何が起きたのか分からず、怖さが拭いきれなかった。それで、もう一度声を出して呼んでみた。
「幽馬?」
「良かった。時雨、ケガはないか?」
「うん、平気。ねえ、今の何?」
「そうだな。幽霊って言えばいいのかな。」
時雨は、それを聞いてドキッとなった。
「幽霊って…。幽馬とは違うの?」
「僕のは、幽体離脱だよ。幽霊じゃあない。」
「どう違うの?」
「幽霊は、基本死んだ人や動物から出て来るんだ。だから、帰る肉体はない。」
「それだけ?」
「幽霊の中には、物体に触れる事ができるものもいる。」
「確か、幽馬はできないって言っていたよね。」
「そうだね。だから、さっきの幽霊は手強いよ。」
「まだ、いるの?」
「もういない。どこかへ逃げていっちゃった。」
「そう。その幽霊、誰だか分かった?」
「暗いし、顔は見えなかった。誰だろう?時雨を襲うってことは、時雨の知っている人じゃないかな。」
幽馬も知らない幽霊だった。だから、時雨は疑問に思ったことを一度に質問してみた。動揺していたからかもしれない。
「うーん。思い当たらないわ。私、恨まれているのかな。まあ、今考えても仕方ないわね。ところで、幽馬。どうして、私が危ないって分かったの?それに、どうやってここまで来ることができたの?そもそも、なんで出て来れるの?」
「ああ、それね。調度、晴馬が帰宅中でさ。今、電車に乗っているんだ。時雨の切羽詰まった声が聞こえたから、これは一大事だと思ってさ。それで、声を辿って瞬間移動したんだよ。」
「へえ。そんな事もできるんだ。幽馬って、凄いのね。私が読んだら来てくれるの?」
「困っている時は、いいよ。但し、晴馬が眠っている時だけだからね。」
「そっか。そうだよね。覚えておくわ。それで、桜木先生って、帰りも寝るの?」
「いつもね。体力温存なんじゃない?」
「まあ、何にしても助かったわ。」
時雨は、運が良かったんだと思った。
「ところで、ここどこ?」
幽馬が尋ねてきた。
「私の家よ。そして、私の部屋。」
「おおっとー、時雨の部屋かあ。電気が点いていればなあ。」
「どうして?」
「さあね。ちょっと残念。」
幽馬は惚けて答えた。その後、時雨は今日起こった不可解な出来事を話した。
「何かありそうだね。明日、電車内を注意しながら調べてみるよ。」
「うん。お願い。今日は、本当にありがとう。幽馬は、命の恩人ね。」
時雨はお礼を言ったけど、幽馬の返事はなかった。それで、もう一度声をかけてみた。
「ねえ、幽馬?」
やっぱり、幽馬は返事をしなかった。
「もしかしたら、桜木先生が目覚めたのかな?」
独り言を呟いたら、身震いした。急いでベッドから出て立ち上がり、電気を点けた。緊張が解けて、トイレに行きたかったことを思い出したからである。
翌朝、電車の中で時雨の前に幽馬が現れた。
「時雨、おはよう。」
「おはよう。昨日は、助けてくれてありがとう。」
「いやいや。こんな僕でも、役に立てて嬉しいよ。あれから、どうだった?」
「うん。何もなかった。怖くて眠れないかと思ったんだけど、直ぐ寝ちゃった。なんでか、ぐっすり眠れたわ。」
「そっか。とりあえず、元気そうで良かった。」
幽馬は笑顔で答えた。
「ねえ。それで、何か分かった?」
「いいや、まだ何も。」
「そうよね。昨日の今日だし。ゴメンね。」
「いいよ。時雨の不安な気持ち、分かるから。何か分かったら知らせよ。」
「よろしく。」
「あの幽霊、また来るかもしれないから気をつけて。そうだ。塩とか、お香とか、幽霊が苦手なものを置いておくといいよ。」
「なるほど。そうするわ。ありがとう。」
「いやいや。」
幽馬はテレていた。
ここで、電車は日野駅に到着した。帆夏が乗って来て、時雨に話しかけてきた。
「おはよう、時雨。」
「おはよう、帆夏。あれ?今日は髪の毛、結んだの?」
左右に分けて結んでいた。
「うん。昨日みたいなことがないようにね。」
「そっか。帆夏は、何をしても似合うね。可愛いから。」
こう言ったら、帆夏もテレていた。
「そんな、茶化さないでよ。ねえねえ。今日は富士山、見えるかな?」
「見えたらいいね。」
二人がこんな会話をしていたら、幽馬はどこかへ行ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます